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薄れる殺意

 悠人よりもやや遅れて戦場へと足を踏み入れたローラは、思わず言葉を失った。


 まず目に飛び込んだのは、アスレチックの遊具の上にうつ伏せに寝かされている浅浦叶。彼女の頭上ではギロチンのように刃が空中停滞しており、無実の罪人の首を刎ねるその時を今か今かと待ち続けている。

 次に目に飛び込んだのは、胸から大量の血を流し倒れている暁美悠人。吸血鬼特有の異様な再生力のおかげで傷は地道に修復されているようだが、それでも常人ならば確実に即死しているはずの傷を負わせられた今の彼は仮死状態に等しい。

 そして最後に目にしたのは、血色の刀身にさらに赤々とした鮮血を纏わせ嗤う吸血鬼ゼヘル・エデル――


「――き、さまああああああああぁぁぁっ!!」


 ローラは感情のままに叫んだ。このような外道を断じて許す訳にはいかぬと、衝動に任せて銃剣の引き金を引く。


『Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光)!!』


 なりふり構ってなどいられなかった。銃剣を構えながら疾駆し、硝煙で視界が遮られるのも厭わず、ただ一目散に無数の銃弾を放つ。全ては敵に無数の風穴を開けるためだけに。


『Magnificat anima mea Dominus, et exultavit spiritus meus in Deo saltari meo(我が魂は主を崇め、我が霊は救世主たる神を喜び讃えん)!!』


 さらに詠唱。それと共にローラの走力がさらに飛躍し、もはや音速と言っても過言では無いくらいの速度にまで至る。

 この詠唱は単純に身体能力を大幅に向上させるためのもの。こうでもしなければ、人間よりも遥かに能力が跳ね上がった夜の四使徒を討つことが不可能だからだ。

 音速に至った聖女は瞬時に敵に接近した。硝煙が立ち昇り視界が悪くなっているのを好都合とし、強化された視力聴力を頼りにして止めの一撃を喰らわせんとする。


 が、



「――この程度がクルースニクの神術の本気なのか?」



 嘲笑が聴こえる。冷笑が見える。壮絶に嫌な予感が走った。

 そして、その予感は見事に的中。


「興醒めだな。先日の交戦と同様、自分と対等に戦えるだけの実力を持っているものだと思ったのだが」


 ほぼ無傷に近い状態のゼヘルが、嗤いながら銃剣の切っ先を受け止めていた。

 感情任せに攻撃していたせいで敵の迎撃体制に気付かなかったローラは、そのまま大剣によって豪快に振り落とされる。


「う、あっ……!」


 そして、後方に生えていた樹木の幹に思い切り叩き付けられた。


「何という無様。真祖様を殺すために生まれた存在ならば、せめてこの自分を下せるほどの神術を繰り出さなければ話にならぬとは思わぬのか?」

「……くっ……」


 失望の声に反して表情は笑顔。そんなゼヘルを(しゃく)に思うローラだが、内心では彼の発言に非常に焦っていた。


 神術。それは吸血鬼を討伐する聖騎士たちが持つ『神の奇蹟』と呼ばれる聖なる力を、悪しき者たちを祓うための力へと変換して打ち出すための体系的な術式のことである。

 神術というものは元々の素質と神への信仰心があれば誰にでも扱えるが、素質と信仰心が高ければ高いほど強力な攻撃ができるようになる。だから、神から真祖を討つための祝福を受けたクルースニクであり、教団で神に選ばれた者としてひたすら清貧に生きてきた聖女であるローラは、それでこそ四使徒と対等に戦えるほどの神術を扱える――はずであった。


 なのに、クルースニクの神術が四使徒に全く通用しなかった。夜間の補正が掛かっているとはいえ、先ほどの攻撃が威力の弱いものだったとはいえ、少しばかりは動きを鈍らせられるような傷を与えられると思っていたのに。


「先ほどまでの威勢の良さは何処へ行った? 貴下から来ぬのならば、この自分から先制するまでだ」


 思考を巡らせているうちに、ゼヘルが攻撃を仕掛けようとしていた。


 彼は服と鎧の間から紅の液体――おそらく人間の血液――で満たされたガラスの小瓶を開封し、その中身を空中目掛けて散布する。宵の風に乗せられ、たちまち周囲は鉄錆の臭いで満たされた。

