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秘め事

 霧江と海紗が半々吸血鬼(ハーフダンピール)だということを明かしたところで、一旦保健室での会合はお開きとなった。

 気付けば五限目の授業が始まるまであと五分といったところ。体調を崩した悠人はともかく、ローラや冷泉院兄妹はそろそろ教室に戻らないとまずい。

 そんな訳で、話の続きはまた放課後に、今度は別の然るべき場所で行うということになったのである。





 そして放課後。

 普通に授業を受けたローラと念のために五限目六限目と保健室で寝ていた悠人は、校門の前で霧江と海紗のことを待っていた。


「確かここで待ってるよう言われたのだが……」

「……まあ遅いのは仕方ないと思うぞ。会長も海紗さんも生徒会の仕事を軽く済ませてから来るだろうし」


 待ち疲れて苛立ち始めているローラと、焦ってもどうしようもないと決めつけ構えている悠人。

 そんな彼らの元に冷泉院兄妹がやってきたのは、悠人とローラが校門で待機し始めてから二十分経った後であった。


「すみません。お待たせしてしまって」

「エルネのことを呼びに行っていた。彼女も冷泉院家の暗部に関わっている身だからな」


 校門に向かって歩いてくる海紗と霧江。しかし発言とは裏腹に、付いて来ているはずのエルネは伴われていない。


「あの、薬研先生は……?」

「もうすぐ来る」


 と、霧江が言った瞬間、悠人たちの前に黒く輝く高級そうな車が現れる。

 校門の前できっちり停車する車。その窓ガラスがゆっくりと開き、その中からエルネの顔がひょっこりと出てきた。


「乗りな」

「えっ」


 いきなり高級車に乗って参上した養護教諭にいきなりそんなことを言われ、戸惑わぬ生徒などいないだろう。実際、悠人もローラも非常に戸惑っていた。

 だが霧江と海紗はまるでそれが当たり前だと言わんばかりに、エルネが運転する車に乗り込もうとしている。


「乗らないんですか?」


 呆然と立ち尽くしている悠人とローラに、海紗がきょとんとした顔で訊いてくる。さらにそれに付け加えるように、霧江が口を挟む。


「お前たちは会合の続きを行う場所が何処だか分かってないだろう?」

「……」


 図星である。

 悠人たちは、話の続きが何処で行われるかを、霧江たちから全く聞かされていなかった。


「……ローラ、たぶんここは会長たちの言う通りにした方がいいと思う」

「……」


 諭されても訝しげな表情を浮かべていたローラだったが、やがて意固地になることに諦めが付いたのか、溜め息を吐きつつ返答したのだった。


「……私たちに危害を加えさえしなければ、貴様らの指示を仰いでも良いのだが」

「そのようなことはする気は毛頭ない。安心してくれ」


 無論、そのように霧江が言葉を切り返したのは言うまでもない。





*****





 車を走らせ十分弱。エルネの運転する車が目的地へと到着する。

 そうして、悠人たちの目に映ったものは。


「……ここ、冷泉院家の屋敷、だよな……?」


 黒い瓦で()かれた切妻の屋根、木造と煉瓦造を織り交ぜた骨組みと壁――まるで文明開化の時期に建てられたかのような和洋折衷の大きな屋敷が眼前にそびえ立つ。

 周辺住民ならば常識として知っていることであるが、これが冷泉院家の本拠地なのだ。


 しかし悠人に反して、ローラは大して驚いていない。きっと冷泉院家がどれだけの名家か知らないのが理由だろうが、何故か彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らしている。


