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戻ってきた平穏……?

「うにゃあああああああっ!?」


 翌朝は騒がしい幼馴染の悲鳴から始まった。


「ゆゆゆ悠くん!! こ、この美人すぎる女の子は一体誰なの!?」

「……朝からうるせえよ……」


 彼女がこのようなリアクションを取るだろうということは予想していたが、いざ目の前で取られると流石に目障りだった。

 吸血鬼ということを隠すため味のしないトーストをあえて齧っている最中の悠人は、朝から異様に興奮している叶に対して肩を竦める。


「言っておくけどな、こいつはただの居候だって。半分居候に近いお前なら分かるだろ?」

「そ、そうだろうけど……でもっ!!」


 叶は納得がいかないらしい。


「これはいくら何でも変だよ!! こんな国宝レベルの外国人の美少女が何の変哲もない日本の一般家庭にホームステイするなんて、嘘みたいな話にも程があるよ!! 本当は悠くんが誘拐してきたんじゃないの!?」

「家柄上俺が誘拐なんてできると思ってんのか、お前……」


 悠人の父親の職業は警官である以上、こんな堂々とした犯罪が家族の前でできる訳が無いだろうに。

 混乱冷めやらぬ様子の幼馴染に悠人はそろそろ辟易してきた。耐え切れぬあまり耳元でまくし立てる幼馴染に抗議しようと椅子を立ち上がり叶の元に近寄るが、


「待て」


 そこで場の空気を制したのは、争点の渦中にいる当の外国人美少女ローラ・K・フォーマルハウト。

 彼女は悠人よりも先に叶の前へと進み出る。


「貴君が彼の幼馴染であるカナという少女か?」

「あっ、はい! そうですけど……」


 造形物レベルの美少女に間近に近寄られたからか急に畏まる叶に対し、ローラはまるで中世の騎士のごとく恭しく一礼した。


「私の名前はローラ・K・フォーマルハウト。この家に居候することになったのは、私が来日した際、家主であるダイ・アケミ氏にいろいろと世話になったからだという理由だ。決して誘拐された訳では無い」


 そして彼女は「何卒よろしく頼む」と叶に腕を差し伸べる。どうやら握手を求めているようだ。

 差し出された手を前に叶はしばし呆然としていたが、次第に瞳が輝きを放ち、口角はだんだん上向きになっていく。

 ややあって彼女はローラの手をガシッと掴み、喜色満面で返答をした。


「うわあああっ!! 超クール女子!! すごくカッコいい!! よろしくね、フォーマルハウトさん!!」

「ローラで構わない。フォーマルハウトだと呼びにくいだろう」

「分かった!! これからあたし、『ローラちゃん』って呼ぶね!! あたしのことも『叶』って呼んでくれて大丈夫だから!!」

「了解した。これからもよろしく頼むぞ、カナエ」

「わーい!! こっちこそよろしくね!!」


 女子の友情とは案外速球に築かれるものらしいと、この時悠人は気付いた。

 しかしいつまで経っても隣で女子同士きゃぴきゃぴされるのは流石に(しゃく)に障った。悠人はちらりと時計を見遣り、それから冷めた視線で叶とローラに視線を移す。


「……なあ、いつまでも仲良しこよししてる暇があるとでも思ってるのか?」

「へ?」

「時間」


 悠人に指摘された叶がきょとんとした表情でテレビに目を遣る。

 朝のニュース番組の左上に表示されている時刻は七時四十分。普段悠人が家を出る時刻のちょうど五分前である。


「あっ、ごめん悠くん! 私まだ朝ごはん食べてない!」

「早くしろよ。特に今日はこいつのこともあるんだからな」


 急いでトーストを口に収め始める叶から、とうに朝食を完食し真剣な表情でニュースを見ているローラに視線を切り替える。

 彼女が今纏っているのは白い修道服でも黒いパンツスーツでもない。ダークグレーのブレザーに赤いスカート……悠人が通っている冷泉学園高校の女子制服であった。


 実を言えば、今日からローラは冷泉学園高校の悠人と同じクラスに編入する。表向きでは彼女の来日理由は留学ということになっているためだ。

 本来ならば悠人が初めてローラに逢った日――つまり四日前に編入する予定だったらしいが、学校での留学手続きが思ったよりも込み合ってしまったため、だいぶ日が空いてしまったそうだ。「理事長が私に対してあまり良い印象を持っていなかったことが編入手続きの延滞理由だ」と彼女自身は語っていたが、詳しい事情はよく分からない。