 しかし撒かれた血は液体のまま地面に落ちることは無い。虚空の中で瞬時に硬化し、ローラ目掛けて飛来する――何本もの短剣(ダガーナイフ)の形状で。


「――ちっ!」


 即座に思考を止め、血色の投げナイフを避ける。ナイフたちは木にぶつかり元の液体に還る――と見せかけ、今度は一本の巨大な投げ槍の形状へと変化し、ローラの心臓を抉るために向かってくる。

 これでは避けてばかりでも拉致が開かないため、ローラは迎撃を決意。銃剣の刃で投げ槍を弾く。


 心臓を抉られることは免れた。しかし被弾は避けられなかった。鏃はローラの二の腕の肉を削り取る。

 鋭い痛みが走るが、我慢できないほどのものでは無い。止血のために患部を押さえ、冷静に戦況を読む。


(噂には聞いていたが……やはり厄介な異能だな)


 これこそが四使徒ゼヘル・エデルの吸血鬼としての能力――『血液による武器錬成(ヴァッフェンブルーテ)』。体外に流された血を元にして様々な武器を造ることができる能力である。

 自他のものを問わず、液体の状態で体外に出された血からであれば、棍棒や鏃といった原始的な武器から機関銃や爆弾といった現代的な武器まで精製できる。こちらの戦術によって精製する武器を変えてくることから、教団内では「彼の前で策など無意味」と言われているくらいだ。

 尤も彼の嗜好からか、精製される武器は剣が圧倒的に多い。ちなみに彼の最大の愛用武器である真紅色の大剣は、自分の血液で造っているものだ。


 それにしても、彼が未だに手にしている大剣はともかくとして、現在ローラを襲撃している投擲武器は誰の血から造ったものなのだろうか……?


「どうやら貴下は腑に落ちておらぬようだな。自分が造り上げた武器の原材料が何であるかを」


 その答えはゼヘル本人が教えてくれた。


「貴下と自分が初めて相見えてから今日までの数日間、この街から数人の死体が出たであろう? 彼らの血液だ」

「貴様、さてはそのためだけに……!?」

「無論、他にも理由はあるがな。今日この時に貴下を倒すため、吸血によって力を蓄えた――そのような理由だ」


 言いつつゼヘルは、先ほどローラに傷を負わせた投げ槍を回収、さらに叶の頭上で停滞していたギロチンの刃も用済みと言わんばかりに回収し、それらを自身が持つ大剣と融合させる。

 そうして形成されたのは、男性の平均身長よりもかなり高い身長を持つ彼の背丈を優に越す超長剣。しかもそれを二本も造り上げていた。


「さて、いつまでも遠距離攻撃ばかりではつまらぬだろう? そろそろこちらからも行かせてもらうとしよう」

「また厄介なことを……!!」


 まずいことになったと、ローラは思う。

 ゼヘルの能力の厄介な点は、より多くの血を費やせば費やすほど強力な武器を造り出せるということ。あの二本の超長剣には、自分のものを含め相当の血液が()ぎ込まれているはずだ。

 


 そしてきっと、胸から大量の血を流し倒れている悠人の血液も……



(……っ!! 何を考えているのだ私は!!)


 暁美悠人は宿敵だ。間違ってもそのことは忘れるな。さっき彼のことを一瞬考えたのは真祖の強力な血がゼヘルの武器の中に取り込まれたからだと思え――。

 感情を振り切り、ローラは二振りの大剣を携え肉薄してくるゼヘルを迎え討つ。


『――Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光)!!』


 まずはできる限り動きを鈍らせるのが最優先。そう判断したローラはゼヘルの脚部目掛け何十発何百発もの銃弾を撃ち込む。

 だが先ほど同様、手応えは全く感じられない。確かに傷を負わせることはできているのだろうが、全然効いている様子が無かった。


 ならば渾身の一撃を叩き込むしかない。ローラは数打ちゃ当たるの戦法を止め、確実に止めを刺すことのできる攻撃を放つ体制に切り替える。


『Agnus Dei, qui tolls peccata mundi, dona eis requiem sempiternam(神の小羊、世の罪を祓われし御方よ、彼らに永遠の安息を与え給え)!!』


 銃口から白銀の銃弾が一発放たれた。

 向かう先はゼヘルの首筋。戦闘に支障をきたすレベルの傷が見込める箇所だ。照準を合わせていた心臓は残念ながら狙えなかったが、それでも馬鹿にできないダメージを与えることができるのだからこちらが有利になるはず。

