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楽しい時間は刻々と

 そして、週末。

 悠人らの姿は、夜戸市の北部に土地を構える民営の遊園地「夜戸メルヘンエンパイア」の入園ゲートの前にあった。


「ほう……これが日本の遊園(フェアグニュング)(スパルク)か。随分と幼稚な様相だな」

「ファミリー向けの遊園地だからな。入場料が安いのは良心的だが、高校生同士で行くにはちょっと子供っぽい場所かもな」


 悠人がローラに語った通り、この遊園地は家族向けの印象が強い。

 敷地内は一般的な遊園地にあるような遊具が集うエリアと草木や色とりどりの花に囲まれた自然エリアに二分割されている。しかし遊具エリアにある遊具はジェットコースターなどの絶叫系は控えめで、メリーゴーランドや観覧車など小さい子供でも楽しめるものが充実している。また自然エリアには家族みんなで楽しめるアスレチックや子供動物園が設けられている。

 そんな風に、「メルヘン」の名を冠するに相応しいほのぼのとした印象が全面に押し出されているということもあり、幼い子供を連れた家族連れの姿が圧倒的に目立った。とは言っても一応若いカップルなどの姿も見かけるには見かけるのだが。

 ましてや週末かつ絶好の行楽日和である今日は、特に家族連れが多い。


 悠人は看板にでかでかと描かれた園内図をぼんやりと眺めつつ何処から巡るか考えていたが、そんな中ローラが苛立った様子でこちらに尋ねてくる。


「それにしても、何故私が貴様と待たねばならないのかね?」

「訊くなら今いない奴らに訊けよ」


 せっかくの親睦会だというのに相変わらずこちらには冷遇の態度を取り続ける彼女に呆れを隠せない。


 現在悠人はローラと二人きりである。本来は叶も一緒に連れてきたのだが、彼女はチケットブースでそれぞれの入場券と乗り物の乗り放題チケットを購入している真っ最中だ。

 だがそれにしても遅い。おそらく購入に手間取っているのだろうが、それでもたかが歩いて一分程度の場所でチケットを買うのに十分も費やす必要があるのだろうか。


 ローラと二人でいることに対する気まずさと早く入園したいという焦燥感がそろそろキャパオーバーを迎えそうになった時、ようやく叶が戻ってきた。


「ごめんね、遅くなっちゃって! 実はチケット買いに行く途中で城崎くんと合流したんだ」

「ちょっと知り合いに電話していた時に偶然浅浦さんに会ってね」


 家の距離の都合上現地で落ち合う予定だった解が(彼は悠人の近所に住んでいない)、叶と共にこちらにやって来る。これで親睦会に参加するメンバーは全員揃った。


「はい、人数分の入場券と乗り放題チケット! 一枚ずつ取ってね!」


 こういうイベントの時は仕切り屋になりたがる叶が一人一人に券を渡していく。

 と、叶の配る手はローラを前にした時にふと止まる。しばし彼女の全身を見回した後、満足そうに頷いた。


「……うん! やっぱりあたしの見立ては間違ってなかったみたい! よく似合ってるよ、ローラちゃん!」

「そ、そうか……? 私にはよく分からんのだが……」


 これは一昨日発覚したことなのだが、驚くべきことにローラが所持していた服は白い修道服とパンツスーツのみであり、年頃の少女が着るようなカジュアルな服を一切持っていなかった。

 流石に修道服とかスーツとかで遊園地に行くのは浮いてしまう。そう判断した悠人は昨日叶に頼み込み、ローラと一緒に服を買いに行くよう頼んだのである。なお、女子の買い物は女子同士で行かせた方がいいと考えため、悠人自身は買い物に付き合っていない。


 その買い物の成果が、今ローラが着ている服である。ふんわりとした白いブラウスと黒いフレアスカートという、フォーマルになりすぎずカジュアルにもなりすぎずといった格好だ。

 見立てた叶曰く「ローラちゃんにはあまり派手な服は似合わなそうだったしね」ということらしいが、確かに清楚さと品の良さを感じさせる今の服は、曲がりなりにも聖女である彼女によく映える。


 いつもとは印象の異なるローラに思わず見惚れていた悠人だったが、そんな彼の肩を親友の解が軽く叩く。


「そんなにフォーマルハウトさんのことが気になるのかい?」

「まあ、な。あいつって私服ほとんど持ってないから、ああいった今どきの服を着てることがなんか新鮮っていうか……」

「まさか、フォーマルハウトさんに惚れた?」

「そんな訳ないだろ。俺はただあいつの着てる服が気になるだけで、別にアイツのことを好きになった訳じゃない」


 仮にもローラは自分の命を狙っている宿敵。悠人自身はすでに彼女と知り合い以上には打ち解けてはいるが、それでも互いに敵同士である身としてそれなりに距離を置いて接している。

