楯突く者たち
『さっき暁美くんが家の前で座り込んでいたので、我が冷泉院家の方で保護しました。様子がおかしいみたいなのでお屋敷まで迎えに来てあげてください』
一字一字間違いが無いよう文字を打つ。文章に不備が無いことを確認し、送り先が間違っていないかどうかも確認。それが済むと、即座に送信した。
しかしその一連の行動を取っている最中、冷泉院海紗は終始震えていた。
「……兄様、やはりこれは間違っているような気がしてなりません」
ややあって彼女は、近くで様子を静観していた兄に、小さな声音で訴えた。
「いくら父様がそう願っているからといって、このような方法に頼らざるを得ないというのは……あまりにも酷ではありませんか」
「海紗、どうしてそう思う?」
首を傾げながら、霧江が質問を切り返してくる。彼には海紗が今思っていることなど何一つ分かっていないのだということが、この反応から見て取ることができた。
もしかしたら、分かってはいるが敢えて白を切っている可能性もあったのだが……。
(……いいえ、兄様にはわたしと違い『自分がどうなろうと父のために動く』という強い意志がある。だからわたしのように内心では父様に反発しているなんてこと、あるはずがありませんわ)
いつも確固とした思考を持っている兄に迷いがあるはずもない、と自分自身を納得させる。そうすることで、海紗は霧江の真意を探ることを諦めた。
だが真意を探ることを止めたが、兄の考えに反発することは止めない。
「だって……」
「だって?」
「……この方法で得をするのは、どう考えても父様だけです! 暁美くんもローラさんも、母様もエルネさんも! そして、わたしたちだって……。最終的に願いを得られる父様以外は、結局悲しみ以外背負いません!」
自分と同じ色を宿した瞳を見据えることが、最初はとても怖かった。しかし一度自身の想いを口にしてしまえば、恐れはもう無くなっていた。否定されることも臆さず、海紗は本心を吐露し続ける。
「ごめんなさい、兄様。わたしはこの計画を降ります。そしてわたしはわたしで、計画を止めてきます!」
「そのような世迷言は大概にしろ。半吸血鬼のさらに半分の力しか持っていない半々吸血鬼のお前一人で一体何ができる?」
「流石に覚醒した父様のことを止めることはできません。あまりにも無謀です。……でも、何処かに隠れているはずのエルネさんを説得して時間停止を解いてもらうことは、わたしにもできます!」
「……まさか、」
霧江が瞠目する。それに構わず、海紗はさらに発露した。
「今暁美くんと戦っているはずの父様の元に母様を連れて行って、それで母様に説得してもらうんです! 『貴方の存在が必要だ』って!」
「……」
言葉を受け、霧江は何を思ったのだろう。
数分ほどの沈黙。その後に彼は、非常に淡々とした声でたった一言だけを呟いた。
「……勝手にしろ」
「……っ!!」
その突き放すような態度が、海紗には耐え切れなかった。
抑えきれない感情が落涙を促し、激昂を誘発した。溢れ出した怒りと悲しみのままに、見た目だけはとてもよく似通った兄に向け叫ぶ。
「兄様は、父様に心酔する自分しか見えていないから、そんなことが言えるんですね!?」
八つ当たりのように言い残し、海紗は走り去って行く。
藤色の瞳いっぱいに涙を溜めながら。
そして後には、霧江のみが残される。
「……俺だって、海紗と同意見なんだがな……」
苦しげに零された声は、誰にも届いておらず。
「……だが、俺には分からないんだ。自分の本心が、自分がすべきことが……」
悶えながら発された言葉と共に、海紗とは逆方向に歩き出す。
*****
少しでも傷を負わせさえすれば容易に決着は付く――そうと分かってはいるのだが、実際は上手くいかずにいた。
進路を業火に阻まれ思うように動けない――そんな単純な理由によって。
「……」
「くっ……小賢しい!」
無言で火炎を連射し続ける暮土と、悪態吐きながら斬撃の機会を狙う悠人。実力的には後者の方が圧倒的に上なのだが、現実はそう甘くない。互いに拮抗し合っている状況が先ほどから延々と続いていた。
「流石は真祖、一筋縄では殺せないようですね」
「貴様こそ、雑魚の半吸血鬼にしてはしぶとく生き残っておるではないか」
互いに悪態吐きながら繰り出された攻撃がぶつかり合う。暮土が放った火炎が黒い大剣によって斬り裂かれ、モーセの海割りのように真っ二つに割れた。
だが斬り裂いた隙に新たな火炎が放たれてしまうため、自動火炎放射器と化している半吸血鬼の男を斬ることまでは能わない。
「チッ……」
秀麗な顔を苦々しく歪め舌打ちする悠人。しかし劣勢であるとはいえ、冷静に勝機を伺うことまでは止めない。
(まずはあの男を止めぬことには話にならぬ。そのために必要なのは、一瞬でも奴の動きを牽制することだ――)
