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再来する渇望

 午前六時、ローラ・K・フォーマルハウトは起床した。

 が、目を覚まして直後、彼女は気付く。


「何だ、起きていたのかね」

「……」


 この部屋の本来の主・暁美悠人はすでに起きていたのである。普段はローラの方が先に目覚めるため、この事態は些か奇妙に感じた。

 が、よくよく見てみれば悠人の目元にはうっすら隈が浮かんでいる。これは早く起きたというよりも、一睡もできなかったと判断するべきだろう。


「眠れなかったのかね?」

「……」


 尋ねてみるも無反応。深紅色の瞳をこちらにじっと向けているだけだ。しかもただぼうっとしている訳ではなく、何か意味ありげな様子のように思える。

 彼の瞳の奥に秘められた感情に、ローラは微かな違和感を覚える。


(……何だ? まるで私を測っているかのような、彼の視線は……)


 今まで彼がこのような視線を自分に送ったことがあっただろうか――そう思考した矢先のこと、悠人がローラに向けおもむろに開口する。



「……何故、あの時の貴様は……」



「は……?」


 戸惑う。

 銃を突き付けたり、裸を見られ殴ったり……確かに自分はこれまで悠人に対しいろいろな報復をしてきた。が、彼が言う『あの時』が何時(いつ)の報復を指しているのかは分からない。


「貴君、一体何の話をしているのかね……?」


 おずおずと尋ねると、まるでハッと目を覚ましたかのように、悠人の瞳の中の懐古は吹き飛んだ。

 「自分は今何をしていたんだ」とでも言いたげに、目を数回(まばた)きさせている。


「あれ……? 俺、今何か変なこと言ってた……?」


 口調も堅苦しいものから年頃の男子高校生相応のものへと変化している。ということは、先ほどの彼が妙なことを訊いてきたのは、彼の意識が夢現の中にいたからなのだろうか……?


(……考えても分からんな)


 そう、ローラは割り切った。

 先ほど悠人が考えていたことは、自分には何のことかさっぱり分からない。それに彼でさえも曖昧にしか覚えていないようだし、これ以上追及しても堂々巡りするだけだろう。

 だから、話題はこちらから打ち切らせてもらった。


「……いいや、ただのくだらぬ寝言だった。『今日の朝食は何なのか』といった類のな」

「人間の味覚無くしてるのにそんなこと言ってたのか、俺……。でも、あまり大それたことを言ってないみたいで安心したよ」


 微かに笑いながら、悠人はベッドから飛び降りる。


「ほら、さっさと支度しないと。今日は平日だろ?」


 と言いつつ、部屋を出るためにドア付近まで歩こうとした瞬間、



「――っ?」



 暁美悠人は盛大にすっ転んだ。

 まるでバナナの皮を踏んで滑ったかのように、激しい物音を立てて崩れ落ちた。


「……何をしているのだね、間抜け」

「間抜けは余計だ。ただちょっと目眩がしただけだ……っ」


 壁伝いによろよろと立ち上がる悠人。何事も無かったかのように平静を装い、再び足を踏み出す。


「……っ、早く着替えろ。お前が早く着替えてくれないと俺が着替えられないんだよ。淑女が服脱ぐところを凝視する訳にもいかないだろ?」


 その言葉を残し、悠人は一旦自室を出る。

 やはり、先ほど目眩を起こし崩れ落ちたのを自ら帳消しにしながら。


 だが、帳消しにされてもローラは気付いていた。


(微かに荒い呼吸、僅かに焦点の合っていない瞳……。間違いなく、今の彼は常の状態では無い)



 現在の暁美悠人は吸血鬼特有の飢渇症状を起こしている。





*****





 遊園地でのゼヘルとの戦闘から、三日ほどが経過した。


 夜戸市で起こった一連の殺人事件は、公には「犯人の自殺」という形で終息したことになっていた。厳密には主犯であるゼヘルは死んでなどいないのだが、遊園地での出来事を最後に姿を見せなくなったのだから、何も知らない人間にはそう結論付けられても仕方無いとは思う。

