雪っこといかだ焼きと
雪っこあります
その手書きのお品書きだけがひらりと一枚、壁にかかっていた。聞けば日本酒らしい。メニューには載せていないし、知っている人だけが気づいて飲んだらいい、そんな感じだ。
「冬季限定なんですよ」
とれたての鯵に包丁を使いながら、店主はぶっきらぼうに説明する。
「活性原酒って出来立てのお酒です」
初物のお酒は、何度か口にしたことがある。
地元に知っている人は知っているくらいの酒倉があって、元旦に合わせて初搾りを売り出す。
初詣のお客さんに向けて出す縁起物なのだろうが、これがやたらきつい。香りもお米のふくよかさがなく、味も痩せているように感じた。アルコール度数だけが高くて、ただただ、ぶっきらぼうに酔わされた気がした。
(若い酒って縁起で飲むものだよなあ)
いわゆる初物のありがたさで、味は別。確かにおめでたいから買うし飲むけど、それだけのものだと思っていた。
…と、あまり期待はしていないのだが。
(気になるな)
知らないお酒があればやはり一度は飲んでみたい、それが酒飲みの口いやしさ。
本音を言えば、冬季限定とまで言われれば、一度は口にしてみたいのが人情だ。
天の恵みだけにお酒とはやはり、縁起も味の内なのかも知れない。
岩手の酒造で作っていると言うその酒はいわゆる濁り酒、どぶろくの類いだった。
酒を醸すのに使った酵母が、そのまま残っているそうな。まるで、乳の澱のように白くもったりと沈んだそれが、たまに口当たりに障るものの、酵母が活き続けているので、お酒は生まれたてのまま、喉を通ると言うわけだ。
まず一口。
口の中に、真新しい雪を含んだかと思うくらい、まったりとした冷たさが沁み渡る。それからひんやりと輝く宝石のように、ぽつんと舌に残る華やかな甘味。
濁り酒だけに、口の中に酵母が触れる。口どけの切れは吟醸酒に譲るとしても、まったりとした甘味の豊かさは、断然こちらだ。
寒い中、ごく冷えのお酒なのに、不思議と身体が冷えない。氷塊の奥からやってくるようなアルコールの火が、意外な強さでぽっと胸に灯るかも知れない。
後は、これで何を酒肴にするかだ。
うーん、ここは…。そうだ、焼き物かな。
よし焼き鳥。
それも、タレより塩の方がいい。
慎重に品書きをたどると、いかだ焼きと言うのが目についた。いかだってなんぞ?と思い、店主に聞いてみると、これは骨付きの手羽先の串焼きだと言う。
(手羽先か…)
揚げではないが、脂も乗っているだろうし、このまったりとした冷酒にあてるのには、悪くないんじゃないか。
「すいません、じゃあいかだ焼きを」
すっと、注文が口に出た。
そして届いたのは、碧い平皿に置かれた一本串。
焼き物と言うとお寿司と一緒で、二本並んでくるのが暗黙の了解だが、皿にはたった一本。
それもそのはず、いかだ焼きと言うのは、焼いた骨付きの手羽先を、横に並べてまとめて串に刺してあるのだ。なるほど、でんと横たわった手羽先が丸太のように平べったく三つ、皿の上に筏を組んであるようだ。
薬味は山椒の粉と、トウガラシのような赤い塊が出てきたが、まずはそのまま、頂くことにする。
(おっ)
炭火で焼いたせいか、手羽先の皮にはかぐわしい熱の香気が籠っている。
こんがり狐色に灼けて表面はパリパリだ。中にじゅわっと、脂の旨味が閉じ込められている。うん、塩味でこれは十分美味い。
間髪入れず、雪っこをひと口。
正解の一言だ。
すっきり辛口で洗い流すのもそれはそれでいいが、ふくよかな雪っこのコメの甘味に受け止められると、脂っぽい塩味が日の名残りの雪のように、儚く溶け流れていく。
口の中に残る淡雪のこの冷たさが、これほどまでに、ほっ、と優しいのはなぜだろう。
温度でぬくまるばかりが、寒い日の酒の良さではないのだ。
しかしこの取り合わせは、癖になる。
味変の粉山椒も、ちょうどいい。
ぴりぴり痺れる曲者の辛さも、雪っこは、絶妙になだめてくれる。
そして赤い薬味は、かんずり、と言う越後の名産だと言う。
塩漬けのトウガラシを雪にさらしてあくを抜き、柚子や麹を加えて発酵させたものらしい。
おお、これも辛い。
ストレートで舌に居残る辛さだ。でも、雪に馴れたようなこのかんずりも、冬の申し子みたいなもの。
甘い雪っこをちびりちびりすすめて、口の中の火事を鎮めていこう。
そんなことをしていたら、あっという間に一合、なくなっていた。
ちょうど酒肴も種切れだ。今度は、醤油焼きおにぎりで雪っこを楽しむのも悪くないかな。
そう思って、手を挙げて声を出そうとしたら、あれ、もうこんなに酔っている。
雪っこは、焼酎並みに強いのだ。