 しかし昨日ようやく許可が下りたため、晴れて初登校ができるようになったらしい。


(とはいってもな……)


 編入することができるようになったとはいえ、ローラ自身が無事にクラスに溶け込むことができるようになるとは限らないのではと、悠人は不安になった。

 自らの命を狙っている宿敵を気遣うのも変な話だが、彼女が何かしら問題を起こしたりクラスメイトと衝突しないことを願うばかりである。


 無論その願いの裏には、せいぜい学校では平穏を感じていたいという悠人の欲望があったのだが。




*****




 まず結論から言おう。ローラの冷泉学園高校デビューは大成功であった。

 ……否、大成功以上といったところか。



「ドイツのアーヘンより来日したローラ・K・フォーマルハウトだ。日本語は日常会話に支障が無いくらいにまで習得しているため、ドイツ語や英語で話しかける必要は無い。まだこの国の文化には不慣れだが、何卒よろしく頼む」


 担任に連れられ教壇上に立ったローラが軽く挨拶をした瞬間、教室内の空気がしんと静まる。

 そして一秒、二秒と経過し――



「うぉあああああああああああっっっ!!」



 もはや悲鳴に近いほどの大歓声が男女双方から上がった。


「すげぇ!! ついに俺らの学校にも西洋人の美少女が!!」

「叶ちゃんといいあの子といい……このクラスの顔面偏差値どうなってんだよ……! 神様ありがとう……!」

「それより見ろよあのバストを!! オレの審美眼から判断するにあれはEカップ以上だ!!」


 男子は口々に己の性的な本能を吐き出し始め、


「何あれ……スタイル良すぎだよ……。まるでモデルみたい……」

「髪の毛とかサラサラで羨ましい……。トリートメント何使ってるのかな……」

「美人で巨乳とか、ドイツ人ってマジでどうなってるの? 美貌とか胸のサイズとかアタシに分けてほしいんですけど」


 同性である女子たちも彼女の美貌を前に無意識に羨望を呟いている。

 この様子から判断すれば、ローラは概ねすぐにクラスに溶け込むことができるのではないだろうか。と、後方の席で事態を静観していた悠人はそう確信する。


 しかし彼の安堵も束の間、ローラの編入に湧くクラスに新たな爆弾が落とされる。

 その契機は、落ち着いた頃合いを見計らって口に出された担任の一言だった。


「あー、フォーマルハウトさんだが、家庭の都合上暁美の家に滞在することになっているそうだ。お前ら、そこのところも理解するようにな」

「「「は!?」」」


 クラスメイト中の視線が一斉に悠人に集まる。

 同時に耳元に集中砲火のように打ち付けられるは、クラスメイトたちのどよめきの声。


「えっ……つまりフォーマルハウトさんって暁美くんと同棲してるってこと……!?」

「何それすごく羨ましい! 私も暁美くんと同棲したい!」

「でもフォーマルハウトさんってめちゃくちゃ美少女じゃん。あの超絶イケメンの暁美くんと釣り合う女子ってフォーマルハウトさんか浅浦さんくらいじゃない?」


 女子たちは咄嗟に顔を伏せたり頬を紅潮させたりと、まるで漫画のようにドラマティックな展開に心踊らせている様子。


「うわ……マジかよ……。あの顔だけが取り柄の暁美と同棲とか……」

「暁美の奴、久しぶりの登校でカラコン付けていきがっていると思ったらそういうことかよ……無いわ……」

「暁美マジで地獄に堕ちろ。そしてフォーマルハウトさんかカナちゃん寄越せ」


 一方男子たちは自分たちが望むものを全てかっ攫ったクラスメイトの一人に対し、思うがままに洗いざらいに妬みと恨みをぶつけていた。


 良くも悪くも一斉に注目の的とされた悠人は重々しく溜め息を吐く。

 女子からの評判はよく分からないが、悠人は親友の解以外の男子からは腫れ物のように扱われている。理由はいまいち不明なのだが、解曰く「根暗で無愛想で平凡なのに、イケメンというだけで女子に言い寄られているのがムカつく」というのが理由とのことらしい。