 しかし、いったい誰が「犯人の自殺」という事実をでっち上げたのだろう。少なくともゼヘルについて知っている人物で無ければ成し得ないことだとは思うが、こんな近場に吸血鬼関連に精通した第三者がいるものなのだろうか。


 結論、悠人とローラで一緒に考えても真相は闇の中。

 得られた事実は、人質として攫われた叶も一人で置き去りにされた解も何事も無かったということだけ。しかし日常を護ることに固執する悠人としては、それだけでも充分だった。





 とはいえ、未だに事件の余熱は冷めきっていない。学園中は事件の真相についての話題で持ち切りとなり、前以上に騒がしさを増している。


「もう三日経ってるのに、まだ事件のことで騒いでるのかよ。鬱陶しいな」

「しばらく事件の捜査でメルヘンエンパイア休園だってさ。今度の休みに行こうと思ってたのにマジ最悪」

「私、マスコミからインタビュー受けちゃったよー。どうしよう、テレビ出ちゃうのかな」

「そういえばだけど、死んじゃった犯人ってかなりのイケメンだったらしいよ? 一度でいいから顔見たかったな……死にたくは無いけど」


 そんな喧噪の中、事件の真相に半ば関与している悠人とローラ、若干ながら事件に巻き込まれている叶と解の四人は、所属クラスである二年E組の教室で、机を寄せ合い昼食を取っていた。


「みんなまだ騒いでるねー」


 購買で買ったクリームパンを頬張りながら、叶がきょろきょろと教室を見渡す。

 その表情は至って平然としたもの。自分たちが事件に巻き込まれているということなど全く知らない様子であった。


「あたしたちが遊園地に行ってる間に解決したんでしょ? 何があったんだろ」

「さあな。なんか園内に潜伏してたらしいけど、その後自殺したんだと」


 事件の真相を知っていながら、あえて悠人ははぐらかした。


(……もうカナのトラウマを抉るようなことはごめんだからな)


 叶は遊園地で攫われたことをあまり覚えていなかった。どうやら彼女の頭の中では「いつの間にか疲れて眠ってた」ということになっているらしい。ゼヘルが悠人とローラ以外に大きな怪我を負わせなかったということも、上手い具合に誤解されている要因なのかもしれないと思う。

 事件の終息と共に、自身のトラウマに直結することとなる不安もすっかり消え去っている様子。叶のトラウマを刺激することを極度に恐れる悠人にとっては、この上ない幸運だった。


 一方叶とは異なり、解の方は僅かに事件のことを覚えているらしい。


「でも浅浦さんに何も無くてよかったよ。ただでさえあの犯人の身体能力はずば抜けたものだったから、か弱い浅浦さんじゃっきっと太刀打ちできなかったと思う」

「あれ? そういえば城崎くんは犯人に襲われたんだったっけ?」

「うん。悠人とフォーマルハウトさんがお化け屋敷に行ってる間にね。とは言ってもただ殴る蹴るといった暴行を受けただけだし、命に別状は無いよ」


 いつも通りの爽やかな微笑で答える解。大したことは無いとはいえ、彼は全身に打撲などの傷を負わせられているはずだ。本当は傷の痛みを堪えていてもおかしくない。

 なのに、微かに見えている肌に傷跡らしきものも包帯やら絆創膏やらも見えていないのは若干奇妙に感じる。


「僕の傷の治りが早いのが気になるのかい?」


 悠人の内心を最初から読み取っていたかのようなタイミングで、解が口を挟む。


「実は犯人に襲われた後、ちょっと病院に診察してもらいに行ってたんだ。勝手にいなくなってしまったから悠人たちにすごく迷惑をかけたのは申し訳無く思ってる。でも診察を受けてもらった病院がとても優秀だったから、悠人に心配させないくらいまでに完治できたのはよかったかな」