「ふん、マリーエンキント教団の本部の方が敷地面でも外観でも勝っているな」

「ここはお世辞でも褒めておけ、ローラ。こっちだって俺がワラキアを統治していた頃に居城にしていた城の方が規模的に大きかったんだから」

「城ならば屋敷よりも大規模なのは当然だろう。だが教団の本部は教会の外見だ。教会に負ける貴族の屋敷など恥ずべきではないのかね?」

「そこ、聞こえているぞ」


 霧江に(たしな)められた。人様の家に対し失礼な発言を連呼していればこうなるのも当然だが。


 そんな一悶着もあったが、一行は下車し、屋敷の玄関へ。

 帰還した者たちを出迎える使用人たちというフィクションにありがちな光景が真っ先に現れたが、それを横目にしつつ、悠人とローラは冷泉院兄妹の案内で屋敷の応接間へと向かう。


 程なくして、とある観音開きの扉の前で兄妹が足を止めた。ここが話し合いの場として用意している応接間なのだろう。


「こちらです。お掛けになってくださいね」


 海紗が扉を開ける。すると、豪奢でありながらも落ち着いた雰囲気を持つアンティーク調の内装が露わとなった。

 見ただけでも重厚感を匂わせる応接間へと入室し、中央に据えられている牛革張りのソファへと腰掛ける。と、壁の一部に打ち付けられてた一つの絵画がふと悠人の目に止まった。


(あれ、この人……)


 簡単に言えばその絵画は、バッスルドレスと呼ばれる後方の腰が膨らんだ特徴的なドレスを纏った一人の女性を描いたもの。絵の観覧者に向け、楚々とした微笑みを(たた)えている。

 だがそれ以上に悠人の目を惹き付けたのは、絵の中の女性の瞳が深紅で塗られている点。


(瞳が赤い……ってことは、彼女は吸血鬼……?)


 しばし吸血鬼を描いた絵画に心を奪われていた時のこと、不意に悠人は声を掛けられた。



「あの絵が気になるのかい?」



 声を掛けたのはエルネだった。ソファの背もたれにだらしなく寄りかかっているものの、語られる口は何処となく真摯さを含んでいた。


「えっと、あの絵の題材として描かれているの、吸血鬼なんじゃないかって思って……」

「当たりだよ、暁美。あの人の名前はアニュス・ディートリヒ……冷泉院暮土の母親だった吸血鬼だ」


 アニュス・ディートリヒという名らしいその女性の顔を懐かしげに眺めながら、エルネは郷愁を語った。


「そしてあの人はアタシの身を吸血鬼に変えた、アタシの主人(マスター)でもあった。とても自由奔放で、そして優しい性格だった。争いを好まない平和主義者だった……」

「そんな平和主義の吸血鬼、真祖としての全盛期には見た覚えがなかったんですが……」

「当然だろうねェ。あの人は先代クルースニクがまだ健在だった頃からの古参だったが、真祖に付き従ってはいなかった。真祖の元にいる吸血鬼は皆好戦的だから、平和主義者のあの人が付かなかったのは当然だろうよ」

「それで、彼女は今何処で何をしているんですか?」

「……それは、」


 エルネが口を(つぐ)む。何か後ろめたいことがあるのか、顔には僅かに困惑が浮かんでいた。

 その時、今まで話を聞いていた霧江が横槍を入れた。


「エルネ、答える必要はない。『不必要に彼女のことを話すな』と父さんにも言われただろう?」

「兄様……」


 感情の分からない声で淡々と話す霧江を、海紗が不安そうな目で見ていた。彼らがそれぞれ何を思っているのかは、悠人には図り知ることができない。


「とにかく、俺たちの祖母――アニュスに関することは父さんからあまり語るなと忠言されているんだ。答えられなくてすまないな」


 やはり感情の篭っていない声で霧江が謝罪した時、出し抜けにローラが霧江に尋ねる。


「そうやって黙秘をするのは父親の体裁のためかね?」

「は……?」


 霧江の瞳に一瞬だけ動揺が浮かんだのをいいことに、ローラは間髪入れず追及する。


「貴様らがアニュス・ディートリヒのことを頑なに語ろうとしないのは、彼女の存在そのものが父親――強いては半々吸血鬼(ハーフダンピール)である貴様らの体裁に直結しているからなのだろう? 体裁が損なわれることがそんなに恐ろしいのかね?」