 さらに悠人の男子からの嫌われぶりに追い討ちをかけているのが、幼馴染の叶が男子の好意の対象になることが多いということである。そのため同性からの嫉妬と羨望の視線が突き刺さることは日常茶飯事であった。


(ローラとの同棲が知れ渡るとか、これってますます俺は平穏な学園生活を送れなくなるってことじゃねーか……)


 ただでさえ吸血鬼として覚醒したことに対し気を病んでいる最中だというのに、平穏を感じることができる数少ない場所と信じていた学校にまでこんな面倒事を持ち込まれては堪ったものではない。


 厄介事が増えたことに億劫さを覚えた悠人は、痛いくらいのクラスメイトの視線から逃れる最中で、ふと親友の解の姿を捉えた。

 他のクラスメイトたちがローラに見惚れたり悠人に嫉妬の視線を送っている中、彼は――


「……」


 何処か意味深な視線でローラを凝視していた。





 そして、昼休み。


「……」

「……ほう、これが日本の昼食(ミッターゲッセン)たるベントウというものか。冷めてはいるがなかなか美味いな」


 悠人に対し敵意剥き出しなはずのローラは、どういう訳か悠人の机の真正面で母親手作りの弁当を頬張っていた。


 クラスメイトたちの視線の刺突攻撃は未だに止まらない。授業開始と同時に一旦落ち着いたものの、昼休みになりローラが悠人の目の前で陣取った瞬間、また再開し始めた。


「やっぱりフォーマルハウトさんって暁美くんと付き合ってるのかな……? 一緒にお昼食べてるし……」

「聞いた話だとすでに婚約もしてるらしいよ」

「本当に!? 暁美くん狙ってたのに……」


(身も蓋も無い噂はやめろよ……)


 本来ローラは吸血鬼の真祖である悠人を殺すために来日した聖女である。そんな彼女と恋人同士になるなど、間違っても起こり得ない。ましてや婚約など論外だ。

 悠人同様クラスに残っている女子たちの会話が聴こえていたのだろうか、ローラがフォークを握る手を止め(ちなみに彼女は箸が使えないらしい)、不愉快そうに眉を(ひそ)めた。


「……何故私と貴様が知らぬ間に婚約関係になっているのかね?」

「俺に訊くな」


 断言し、弁当を食べるふりを再開する。悠人自身だってローラと婚約関係にあるなどといった既成事実を作られるのはごめんだ。

 そもそもローラが自分から離れてくれさえすれば突き刺さる視線も身も蓋もない噂も全て止まるのだ。が、彼女が目の前で陣取っているのは、吸血鬼の真祖が牙を向かぬよう監視する役目を遂行しているからだ。「退け」と言っても絶対に退かないだろう。


(誰かこの状況を打破してくれさえすれば……)


 悩ましい事態が積み重なっている現状に悠人が胃を痛め始めた――ちょうどその時のこと。



「ローラ・K・フォーマルハウトさん……だったかな?」



 手に購買で買ったパンの袋を提げた解が、二人の間に割って入ったのだった。


 不機嫌な表情のまま、ローラは解のことを見上げる。


「貴君は?」

「城崎解。暁美悠人の一番の親友だよ」

「……本当にそうなのかね?」


 そう尋ねたローラの視線には怪訝さが織り交ざっているように見えた。きっとこの王子様オーラを放っている少年が根暗で皮肉屋の親友であることを疑っているのだろう。

 尤も、彼女の視線の中には何か別の感情が含まれているようにも見えたのだが……。


「何を言っているんだい? 僕はこの学園では浅浦さんを除いたら二番目に悠人と仲がいい存在だよ? 同い年で同性だったら誰よりも悠人のことを理解している――そうだろう悠人?」

「えっ? まあ、そうなんだろうけど……」


 警戒心を放つローラとは反対に、解はにこにこと友好的な笑みを浮かべている。その作り物のように見えない自然な笑顔は、一目にした女性たちを問答無用で卒倒させてしまうだろうほどに爽やかなものだった。