 吸血鬼と聖職者、互いに争い合う運命を持つ者同士で仲良くし合ったり恋慕を抱き合ったり、そんなことはいつか共に心境が変わったのだとしても許されない。悠人でもそれは自覚しているし、使命に忠実なローラの方はもっと分かり切っているだろう。


「たぶん俺とあいつがクラスメイト兼居候以上の関係になることは無いと思うぞ。あいつは俺のことめちゃくちゃ嫌ってるし」

「そうかなあ……? 本当に嫌いなら悠人と一緒にお昼食べたりなんかしないと思うけど……」

「あ、あれに深い意味は無いって!! あれはその――いや、そんなことより! お前の方はローラと仲良くする気あるのかよ!?」


 一緒に昼食を食べていたのは悠人を監視するためだということなど、親友に言える訳がない。悠人は慌てて話題を逸らす。

 話題にしたのは今回遊園地に来た本来の目的――解はローラと打ち解ける気があるのかということだ。


 悠人とローラがそれなりに打ち解けているのに対し、ローラと解は出会った瞬間から冷戦時のアメリカとソ連のように異様な緊張感を以て接している。その事を気にした叶が、本来は悠人と二人で行く予定だった遊園地に彼らのことも誘ったのだ。

 実際悠人も、先日ローラに対して異常に剣呑な雰囲気を放っていた解の方が、彼女のことをどう思っているのか気になってはいる。だから話を逸らすついでにそのことを問うてみたのだ。


「僕がフォーマルハウトさんのことを……?」

「ああ。本音でいいからな」

「うーん……そうだな……」


 悩んだ様子を見せた後に、解は苦笑しつつ答える。



「……好きには、なれないかな」



 その乾いた笑みは、苦しみを堪えているようでもあって。


「それ……どういう意味なんだ……?」

「直に分かるよ」


 はぐらかすように答え、解は「おーい!! 男子たち早くー!!」と呑気に叫ぶ叶の元へと歩み寄っていった。


 何故解がローラを好きにはなれないのか、その答えを得ることは残念ながらできなかった。

 その代わり、悠人はこう理解する。



(……カナ。お前の計画、最序盤からすでに破綻してるんだが……)