 そう思っていたのだが、甘かった。


「随分と的外れな攻撃のようであるな!!」


 被弾するよりも遥か前に、ゼヘルは銃弾を片方の剣で斬り付けた。蝿叩きで虫を殺すのと同じ感覚で豪快に叩き潰された弾丸が、爆風を周囲に解き放ちながらひしゃげる。

 何度も何度も同様の攻撃を試みるも全て同じ結果。それに反してゼヘルは確実にこちらとの距離を詰めてくる。


 間合いの面から見て、超長剣と銃では圧倒的に後者が有利だと思っていた。しかしその予想が大きく裏切られたことにより、ローラは一気に不利に追い込まれる。


「脇目を振っている暇があるとでも?」

「ぐ、うっ……!」


 思考しているうちに全身してきたゼヘルが斬撃を繰り出してくる。ハッとしたローラはそれを瞬時に回避。軌道を外した刃は地面に叩き付けられ亀裂を走らせた。


(遠距離攻撃が仇となる戦闘か……)


 超長剣取り回しの関係上、ゼヘルはそれなりの遠距離から斬撃を繰り出している。だから懐に潜り込むことができれば勝機が見えるかもしれない。

 ゼヘルが剣を構え直す隙を狙い、ローラは疾駆。刃と刃の間を掻い潜り、至近距離まで肉薄――



「ああ、そうだ。何故貴下がこの自分に大した決定打を与えることができていないのか、その理由に今気付いたのだが――」



 ――しようとしたが、ゼヘルがふと発した言葉によって足が止まってしまった。


(おそらくこれは罠だ。絶対に聞いてはいけない……!)


 心ではそう思っていても、身体は自然と傾聴の姿勢を取ってしまっていた。

 彼の発言内容が、自分の精神を大きく掻き乱す危殆(きたい)情報であると分かっていたのにも関わらず。




「――貴下、さてはこの数日間で真祖様に交情を抱いたのではあるまいな?」




「……っ!!」


 ローラの顔が途端に蒼白になった。

 それは間違いなく、今自分の中で最も触れてほしくなかった話題であったから。


 図星を衝かれた彼女のあからさまな動揺が面白かったのか、ゼヘルは攻撃を一時的に止め語り始める。それはそれは饒舌に。


「現在真祖様は未だに吸血鬼としての残虐性をお持ちでない。無辜(むこ)の人間に等しい純真無垢さに抱かれているようなものだ。あの御方がそんな状態であったからこそ、貴下が抱いていた真祖様への殺意と敵意が削がれたのではないか?」

「ち、がう……! 私はクルースニクだ! そんなこと、あるはずが……!」

「聖騎士の扱う神術というのは神への信仰心を糧としているのだろう? にも関わらず貴下は神の宿敵であられる真祖様に同情した。つまり、クルースニクである貴下が現在この自分を神術で圧倒できぬのは、神より祝福を授けられたにも関わらず神の敵を慈しむ姿勢を見せた貴下が神に愛想を尽かされたからなのではないか?」


 蔑むようなゼヘルの糾弾。それを受けたローラの心中で、








『――ごめんなさい、ユークリッド。本当は私、貴方のことを殺したくなんて――』









 何処か懐かしさのようなものを孕んだ声がした。


 それを何処で聞いたのかは分からない。だがそれを口にした声は、間違いなく自分の声と一致しているような……。


「あ……」


 思わず銃剣を落としてしまう。

 言った覚えのない言葉。身に覚えのない記憶。しかしそれらは確かに自分のもの。


 そしてその言葉が、今まで自分を苦しめていた『暁美悠人に対して抱いた新たな感情』に、一つの大きな意味合いを与えた。




(もしかしたら、私は己自身でも知らぬ昔から、アケミのことを……)




 ローラの中で何かが胎動した瞬間、それを間近で見ていたゼヘルが悪辣な笑みを浮かべた。


「……ようやく気付いた。貴下も、()()()()()()()()()()()()

「……!?」


 ゼヘルの発言の意図が読めず、ローラは戸惑う。が、発言の意図は読めなくとも、今後彼が何をするつもりなのかは読めてしまった。


(――っ! 早く銃を取らねば!)


 慌てて拾い上げようとするも、すでにゼヘルは超長剣を振りかぶっていて、


「かつて我らが真祖様を()()()報い、受けてもらおうぞ!」



 何も真相が分からぬまま、ローラ・K・フォーマルハウトはその身を斬られた。

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