「……病院?」


 サンドイッチを咀嚼しながら話を聴いていたローラが、突然訝しげに顔をしかめた。


「おかしい。彼のことはあの時私が……」

「ローラ? 何か気になるのか?」

「……いいや、何でもない。貴君は食事に集中したまえ」


 そう言ってローラはサンドイッチの咀嚼を再開。だが、怪訝の表情は拭い去れていない。

 彼女の様子を妙に思いながらも、悠人は言われた通りに食事(の真似事)を続けた。


(……まだローラは解と打ち解けてないのかな)


 解がローラをどう思っているのかは不明だが、今でもローラは解に対し疑念と不快を抱いているのではないかと思う。邪魔が入ったとはいえ、せっかく叶が企画してくれた遊園地での親睦会が完全に無駄になってしまっている。


(あれだけ険悪だった俺とローラの関係も普通レベルに改善されたんだから、解とローラも普通に接すればいいと思うんだが……)


 ローラに対し不安の眼差しを向けたその瞬間、またしても見透かしたようなタイミングで解が声をかけてきた。


「なんか悠人……前と雰囲気変わったよね」

「えっ?」

「なんか前よりも他人に目を向けるようになったというか、今まで以上に人の感情に敏感になったというか……。今までは浅浦さんにしかそういった反応しなかったよね」


 親友の感情の変化にさといあたり、流石は悠人第一の城崎解という男だと思う。


「俺……そんなに変わったかな」

「うん。たぶん今までの悠人は幼馴染以外にはかなり朴念仁だった」

「そうか……」


 親友の発言にいまいち煮え切らない感情を悠人が抱いた――その時のことだった。





「……う、ぐうっ……!?」





 またしても悠人は何の前触れも無しに多大な痛苦に見舞われた。


 五臓六腑から込み上げる吐き気と喉に纏わり付く不快な飢餓、割れんばかりの頭痛と激しい動悸。

 間違いない。自分が吸血鬼として再覚醒した日に起きた症状と全く同じものが、今再びこの身に牙を剥いている。


「悠人!?」

「悠くん!? どうしたの!?」


 慌てて解と叶が近寄ってくる。

 だがこの症状に心当たりしかなかった悠人は、慌てて彼らを突き放した。


「お前らっ……来るな、ぁっ……!」

「――っ!」

「どうして!? どうしてそんなこと言うの!?」


 悠人の想いを察した解はすぐに身を引いてくれたが、何も知らない叶は幼馴染がそのような反応をした理由が分かっていないようであった。

 きっと彼女には、今の自分は「心配を掛けさせないように無理をしている」というよりも「何かを恐れるかのように周囲を拒絶している」ように見えていることだろう。しかしそれは間違いでは無い。数日前に犯した罪と同じ罪を繰り返したい衝動に、悠人は駆られている最中なのだから。


(カナの血だけは……吸いたく、ない……!)


 これは吸血鬼特有の衝動だと、悠人は薄々気付いていた。

 激しい渇きと共に、悠人は叶を目にして「彼女の血を飲みたい」という激烈な感情を抱いている。認めたくは無いが、初めて口にした彼女の血は美味であった。心では否定していても、身体がそれを麻薬のように求めている。


「あっ、ぐ……」


 叶の方を見ないようにしながら、悠人は必死に衝動に耐える。しかし彼女の匂いを嗅ぐだけで、今にも吸血の欲望に精神を侵されそうになってしまう。

 いつしか異変に気付いたクラスメイトたちが、野次馬として周囲に集まってきていた。だが飢える悠人にとってそれは、助け舟というよりも群がってきた格好の獲物たちにしか見えなかった。


 そんな中、悠人の事情を知っているローラが立ち上がる。


「貴君ら、心配は無用だ。ユートのことは私がどうにかする」


 群がるクラスメイトたちにそれだけ告げると、彼女はクルースニク特有の並外れた力で、倒れ伏す悠人の身体を軽々と抱え教室を出た。


「悠くん……」


 そんな二人を見送る叶の視線に不安と()()が織り交ざっていたことなど、脱兎のごとく教室を抜け出た彼らには知るよしもなかった。

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