*****





 同胞からの伝令を受け、目的の場所へと向かう。


 個人的に絶対に好きになれない場所であった。血腥ちなまぐささをまるで感じられない、娯楽を最大限の目的とした場所は、修羅道を何よりも好む自分とは確実に相容れない。

 だがそれでも素直に伝令を受け取ったのにはれっきとした理由がある。この苦難を乗り越えさえすれば、待っているのは己が最高に好んでいる修羅の巷なのだから。


 現代社会に溶け込んでも違和感の無い格好に着替えた上、目的地へ至る境界線を越える。そうしてみると、不思議と笑みが零れた。

 無論それはこの笑い声飛び交う夢想的な光景に対して胸を踊らせたからではない。


 己がこの場所を訪れた理由、己が待ち望んでいるものの気配を感じ取ったからだ。



「……断じて、遂行する」



 無意識に零れた呟きは、人々の喧騒の中に掻き消えた。





*****





「ローラちゃん、まず何に乗りたい?」

「そうだな……あの回転している馬だな」

「メリーゴーランドだね? よし、乗ろう!!」

「「……」」



「メリーゴーランド楽しかったねローラちゃん!」

「馬に乗って回る単純な遊具だったが存外に楽しめたな」

「次は何がいい?」

「あの不規則に回っているカップに興味がある」

「コーヒーカップだね? 了解!!」

「「……」」



「コーヒーカップ楽しかったねローラちゃん!」

「子供騙しかと思ったがスリルを感じることができた」

「次は何乗る?」

「あちらに見える巨大な水車と思えるものは?」

「観覧車だね? 分かった!」

「「……」」





*****





「えっと、次は……」

「あのー、叶さん? 少しは休憩するべきだと思うんですがねえ?」



 ……何というか、女子は本当に元気だと思った。


 入園してから三時間弱。ローラと叶は正午になっても昼食を摂らず、午後になっても元気に園内を歩き回っていた。

 一方悠人と解はほとんど拒否権を与えられず、元気な女子たちにひたすら振り回され、今ではすっかりグロッキー状態だ。


 今まで悠人はずっと我慢し続けたが、疲労が限界を迎えたことでとうとう堪忍袋の緒が切れ、ほとんどの遊具を制覇してもまだ飽き足らないらしい叶に待ったを掛けたのだった。


 幼馴染に咎められたことで、浮かれていた叶の表情がハッと覚める。


「あっ……悠くんごめんね! 男の子たちのこと全く眼中に無かった……!」

「全く……。俺はともかく、解なんかさっきから一言も喋ってねえからな?」


 解はコーヒーカップの時から徐々に口数が少なくなっており、観覧車に乗った時にはとうとう喋らなくなってしまっていた。

 彼の疲れ切った様子は、叶に休憩の必要性を察知させる契機となったようで。


「じゃあ……そろそろ休もうか! もうお昼も過ぎているみたいだし!」

「もっと早くに気付いてほしかったんだけどな……」


 悠人が嘆息しつつ、ふと未だ元気な様子を見せているローラを見遣る。

 彼女の表情は、初めて悠人の家で夕食をご馳走になっていた際に浮かべたものと同等の、とても幸せそうな笑顔。カラフルな建物に目を輝かせたり様々なアトラクションに興味を示したり途中で食したアイスクリームに舌鼓を打ったり……園内に入ってからの聖女は、戦場を知らない普通の少女とまるで同じだった。


 そして何故か、そんなローラがどうしても気になってしまっている自分がいることに、彼自身は気付いていた。


(こうやって見てると、いつもの厳格で尊大な聖女としての態度は実は作られたキャラなんじゃないかって思うよな……)


 誰にも悟られぬよう何となく思考を巡らせた、その時のこと。



「うわあああ!! 美男美女がダブルデートしてるううう!?」



 たまたま通りかかった遊園地のスタッフらしき若い女性が黄色い声を上げた。

 よくよく見れば、彼女は両手に箒とちりとりを持っている。この遊園地の清掃員なのだろうか。


「あの……」


 悠人が声をかけると、清掃員の女性は「ひゃいっ!」と奇声を上げた。随分とテンションが高い人のようだ。


「あっ、いきなり邪魔してすみません! 私ってけっこうミーハーなので、こういった美男美女の絡みには滅法弱いんですよね!」

「は、はあ……」

「いやー、それにしても貴方たちって本当に同じ人間なんですか? こういったレベルの高い顔面偏差値を間近で見せつけられるとちょっと落ち込みますねー……」


 おどけてみたり落ち込んでみたりと、非常にコロコロと表情の変わる女性だった。普段からローテンションの悠人としては、正直苦手なタイプの人間だ。

 女性はしばらくの間「イエーイ!」と高らかに声を上げながら悠人たち一行にハイタッチ等を無理やり強要していたが、やがて何かに気付いたような表情を浮かべ静止した。

 

「……はっ! 今は美男美女に気を取られている暇など無いのでした! 仮にも私は現在職務全うをしている最中! メルヘンエンパイアに散らばった夢の欠片を回収しなくては!」


 そう言うと彼女は、そそくさと何処かへ去って行ってしまった。

 嵐のように現れ嵐のように去ったあの清掃員の女性に、一同は唖然としている。


「……何だったんだろうね、あの人」

「さあ……? とても面白い人だったけど……」

「己の仕事を放り出してまで私たちにわざわざ絡むなど、あの者は職務怠慢にも程があると思うのだが」

「……ローラ、突っ込むところはそこじゃないと思うんだが」


 一体彼女の目的は何だったのか。

 最後まで解明しなかった謎に、彼らはしばらくの間釈然としない感情を抱いていた。



 しかしモヤモヤとしていた最中も、悠人がローラに抱いた「年相応の少女としての一面」に対する疑念は未だ消えずにいた。





*****





「ふんふんふーん♪」


 今日は本当にツイている。夜戸メルヘンエンパイアで清掃員を務めている彼女は、鼻歌を奏でつつ夢想していた。

 中高生以上のグループなどあまり見かけないこの遊園地で、高校生くらいの美男美女が四人勢揃いしているという夢のような光景を目にしたのだから。


 女子たちももちろん可愛い。童顔で小柄なアイドル系美少女と人間離れした美貌を持つ西洋人の美少女。正直同じ性別であることが申し訳なくなるレベルであった。

 だがそれ以上に彼女の胸をときめかせていたのは、明らかに日本人離れした秀麗な顔立ちを持つ二人の男子の方。


「クール系男子と王子様系男子……どちらかをお目にかかるだけでも奇跡なのに、それを一緒に見かけるだなんて……そんなの漫画の世界でしか有り得ないわね……!」


 基本的に女性というのは美形の男子に弱いものだ。どんなに恋愛に興味が無くてもドラマの中のイケメン俳優には心惹かれてしまうし、少女漫画の中のイケメンキャラには憧れを抱いてしまう。それが自然の摂理なんだと、彼女は確信していた。