「さて、僕の親友アピールに対する悠人の戸惑ったような反応はいつも通りだから置いておくとして……フォーマルハウトさん、君に少しもの申したいことがあるんだ」

「何だね?」

「悠人を独占するのはやめてくれないかな? 悠人が困っているのが分からないのかい?」


 爽やかな笑顔のまま放たれたまさかの糾弾に、遠くから様子を(うかが)っていたクラスメイトたちが一斉にざわついた。


「うわ出た、城崎の正妻発言」

「やっぱり暁美くんと付き合ってるのって城崎くんの方なんじゃ……」


 断じて違う。


 解は悠人に親友以上の親密度を以て接してくるが、別に付き合ってなどはいない。

 そもそも悠人自身には同性愛は理解し難いものであるし、当の解も「別に悠人を恋愛対象として思っている訳じゃない」と語っていた。周りはよく誤解しているが、彼らには親友以上の関係性など端から存在していないのだ。


 おそらく先ほどの糾弾も、ローラに悠人を独占された嫉妬心からでなく、ローラと一緒にいることで刺さる周囲の痛い視線に悠人が辟易していることを察したが故のものだ。

 残念ながら糾弾を受けた当人は、理由を全く察する気が無いようであったが。


「駄目だ。私には彼を監視する役割がある。彼が何をし出かすか分からない以上、ここは断じて引く訳にはいかん」

「監視だって? 特に不良でも何でも無い悠人が何か問題行動を起こすことを危惧してるのかい?」

「ふん、何も分かっていないのは貴君の方ではないのかね? 何故なら貴君が親友であるこの少年の正体は実は吸――」

「ストップ」


 面倒だからという理由で静観を決め込んでいた悠人だったが、流石に今ばかりは二人の口論に割り入った。

 今ローラは「実は吸血鬼」と言おうとしていた。冗談として受け流されるかもしれないが、こんなあっさりと正体を露見されてしまっては今後の平穏な学園生活に多大な影響が出てしまう。


 沈静化するどころかますます混沌としてしまった事態。

 それをようやく鎮めたのは、解よりも遅れて購買から戻ってきた幼馴染の一言だった。



「……一緒にお昼食べれば解決するんじゃないかな……」



 普段は子供らしさが目立つ叶が口にした正論に、ローラも解もハッとする。


「「その手があったか」」


 それから二人はあっさりと大人しくなる。ローラは弁当の咀嚼を再開し、解は近くの机を悠人の元へと引き寄せそこでパンの袋を開封し始めた。

 そんな彼らを余所(よそ)に、助け舟を出してくれた叶に悠人は礼を言う。


「ありがとな、カナ。お前が割って入ってくれなかったらこの場がギスギスしたままだった」

「ううん、お礼を言われるほどでも無いよ。城崎くんもローラちゃんも私の友達だし、やっぱり友達同士には仲良くしてもらいたいもんね。でも……」


 叶はローラと解を交互に見遣り、そして悩ましげに溜め息を吐く。


「……まだ、ギスギスしてるよね……」


 どうやら叶はローラと解の仲が微妙なことが若干気にかかっているらしい。誰にでも友好的な彼女だからこそ、自身の友人同士の不仲を放っておくことができないのだろう。


 ローラと解はまだ互いに剣呑な雰囲気を交わし合っている。具体的に状況を説明するのならば、ローラの方は解に対し警戒心剥き出しにしており、解の方はローラのことをちらちらと観察している。

 叶はそんな二人に心配げな視線を送っていた。


「うーん……どうにかして仲良くしてもらいたいんだけど……」


 彼女はしばし腕を組んで最善策を考えていたが、ふと悠人の顔を視界に捉えた瞬間、何か閃いたような様子を見せた。


「そういえば悠くん、昨日『今週末遊園地行こう』って約束したよね? まさか忘れてないよね?」

「そんなことねーよ。ちゃんと覚えてたって。あそこの『夜戸メルヘンエンパイア』でいいだろ?」

「うんうん!! 覚えててくれて何よりだよ!!」


 適当にあしらった悠人だったが、それにも気付かないであろうくらいまでに、返答を受けた叶の表情は輝いていて。



「それで私、閃いたんだけど――遊園地デートにローラちゃんと城崎くんも誘おうよ!! そうすればみんなもっと仲良くなるって!!」



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