混ざり者の双子
悠人を抱えたまま、ローラは廊下を走り抜ける。
(何処か、何処か人気の無い場所は――)
美少女に抱かれる美男子という光景を周囲が珍妙な視線で見送っていたが、そんなものなど必死な彼女の目には映らない。
とにかく今は、いつ欲望に駆られ人間を襲うか分からない悠人のことを人気の無い場所に隔離することが最優先だった。
実を言えば、どうして彼の窮地に対しこんなにも必死になっているのか、ローラ自身でも分からなかった。
かつての自分ならば、きっと悠人が吸血欲の片鱗を見せた時点で容赦無く撃ち殺していたことだろう。なのに今は、苦しそうに悶絶する彼のことをどうにかして助けようとしている。撃ち殺すことなど端から考えてもいなかった。
(私は日常に慣れすぎたのか? それとも――)
教室で銃剣を抜けば平和ボケしたクラスメイトたちが混乱してしまう――そんな良心による想いもあった。
しかしそれ以上に「暁美悠人を殺したくない」というクルースニクにあってはならない感情の方が勝っていた。
(――違う、勘違いはするな私。ユートに死なれては困るのはあくまでも交わした盟約を守るためだ。決してそういった感情では無い。忘れるな……!)
遊園地での戦いの際に抱いた不可解な交情が脳内に渦巻く。それを意識しないようにしながら、たまたま目に入った屋上へと通じる階段を上へ――
「何をしている」
行こうとしたが、妙に威圧感を含んだ冷徹な声に食い止められた。
「君は編入したばかりだから知らないのだろうが、この学園の屋上は立ち入り禁止だ。訳があるのだとしても認める訳にはいかないな」
一瞬足を止めてしまったローラに、声の主が機械的な動きで近寄ってくる。
七三分けに分けられた黒髪と日本人にしてはやや高めの身長を持つ、いかにも真面目一直線といった少年だった。しかしその身に纏われた冷然とした雰囲気が、彼に只者では無い印象を与えている。
銀縁眼鏡の下の藤色の瞳は、ローラたちを鋭く捉えていた。
「冷泉院、会長……?」
抱えられている悠人が、呆然と呟く。彼にとっては見知った人物なのだろうが、ローラにとっては不審な初対面の人物でしかない。
「誰だね貴様」
敵意剥き出しの剣呑な声音でローラに問いただされても、少年は厳格そうな雰囲気を崩さない。
「冷泉院霧江。冷泉学園高校の生徒会長だ」
「生徒会長……つまりはこの学園の生徒の長ということか」
「そうだ。この学園の生徒である以上、俺の言うことを聞いて貰わなくては困る」
「随分と傲慢な奴だ。そのような態度では生徒も離反するのではないかね?」
「生憎、そのようなことは一度も無い。安心しろ」
何を言われても冷然と言葉を返す霧江。だが眉間に皺を寄せているあたり、反抗的なローラに対し俄に呆れ始めているようだ。
一方何を言っても論破する霧江に、ローラは非常に苛立っている様子。形の良い桜色の唇を歪め、唸るようにして彼を睨み付けていた。
殺伐とした硬直状態に、物々しげに見物している生徒たちは一切介入することができない。苦悶を顔に浮かべる悠人を指差し「このままだと彼がまずいことになるぞ」と口出しすることさえ、ローラと霧江が放つ威圧感のせいで憚られていた。
だが、この緊張は思いもよらぬ第三者によって破られる。
「もう、兄様! そのようなことをしている暇があったら暁美くんのことを気遣ってください!」
やや立腹した様子でこちらに駆け寄ってきたのは一人の少女。日本人形のように艶やかな黒のロングヘアを持つ彼女は、現在ローラが対峙している少年と顔のパーツが非常に一致している。こちらは眼鏡を掛けていないが、やや切れ長の藤色の瞳もやはり共通していた。
あまりにも霧江と似通ったその容姿から、ローラは少女の正体を即座に看破する。
「貴君、さてはこの少年の姉か妹なのではないかね?」
「あ、はい。わたしはこちらの冷泉院霧江の双子の妹です。名前は海紗、冷泉学園高校生徒会の副会長を務めています。どうぞお見知りおきくださいね」
兄とは異なり、海紗という名らしい妹の方は随分と物腰柔らかであった。そうでなければ、ローラに対し深々とお辞儀をしたりなどしない。
が、軽く挨拶をした直後、彼女は再び怒りを装い霧江に向かい合う。
「それよりも兄様、早くわたしたちの仕事を済ませるべきですわ。今すべきことはこちらの彼女といがみ合うことでは無く、暁美くんに血を飲ませることでしょう?」