 二人のイケメン男子高生の顔を思い出し、つい陶然と溜め息を吐いてしまう。


「あーあ……もう一度あのイケメンたちに逢えたらな……」


 なんて叶わない願望がつい口から漏れ出てしまった、その矢先のこと。


「って、あら……?」


 彼女の眼前に、一人の男性が立っている。

 おそらく一九〇センチメートルを超えているだろうと思われる高身長の男だ。黒いパーカーのフードを目深に被っていることと左目に医療用の眼帯をかけていることのせいで顔立ちはよく分からなかったが、顔の彫りの深さと日本人らしからぬ白皙(はくせき)から判断するに、どうやら西洋人のようだ。


 道に迷ったのだろうか。とりあえず近寄って要件を伺うことにする。

 だがその過程で、彼女は気付いた。今目の前に立っているこの男性も、よく見てみればものすごく端正な顔立ちをしているではないか。


(野性味溢れる男らしい顔立ち……あの男子高校生とは違ったタイプのイケメンね……! こんなにも多くのイケメンに出会えるだなんて、もしかして今日の私って本当にツイてる!?)



 ――と、この時まで彼女はそう思っていた。


 

 こちらと目が合った瞬間、眼帯をしていない方の瞳を鋭く細め、口角を吊り上げ笑う男。


「ほう。どうやら貴下は先刻『あの御方』と接触したのだな」

「……えっ?」


 一瞬、彼から出た言葉に戸惑う。

 外国人らしからぬ流暢な日本語を喋ったことに対する驚きもさることながら、それ以上に「あの御方」という誰かを示しているらしいその単語に対する動揺の感情の方が勝っていた。


「あの……誰かお探しですか?」


 そう追及したことが間違いだったということに、彼女は全く気付かない。


「『あの御方』と一度でも接触した事実。それがあるだけでも貴下には充分な利用価値がある」


 利用価値。その発言を受けて、ようやく彼女は何かがおかしいことを察する。

 しかし、気付いた時にはもう遅すぎて。




「喜ぶがいい。たった今より貴下はこの自分の駒だ」




 男の吊り上げられた口角が至近距離で不気味に歪んだ瞬間、何故か異物が割り込む違和感と甘い鉄錆の味が口の中いっぱいに広がってきて。


 そして――



「っ、ああああああああああああっ!?」



 処女を喪った時の痛みにも似ている痺れるような痛苦と身体が彼の望むように作り替えられていく快楽をこの身に感じつつ、彼女の意識はぐらりと暗転した。





 ややあって、彼女はゆっくりと身を起こす。


 先ほど逢った美男美女たちのことは、もう彼女の頭には無かった。

 現在思考を満たしているのは、愛しき()()の望むがままに動かなければという意志。ただそれだけ。


「目醒めたか。我が()()よ」


 主人の声が鼓膜に心地よく響く。その声を聴くだけで、もう彼のことしか考えられなくなる。

 こくりと頷くと、彼は満足そうに喉を鳴らした。


「……そうか、ならばよい。……それにしても、彼女は些かこの自分に心酔し過ぎているような気がしてならぬが……」


 主人はしばしの間ぶつぶつと何かを呟いていたが、やがて再びこちらに向き直った。

 紅い瞳がこちらをまっすぐに射抜く。その凍て付く視線は、彼女の「彼のために在りたい」という欲望を大きく揺さぶった。


「さて、真祖様の眷属たる四使徒として、貴下には早速命じる。今この地におられる我らが真祖様を――ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム様を必ずや奪還せよ」


 彼からの司令。それは彼のために動くことを待ち望んでいた彼女にとって、最も大きく存在意義を満たすもの。

 ああ、だから自分はここにいるのだ――彼に命令され彼の期待を背負った時、そんな感情が身体の全てを支配した。

 だから彼女は、愛しの主に対し、楯突くことなく素直に頷く。



「かしこまりました、ゼヘル・エデル様」

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