そば屋で樽酒
冷え込んできてもたまに、盛りそばが食べたいと、思うことがある。確かに年越しそばなどは、熱くして食べるのが好きだ。
小エビのかき揚げ天ぷらに青ネギを散らしたのや、海老天一本に春菊とか、半生の月見に皮つき柚子の細切りなども悪くないが、辛めのつゆで冷たいそばだけ手繰りたい。
唇から舌まで凍りつきそうな夜も、そう思うことがある。
スマホで検索してまで名代の老舗は求めないが、古いそば屋は土間の雰囲気がある。幸い、近所の神社が古くてその側に、昔ながらのそば屋があるのだ。
古い木造には、ひんやりとした砂ぼこりの気配がある。
冷気が這いよってくるような冬、江戸の店は炭桶に火を焚いて客を迎えたのだろうが、今はもちろん暖房がしっかりと効いている。
こう言うそば屋さんには、樽酒が置いてあるから嬉しい。注連飾りをまとった杉樽から直接汲み出してくれる常温のお酒だ。
ワインのように繊細な吟醸酒とはまた趣が違って、杉樽で育まれたお酒は、真新しい木の香りとどっしりと腰の豊かな米の旨味が活きている。
燗をつけて温めるよりも冷蔵庫できんきんにするよりもやはり常温なのは、この樽の中で醸された香りと旨味を大切に呑みたいからだ。
ここの樽酒も辛口の切れ味のある清酒だが、胸が好くような木の薫りと、舌触りにもなるような色濃い米の旨味がちゃんと感じられる。
これを味わうのには常温以外にない。昔から酒好きと言うものはよく、考えたものだと思う。
さて、そばは盛りだが、出来上がるまでの間、少し酒肴をとる。
昔ながらなそば屋ではたまに、酒と肴を出したら、一通り呑み終わるまでそばは出さない、と言う店があったりする。
それはどこかの食通が「実は酒とそばは合わない」と言ったせいだそうだが、わたしは信用しないことにしている。
とは言え、小皿に盛られたほんのひとつまみの酒肴で飲むのは、また、前座としては最高だ。これで一合は軽く開けてしまうだろう。
まずは、ドジョウの佃煮。
ほんの小枝ほどの大きさだ。噛むとぽっちり背骨が砕ける柔い音がするが、そこから染み出してくる川魚の風味がたまらない。味の濃い酒でしか、友連れはかなうまい。
そいつをかじったら、今度は焼き味噌だ。甘めの舐め味噌を、表面がお焦げになるくらいに炙ってある。中に刻み込んでいる生姜がまた、酒欲をそそる。
最後の雑魚煮は、川魚のフルコースが味わえる逸品だ。川床の小魚や小エビをまとめてじりりと噛み砕いて、きゅっと常温の酒で洗い流す。
煮るのに山椒を利かせているところがまた、後味に余韻を残してくれる。
一合なくなるのが早い。これだけで半は飲める。そばも入れたら、三合はいけそうだ。
頃合いを見計らって、本命のおそばを出してもらう。
ここの盛りは、舟のような漆器に載せられて運ばれてくるのが昔ながらの形である。色白で、盛りはかなり多目である。
そしてそれに引き比べると、ツメを入れた猪口は小さいのだ。
これはつゆが辛いのだ。
江戸前の昔ながらのそばはそうだが、ツメは生醤油のように濃い。家伝のを甕に注ぎたし注ぎたし作って、地面に埋めて熟成させるからだそうだ。
なのでそばを手繰るときは、尻尾に少しつけるだけでいいらしい。だから猪口が小さいのだ。
よくツメにそばを浸すのは野暮だと言う人がいるが、もちろんこのツメだと、たっぷりつけたら美味しくない。何しろむせるほど塩辛いのである。
なので箸でそばを手繰ったら、筆先つけるようにちょんとつけて、一気に啜る。
口の中でぐちゃぐちゃ噛むと、行儀が悪いと言うのが江戸前だそうだが、わたしはそばの薫りが分かるほどまでは噛む。
そこで口に含んだ分は一気に呑み込むと、確かに鼻へそばとツメの薫りが、爽やかに抜ける。
このときに呑む酒は、やはり美味い。ツメの塩辛い爪痕と、そばのふんわりした風味を、これもふくよかな酒の旨味が包んで食道から胃まで持っていく。口福である。
で、このあとをアルコールが追いかける。冷たいものばかりなのに、かっ、と通り道が熱くなる。思わずため息が出る。
薬味のネギもいいアクセントだ。匂いが強いので青ネギを嫌う人もいるが、わたしは少し青みがかったのを細く切ってくれる方がいい。
山葵はこれも、ずん、と辛いのがいい。ツメのクセが強くなるほど、そばにはほんの少しで味が効くようになる。
ざーっと、一気にそばを手繰り、きゅっと引っ掻けては戻り、そんな風にしていると、あっと言う間に三合だ。
我に返ると突然酔いが迫ってくる。
ああ、もうかなり飲んでしまった。
このまま立ったら、ふらふらしそうな気がする。
そば湯でも飲んで少し、態勢を立て直そう。