「……」


 しばし沈黙した後、霧江が鋭い視線をローラに向けた。


「……お前には、」

「何だね?」

「お前のような腐れ教団の聖女には、冷泉院家が抱える闇など分からないだろうな」


 その所属組織を侮辱するような発言に、聖女としての誇りが高いローラが激昂したのは当然の摂理だった。


「――っ、貴様!! マリーエンキント教団を侮辱するなど――!!」


 彼女は立ち上がり、対角線上に座る霧江の元へ。そうするや否や、彼の胸倉を思い切り掴み上げた。

 だが、霧江は謝罪することもしなければ蒸し返すこともしない。憐れむような目でローラの銀灰色の瞳を射ているだけ。


「……聖女とはいえ、これまでお前は何も教えられずに生かされていたようだな」

「……」


 ローラが途端に黙る。霧江同様、彼女もまた自身の痛いところを突かれたような反応をしていた。

 その反応を目の当たりにし、霧江は何を思ったのだろう。


「……まあ、いい。何も知らないのであればヒントくらいはやろう。あとは自分たちで考えることだな」


 諦観と呆れと怒りを攪拌(かくはん)したような感情を浮かべつつ、言葉を続ける霧江。



半々吸血鬼(ハーフダンピール)である俺と海紗はさほど苦しんでいないが、それ以上に濃い吸血鬼の血を持つ父さんはずっと苦しんでいた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、それによって生まれた自身への負い目によってな」







*****





 結局、会合は中止となってしまった。

 気分を害した霧江が「これ以上は何を聞かれても答える気になれない」と唾棄したためだ。今思い返せば非常に散々な結果である。


 そして現在、悠人とローラは海紗に家まで送り届けてもらっている。


「……ごめんなさいね。このようなことになってしまって」


 帰路にて、海紗が沈鬱そうな声を零す。


「まさか兄様があのようなことを口にするなんて予想外でした。そのせいでローラさんに大変不快な思いをさせてしまって……本当に申し訳なく思っています」


 兄とは違い、彼女はローラのことを侮辱する気はないようだ。でなければ、兄の暴言を代わりに謝罪などするはずもないのだから。


「兄様があのようなことを口にしたのは、誰よりも父様のことを尊敬しているからなのだと思います。わたしも父様には誇りを持っていますが、兄様はそれ以上……父様が喜ぶことならなんだってする人なんです」

「つまり会長はファザコン……と」

「言い換えればそうなのかもしれませんね」


 海紗は小さく笑う。そのまま彼女は、悠人とローラに対し呟くように言ったのだった。


「兄様のこと、どうか嫌いにならないでください。兄様は人一倍不器用で独善的ですが、本当は家族思いで心優しい方なんです。今日は父様を慕うあまりあんなことを言ってしまったようですが、心の中ではきっと貴方たちのことを案じているはずですから」

「……信じられんな」


 ローラが疑いの目を向ける。彼には組織を蔑まれたのだから、そのような反応をするのは無理も無い。

 それでも海紗は懇願する。


「信じてください。わたしたち冷泉院家は貴方たちの味方でありたいんです。今日暁美くんに血を与えたのも、暁美くんのことを支えられるのは吸血鬼の事情を知っているわたしたちだけだと思ったからなんですよ」

「……」


 悠人には、どうも海紗が嘘を言っているようには思えなかった。


「……まあ、会長も海紗さんも学校では生徒会として信頼していた存在ですからね。今さら疑うこともできないですよ」

「そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」


 礼を述べながら、彼女は心の底から嬉しそうな微笑みを浮かべた。その淑やかさが直視できず、悠人は思わず赤面しながら目を逸らす。

 実を言えば、冷泉院海紗は校内では男子生徒の憧れの的となっている存在である。才色兼備の大和撫子という佇まいと立ち振る舞いは、年頃の男子を釘付けにするには及第点と言っても過言ではない。『鉄血会長』として生徒中から恐れられている兄とは大違いだ。