「何だと!? さては貴様らは――」
彼らは悠人が吸血鬼だと知っている。おまけに血を飲ませようとしている。
たったそれだけの事実が、霧江と海紗のことを不審人物から警戒対象へと押し上げた。
だがその反応は彼らにとっては想定内のことだったようである。霧江はローラから悠人を取り上げ、そのまま立ち尽くす彼女のことも手招きする。
「付いて来い。何も知らない人間の前では吸血鬼に関する話はできないだろう? マリーエンキント教団のクルースニク」
*****
冷泉院霧江、そして冷泉院海紗。彼らはこの冷泉学園高校ではその名を知らぬ者などいない有名人であった。
まず第一に二人は、古くから夜戸市内で最高権力を誇る元華族の名家・冷泉院家の子息並びに令嬢である。つまり筋金入りの超お金持ち。それだけでも充分注目を集めるに値する。
が、彼らを有名たらしめているのはそれだけでは無い。冷泉院家の現当主でもある彼らの父親・冷泉院暮土は、この冷泉学園高校の理事長でもあるのだ。
二人とも、まるで父の背中を追うかのように、血族が経営している高校に入学し、さらに生徒会長と副会長の座を獲得している。しかしその過程に家のコネは一切存在しておらず、完全な実力で勝ち取ったというから驚きだ。
生徒はおろか地域住民からも名を知られているそんな彼らは、何故か悠人の本性もローラの正体も知っているようであった。
「着いたぞ」
霧江が足を運んだのは保健室。何の躊躇もなくドアを開け、一番手前にあったベッドに悠人のことを横たえる。
そして彼は、すぐさまドアの方を振り向き、
「お前たちも入れ」
しかし言われたものの、ローラは明らかに警戒心を剥き出しにしている。が、睨め付けるような視線は霧江の方に向けられていない。彼の僅か後方に向けられている。
「……ここで襲撃する気ではないのかね?」
「しない。俺としては学園内で派手な戦闘をすることは避けたい事態だからな」
霧江の説得を受け、ローラが鼻を鳴らしながら入室する。だがやはり、警戒態勢は解けていない。彼女はいったい何を畏れているのだろうか。
一方、ローラと同じく後を付いてきた海紗はというと、
「あっ……暁美くんが兄様に抱かれて保健室……! これはまさしく、この前同人誌で見た一場面の再現……!」
何故かドアの前で激しく口元を押さえていた。呼吸は荒く、頬は赤い。まるで興奮しているかのように見える。
そんな彼女を目にした霧江の表情が、露骨な嫌悪を宿したものとなった。
「……海紗。殴られたいのか?」
「あっ……ごめんなさい兄様。兄様と暁美くんが密接しているのを見て、つい……」
「全く……お前の悪趣味も大概にしろ」
溜め息を吐きつつも、全員保健室に入室したのを見計らい、霧江は改めて話を切り出す。
「さて、ここならば安心して話せるだろう。ちょうど暁美も体調不良ということで誤魔化せるからな」
確かに体調不良の者を連れてくるに最適な場所ではあったが、何故ここで「安心して話せる」のかは全く理解不能であった。
(だって……養護教諭の薬研先生は普通の人間じゃ……)
その考えは杞憂であったことを、悠人はすぐさま思い知らされる。
「おや、ご苦労だったねェ。暁美はまだ正気を保っているのかい?」
珍しくだらけていない養護教諭・薬研エルネのその口振りは、まるで悠人が吸血衝動で今にも狂いそうなことを示唆しているようでもあったからだ。
「ああ。とはいえ今にも発狂寸前といったところだが。エルネには悪いが、治療を頼む」
「はいはい、面倒だけどやってやろうじゃないか」
その会話は、先生と生徒の間で交わされているものとは思えなかった。互いにフランクな語り口は、まるで頼りになる親友同士で喋っているよう。
もしかしたらエルネと霧江はグルなのではないか――そんな予想が、悠人の頭をよぎった。
その予想は、ある意味では的中していたのだが。
「ああ、暁美には言ってなかったねェ。アタシは学園関係無しに冷泉院に雇われの身なのさ」
相変わらずのんべんだらりと語ってはいるものの、表情は真剣なエルネ。
そんな彼女の手には、赤く鉄錆臭い液体で満たされた試験管が握られていて。
「飲みな。少しは楽になるだろうよ」
「……それって、」
「人間の血液に決まってるだろう。アンタはもうこれしか飲み食いできないんじゃないのかい?」
悠人の動揺を無視し、エルネは彼の口に強引に試験管を突き入れる。