牽制。そうするためには、少しでも暮土の意表を突いた攻撃が要る。
思い至った悠人は大剣を構え直し、そして、
「――行け、魔帝ノ黒杭!!」
剣を投げた。
ある意味では鋼の塊であるが故にかなりの質量を有しているはずの大剣でも、人外の力を持つ真祖にとっては大した重さでは無い。だからこそ、投槍のようにまっすぐ放つことができた。
そして何よりも、この魔帝ノ黒杭は真祖の半身に等しい代物。もはや身体の一部である以上、真祖の思うがままに動かぬ方がおかしかった。
警戒心の強い暮土でも、まさか剣を投げるまでは予想できまい――そんな悠人の推測は、見事に的中する。
「――っ……!!」
困惑によって心が揺らいだからか、彼の周囲で燃えていた紅蓮の勢いが一瞬弱まる。その隙を、悠人は見逃さなかった。
「その迷いこそが敗因となることを知るがいい、半血の愚者よ!」
走る。跳ぶ。そして、前方に向かって高速で飛来する剣の柄を咄嗟に握り、剣と一緒に前へ前へと向かう。
一連の動きを撥条にして、暮土目掛け真っ直ぐに刺突を繰り出さんとする悠人。それを悟ったのか、標的の顔から怯みが消え警戒が浮かぶ。
だが、もう遅い。
「――死ね」
悠人が呟いた時にはもう、黒の切っ先は暮土の心臓を深く抉っていたのだから。
剣がゆっくりと引き抜かれる。同時に、暮土が前のめりに倒れる。
呼吸は無い。心肺停止状態に陥っているようだ。
「……少しは敵にする相手を考えるべきであったな、冷泉院暮土」
憐憫の目で倒れ伏す男を見遣りつつ、悠人は剣を収める。
致命的な臓器を貫かれた以上、放っておけば暮土は数分後に死ぬであろう。だが、それは悠人にとって今望んでいることではない。
「貴様にはまだ訊かねばならぬことが存在する。このまま野垂れ死ぬことは断じて赦さぬぞ」
倒れる暮土の頭蓋を片手で鷲掴みにする。命の重さが徐々に目減りしている影響か、彼の身体は思ったよりも軽い。
今から悠人が行わんとしていることは死者の蘇生。人間の生死を操る真祖にのみ許された力『生殺与奪』の効能の一つである。
冷泉院家の子息である霧江と海紗に借りがある以上、彼らの父親である暮土にこのまま死なれてしまうのは気が引けた。だから先ほど聞き出すことのできなかったいくつかの疑問点を引き出すことを建前にし、彼のことを生き返らせることにしたのだ。
(余に対し無礼を働いた此奴への折檻は、生き返らせた上でも充分できるからな……)
四百年前ならば絶対に抱くことの無かったであろう温情をしみじみと感じつつ、悠人は蘇生のための力を頭蓋を掴む手に込める。
だが――
「……掛かった」
――何故、心肺を止めたはずの暮土の声が聴こえるのだろうか?
不意に浮上した不可解な出来事に猜疑心を抱いた刹那、止んでいたはずの業火が再び立ち昇った。
しかも先ほどよりも凄絶な輝きを以て。
「――な……!?」
あまりにも想定外の出来事に為すすべもなく、悠人の視界は赫々とした炎で塗り潰され――
*****
冷泉院家に辿り着いたローラは、すぐさま屋敷内の異変に気が付いた。
「何だ、この異様な気配は……」
吸血鬼の気配がする。しかも三体分も。
そのうちの二つは、おそらく悠人とエルネのものだ。が、残る一つに関しては全く分からない。
(四使徒か……? だが、奴らのものと比較すると些か薄弱な気が……)
真祖に匹敵する能力を持つ四使徒であれば、もっと強大な気配を匂わせているはず。力が増幅する夜間の時間帯に、一般の吸血鬼と同等たる並の気配を漂わせているはずはない。
(……だとすれば、四使徒が寄越した刺客と想定するのが妥当か)
とにかく、確かめないことには何も始まらない。身体能力増強の神術を使い、外壁を跳躍することで乗り越え敷地内へ。
途端、ローラはすぐさま異変を察知した。
「……妙だな。音が一切しないとは……」
立ち入った瞬間、ローラの身に降り掛かったのは無音だった。
人の気配はするのに、生活音や喧騒は一切無い。それどころか、鳥の啼き声も虫の羽音も風の吹く音もしない。まるで空間一体が外界から隔絶されているかのようだ。
だが、無音の空間の中で唯一聴こえる音があることに、ローラは即座に気付く。
屋敷から離れた位置にある煉瓦造りの酒蔵。そこから轟々と炎が燃える音が響いていたのだ。
「……ユート……!?」
その蔵の中から、悠人の気配と見知らぬ吸血鬼の気配が濃厚に漂ってきた。
嫌な予感がする。意識を周囲の無音から蔵へと移行させ、真っ先に悠人がいるはずの場所へと足を走らせた。
内部と外部を隔てる鉄製の扉を神術によって強化されている脚力で蹴破り、茹だるような熱が篭もる蔵の中へ。
そこで、待ち受けていたものは。
「……来ましたか、クルースニク」
深紅の瞳でこちらを鋭く見つめる暮土、そして身体の随所を焼け焦がした状態で倒れている悠人だった。




