焼き蛤となめろう
久しぶりに九十九里浜の漁港をのぞいてきた。大きな漁協に船着き場がある銚子に比べると、九十九里は平地の町中の船着き場でやる小さな市だが、場合によっては掘り出し物がある。
目当ては今年、豊漁だと言う蛤だ。他では大した数もないのにそこそこの値段がする蛤を、ここでは網袋いっぱいに、それこそ定食を食べる値段くらいで手に入る。
網からはち切れそうに入っている蛤は、しっかり閉じた殻もうっすらピンクがかっていて実に美しい。
かつて都上臈は、はるばる献上された蛤にきらびやかに装飾を施して貝合わせの遊具にしたり、紅白粉を載せる化粧皿にしたと言う。
まだ冷たい海水に洗われたままのそれを持参したビニール袋で保護して、買い物袋に入れる。
そのずっしりじゃらりとした重みの頼もしさ。何だか宝物を手に入れたような気分になる。
磯の薫りは海から離れれば離れるほど生臭くなるものだが、水揚げしたばかりの海産物は、胸が空くような清らかな香気をまとっている。
蛤で十分目的は達したが、余計なものも捨てがたいのが買い物の楽しみ。小皿いっぱいに並べられた小さな鯵に、目が釘付けになる。魚は小さいが、ぴかぴかの銀の地肌の鮮やかさは、このまま見過ごしては帰れないくらい魅力的である。
一期一会だ。
よし、ここは何尾か叩いてなめろうを作ろう。
今晩の酒肴は、
蛤と、鯵のなめろう。
これで決まりである。日本酒ならもう、冷蔵庫でスタンバイしている。
帰るのも早々に巣籠もり酒の準備を始める。
蛤はまず、焼き物だ。食べきれない分は潮汁にでも仕立てるつもりだが、まずは何をおいても焼き蛤をやる。
作り方は簡単。
砂抜きした蛤を、アルミで包んでトースターで焼くだけ。ごくシンプルだが、獲れたてでこれをやらない手はない。
珠玉の出汁を逃さないなら、酒で煮立てる小鍋立てが一番ではあるが、焼きたての感動は、やはりどう考えても捨てがたいのだ。
蛤がホイルの中で包み焼きになっている間、なめろうを作る。
なめろうは千葉の海っぱたでは知らない人のいない郷土料理だ。
いわゆる小さな青魚の肉を無駄にせず、美味しく食べるための料理なのだが、鯵や秋刀魚などが、作るのには適している。
頭と内臓をとった小鯵は、二、三尾も作ればまずは十分だろう。まずは三枚におろして、刺身にするときと同じ細切りにする。好き好きだが、食感は残った方がわたしは美味しいので、なるべく厚めに作る。
そしてこの細切りを包丁でさらに叩いていくわけだが、ここに薬味を混ぜて味を整えるのが、なめろうの醍醐味である。
ごく一般的なのは青みの入ったネギ、生姜の千切りであるが、わたしはここに紫蘇の大葉を叩いて入れる。苦手だと言う人もあるが、酒を飲むにはこれが良いのだ。
まとめ役は味噌である。
これも生のまま使うと合えにくいので、わたしは少し酒で溶く。
どちらかと言うと甘めに仕立てるなめろうが多いが、醤油を垂らしてもいいし、木ノ芽(山椒)や柚子胡椒を混ぜても悪くない。
そうこうしている間に、蛤の口が開く。ぱっくりと貝を開いた中に載っているのは、ジューシーな海のエキスでひたひたになったふくよかな貝肉である。
焼き上がったトースターに漂う潮の薫りまでご馳走だ。ともすれば生臭いとも感じる磯の香りがこんなに爽やかなのは、何よりも陸の空気に触れたばかりの蛤の身の清らかさならではだ。
そして日本酒は、海水のように冷えている。部屋が暖かいので、切れの良さを味わうなら、ここは冷やがベストだ。
小鉢に盛りつけたなめろうを並べて、晩酌の準備は万端である。
蛇の目のぐいのみに日本酒を注ぎ込んで、アルミホイルの蛤にとりかかる。
電熱線で炙られた蛤の貝は、指の腹にぴたりと吸いつきそうに熱い。それを掴んで、我慢しながら旨味の塊のような身を取り外す。
醤油をかけてもいいが、塩味は元の味で十分だ。貝の身は焼いたと言うよりは、今、お風呂頂いてきました、とでも言うように、美肌もちもち、はち切れそうにぷるぷるだ。それをふうふう言いながら、口の中に放り込む。
甘い。
海のミルクと言うと牡蠣と言われるが、獲れたてのこの蛤こそ、濃厚な海のミルクではないかと思われる甘さだ。
確かに磯の塩味も効いている。海の滋味そのものと言った複雑な旨味が、ふっくらとしたその身からは惜しげもなく染み出してはくる。
しかし本当に驚かされるのは、その旨味にしとどに濡れた肉そのものを噛んだときの甘味だ。
ものの喩えではなく、これは実際にはっきりと甘い。円やかで乳のように濃い。だが少しの嫌らしさもない自然な甘味なのだ。
これで流し込む日本酒は、一層の切れ味が増す。越後八海山は米所の酒の中でも、豊かな腰を持った旨口の酒だが、念入りに冷やすと初雪を凝らせた宝珠のように、舌にくっきりとした米糀の華やかな味わいだけが残る。
この酒さえあれば、貝殻に残る汁まで残さず、美味しく味わえる。味わいの痩せた辛口では、腰が弱すぎてこの蛤の旨味は受け止めきれないだろう。温度も味わいの一つだ。
湯上がりもち肌の蛤で灼けた舌が、つんと冷たい淡雪でほだされる。
ああ、今日この蛤を見逃さなくてよかった。
と、ここでなめろうを味わう。これも酒で溶いた味噌に馴れて、しんなりした鯵だけをつまんでまずは、頃合いを図るのだ。
うん、食感はこれがベストだ。叩きすぎずに残した鯵の身は、独特の弾力を失わず、コリコリと心地よい抵抗を伝えてくる。
甘辛にした味噌の合え具合も、悪くない。身だけ食べるとちょっと薄い気もするが、ネギや生姜、薬味類もまとめて加えると、ほどよい味噌味になるだろう。それにしても後味を、大葉が締めている。この香り高い清洌な苦味があってこそ、甘めのなめろうにぴんと一本筋が通る。
これで飲む日本酒は、さすがこたえられない。小鯵はやはりこれだ。刺身にならないような小さな身まで、まとめて楽しめる。
ちなみにこのなめろう、お好み焼きのようにフライパンで焼けばこれは「さんが焼き」と言う別料理になるのだが、これもまた、絶品なのだ。
蛤となめろう、どちらを向いても日本酒を誘う。ささやかな家飲みのつもりだったが、これは意外に酒が進んでしまうだろう。
日本酒はなくなるな。そうなったら、焼酎も悪くない。日本酒より辛口の甲類焼酎もまた、はまったら長っちりになりそうだ。
おっとこれはしまった。
べろべろになる前に潮汁を作っておかなくては。もはや逃れられそうにない二日酔いを和らげる救世主は、これしかない。