直後、口腔内に蜂蜜にも似た甘味が行き渡った。あまりの芳醇さと美味に、思わずそれを嚥下せずにはいられない。たとえそれが血液だと分かっていても、だ。
ものの数秒で試験管は空に。そして悠人の身を蝕んでいた苦痛と飢渇も嘘のように消え去った。
悠人はしばらく血の味わいの余韻に浸っていたが、口元から試験管が離れると同時、ハッと目を覚ます。
「……っ! 薬研先生、何で……!」
「吸血鬼というのは最低でも一週間に一度吸血をしないと発狂死するのさ。尤もアンタはクルースニクにしか殺せないから、ただ延々と狂気に侵されるだけだけどねェ。それはそれで面倒だろう?」
面倒そうに語りながら、エルネは何処からか二本目の試験管を取り出す。
まさかまた自身に飲ませる気なのでは――悠人はそう思うが、
「さてと、アタシもそろそろ頂くとするかねェ」
試験管の口は、エルネの唇の方を向いていた。
「な、っ……!」
思わぬ光景に悠人は絶句するが、エルネはそれに全く介意しない。薄く頬を紅潮させ、吸血鬼のように美味そうに血を味わっている。
そしてこの時を以て、何故ローラが保健室に異様な警戒心を見せていたのかということの答えを知った。
「薬研先生……アンタ、吸血鬼だったんですか」
「ああ、そうさ。アタシの本性はエルネスタ・メディチという名の吸血鬼なのさ。ま、本当の名前は覚えなくてもいいんだけどねェ」
「でも先生の瞳の色、赤じゃないですよね? なのに吸血鬼なんですか?」
「普段はカラーコンタクトで誤魔化しているだけなんだけどねェ。取れば普通に深紅の瞳だよ」
ふわふわとした黒髪を掻きながら返答するエルネ。相変わらず怠そうだ。
そんな彼女に詰問をしたのは、対吸血鬼討滅組織の聖女・ローラだった。
「薬研エルネ――否、エルネスタ・メディチ。貴様、この学園の生徒会や理事会と結託してユートのことを奪取しようとしていたのかね?」
「そんなんじゃないよ。そもそもそのために寄越された吸血鬼だというのなら、偉大な真祖サマに対してこんな無礼な態度を取る訳が無いだろうに」
「では何故……」
「言っただろう? アタシは学園関係無しに冷泉院に雇われの身だって」
エルネがちらりと、霧江と海紗の方に目線を遣る。
「何せ冷泉院家は吸血鬼と交わってる一族だからねェ。吸血鬼からも教団からも目を付けられてる以上、アタシがこうして傭兵のように護衛してるしかないのさ」
その発言は、ローラのことも悠人のことも瞠目させた。
「……そうか。つまり何人かの教団員この市の近辺に滞在しているのは、この一族の監視のためだったのか……」
納得したような意を見せたローラが、改めてエルネに問いただす。
「もしかするとだが、貴様らの一族では半吸血鬼を匿っているのではないのかね?」
「半吸血鬼……?」
耳慣れない言葉に首を傾げる悠人。これまで人間として普通に生活を送ってきた時はおろか、四百年前に真祖として君臨していた時にも、そのような単語は聞いた覚えが無い。
「半吸血鬼。吸血鬼と人間の間に生まれた混血児のことだ」
悠人の疑問に答えたのは、たまたま悠人の近くにいた霧江。
「吸血鬼並の身体能力と年を重ねるのが遅いことを除けば、半吸血鬼は普通の人間と同じような存在だ。血液以外も飲み食いできるし、鏡にも姿が映る。尤も、大抵の母胎は人間以上の力を有するその存在を腹に宿すことに耐えられないため、この世に生まれることはかなり稀だがな」
「半吸血鬼って奴を匿ってるにしても随分と詳しいですね、会長」
「当たり前だろう。その冷泉院家の半吸血鬼とは俺と海紗の父さんなんだからな」
「え……!?」
つまり、この学園の理事長・暮土は人間では無かったということだ。
確かに暮土の容姿は理事長を務めている割には若々しいとは、悠人も薄々思っていた。今までは失礼ながら若作りしているのかと思っていたが、それは半吸血鬼としての性質由来のものだったのだろう。
そしてもう一つ、悠人には理解できたことがある。
「えっと……つまり理事長が吸血鬼と人間の混血ってことは、冷泉院会長と海紗さんにも吸血鬼の血が入ってるってことですか……?」
「ああ。半吸血鬼以上にほぼ人間に近い存在になっているが、俺も海紗も吸血鬼の血を持っている」
それまで冷然とした表情ばかり浮かべていた霧江が、この時初めて薄く笑みを浮かべた。
「半々吸血鬼――俺と海紗は、そう呼ばれる存在だ」