 一方、海紗に対し初々しく照れたような反応をする悠人を、ローラが非常に冷めた目で見ていた。仮にも真祖である身が女性に対して鼻の下を伸ばしていることに節操無しという印象を感じているのだろうか。


「あ、ローラ……」

「貴様が他の女性に色目を使おうが私には知ったことではない。うら若き女性を誘惑するのは真祖の常套手段だろうからな」

「……言っておくけど、それ誤解だからな?」


 四百年前は何百人何千人もの乙女の血を啜ってきたが、自身から色目を使ったことは一度も無い。たいてい四使徒たちが誘拐してくるか、犠牲者自ら真祖の見目麗しさに釣られるかであった。

 教団が誤解したのか捏造したのかは不明だが、ユークリッドが節操無しというのは真っ赤な嘘なのは確実である。事実が捻じ曲げられているというのは、当人である悠人としては非常に釈然としない。


「お二人とも、仲がいいんですね」


 悠人とローラのやり取りを間近で見ていた海紗が、微笑ましそうな表情を浮かべる。

 だが彼女は誤解しているが、悠人とローラはとりわけ仲が良い訳ではない。共闘の盟約を交わしてからは若干関係が改善されたものの、二人の間にはやはり仲良しとは言い難いものがある。


「いや、仲がいいって訳じゃなくて……」

「諸事情から盟約を結んでいるだけだ。殺しはしないと決めたが断じて好意を抱いてなどいない」

「殺しはしない、ですか……」


 悠人とローラの弁明を受けた海紗の表情は、ひどく形容しがたいものであった。嬉しそうでもあり疑わしそうでもあり悲しそうでもある。

 真祖とクルースニクが互いに殺し合いをしていない現状に、彼女が何を思ったのかは分からない。だが、少なくとも霧江のような露骨な嫌悪ではないということははっきりと分かった。


「海紗さん?」

「あっ、何でもないですよ。ちょっと真祖とクルースニクが仲良さそうにしているのが意外だっただけで……」

「まあ、そうでしょうね……」


 そんなやり取りを三人でしているうち、いつしか悠人の目に見える景色が自宅周辺のそれになる。


「っと、もう着いたのか……。海紗さん、送り届けてくれてありがとうございました」

「いえいえ。仮にも暁美くんに協力すると言った身ですし、これくらいはしておかないと」


 深々とお辞儀をする海紗。その物腰の柔らかさに、曲がりなりにも純情な男子である悠人はつい虜になってしまいそうになる。

 そして無意識に頬を紅潮させてしまっている彼を、やはりローラが冷めた視線で見つめていた。決してやましい思いを抱いている訳ではないのだが。


 と、その時、思い出したかのように海紗が言い加える。


「あ、あと暁美くん。最後にもう一つお願いが……」

「何ですか?」


 尋ねると、彼女は肩を震わせ呼気を荒げながら、どもるように悠人にうたのだった。


「あのっ……できれば今後血をもらう時はわたしとかエルネさんとかじゃなくて、兄様からでお願いします! やはり異性からもらうよりも同性からもらう方が健全じゃないですかっ! いや、できればちょっと不健全な方がわたしにとっては萌えるのですけれどっ!」


 何故か興奮気味に叫んだ後、羞恥に耐え切れなくなったのか、海紗はそのまま走り去ってしまった。

 彼女の後ろ姿を、ローラが怪訝に見つめている。


「一体何なんだね、彼女は。吸血するのに異性も同性も関係無いであろうに」

「……まあ、あの人なりのこだわりなんだろうな」


 学園随一の大和撫子である冷泉院海紗の特殊すぎる性癖に何気なく気付いてしまった悠人は、苦笑いすることで誤魔化した。

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