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17

 初めてWLに行った時、私の所属する派遣会社からは五人の人材が送られた。


 夕方からのパーティーで私以外は高校生。お喋りな女子高生はリーダーである私が中卒らしいと話していたそうだ。


 それを聞いていた我妻さんが、詳しくその子に尋ねたと羽田さんは気まずそうに気の毒そうに教えてくれた。


 話した女子高生は既に派遣会社を辞めてしまったけれど、設営中に何度か我妻さんに会う度に様々な問いを投げ掛けられた。


 答える私に対して、最初は色々と驚いていた我妻さんは次第に顔を曇らせて半月が過ぎる頃には私を見る目が完全に変わっていった。


 まるで道端の石を見るようなどうでも良さそうな視線だったり、気持ち悪い物を見たような心底不愉快そうな視線だったりと、徐々に酷くなる一方で。



 谷澤チーフが言った。


「中卒か……可哀想なもんだ。」


 いつもの事だと笑って受け流した私を見て、我妻さんは驚愕に目を見開いた。



 あれは我妻さんにとって、凄く悔しいものだったんだろう。


 私だって悔しかった。だけど、言い返してもどうにもならない事実だからそれなら慣れる方が早い。


 そんな私の考えを我妻さんは情けないと思った。



 我妻さんが中卒だと知ったのは、他の黒服が話しているのを聞いたからだ。


 余り他の黒服と話さない我妻さん。チーフのお気に入りの我妻さん。谷澤チーフは我妻さんの学歴に同情している、と噂では言われている。


「……四年になります」


 切り出した私に我妻さんは顔を上げる。


「派遣社員になって、四年です。今は二十歳になりました」


 自分の話をちゃんと我妻さんにするのはきっと初めてだ。まともに話したのは派遣会社の人と向こうのホテルの人に位で、WLでは一切何も話さなかった。……話すつもりも全く無かった。



「二十歳?」

「はい」

「お前が?」

「はい」

「……嘘、」

「じゃ無いです。派遣の子は言って無かったですか?」

「年齢は聞いてねぇよ……」


 どうやら我妻さんの素の話し方は普段より少し荒っぽいらしい。


 再び煙草に手を伸ばして、今度は私を見ずに火をつける。


「四年って、何だよそれ」

「四年間、ずっとホテルで必死になって働いて来ました。昼も夜も、ずっと」

「……」

「だから、よく言われました。“可哀想”だって、凄く沢山」


 昼は新しい人が入る度に言われた。何歳か聞かれて答えると、自然に何らかの事情があるんだと思われる。


 可哀想ね、と言うおば様が今まで何人居たことか。数にすれば百回は優に越える。


 ほぼ毎日のように仕事に入り、次々と入れ替わる派遣社員。おば様は基本的にお喋りだし、噂話も大好物だ。夜の高校生だって、噂話には敏感だった。


「だから言われ慣れました。派遣で良いと思ってるんじゃ無いです。中卒のままで良いとも思ってません。ただ、よくいわれるから、自然に慣れたというか……慣れるしか無かったというか」


 恐らく我妻さんは、最終学歴の中卒を私が恥じていないと思っている。


 だけど、それは違う。やっぱり悔しいし、同情されると腹は立つ。だけど、怒るのは、案外エネルギーを消費する。



「そう、か。俺とは、違うのか」


 小さく呟いて、我妻さんは煙草の灰を灰皿に落とす。少し黙って、紫煙の向こうから私に視線をゆっくりと向けた。


「……親は?」

「居ません」

「じゃあ、本格的に俺と違うな。……それなら、納得出来る」


 我妻さんが何を思って私を羨ましいと思ったのかは分からない。


 だけど確かに言えるのは、私は羨ましがられるような存在じゃないと言う事だった。


「――中退だよ。馬鹿やって高校辞めて、夢追い掛ける資格が無くなった」


 ホテルで見せていたお客さん用の笑顔とは違う、卑屈そうな笑みを浮かべて我妻さんが天井を見ながら紡ぐ。


「高卒認定貰う為に通信行きながらホテルでバイトして、いざ夢追い掛けて海外いったら呆気なく終わってまたバイト。しかも海外でもホテル。日本人が来た時に助かるって理由で」

「……はい」

「その国じゃちっぽけなクズホテルでも、こっち帰って来たら割りと評価されんだよな」


 押し潰すようにして消した煙草は、次第に煙を出さなくなる。


 我妻さんはテーブルに肘を置いて、手のひらの上に頬を乗せた。


「頑張ったら社員にしてやる、って言われたよ。それから五年して、やっと社員。気付いたらこの年で、夢なんかもう追えないだろ」

「だから、ですか」

「中卒なのにお前は劣等感を抱いてないように見えた。それ所か派遣で満足してるようにも見えたな。……でも、言われ慣れたか。――早くからやってんならそりゃそうだろ」


 お前本当に何なんだよ、と何故か我妻さんは私に尋ねる。


 それに答えられず困惑すると、次の瞬間我妻さんは爽やかな顔でふっと笑った。


「俺は悔しくて堪らなかった。死ぬほど恥ずかしかった。なのにお前は余裕で笑って、焦る素振りすら見せない……ああ、やっぱり、羨ましかったんだろ」

「事情が違います。だから、羨ましがられるような事は何も――」

「なら、何で来た?本当は分かってたんだろ、俺がお前に嫌がらせ紛いなことしてるって」

「……挑戦状かな、と思ったので。それに、確かに言われて思いました。変わりたいって」

「俺の“話”は終わった。誤解があったって分かったからな。次は佐藤の話を聞く。なんかあるんだろ?」


 聞きたい事があった。だからその問い掛けに頷く。


「学校に、どうやって――」

「ああ、お前それは無理だよ」

「え?」

「完全に事情が違う。俺がお前に誤解してたみたいに、お前は俺を誤解してるよ。多分な」

「どういう事ですか?」

「俺はお前と違って、馬鹿やって学校を辞めた。親の脛かじり。学校行く間も生活はちゃんと出来たからな」



 それじゃあ本当に誤解だ。


 我妻さんは、自力でそうやったと思っていた。仕事をしながら学校へ行って、生活を自分で賄っていたと思ったのだ。


 海外の話を聞いて更にそうだと思ったけれど、違ったらしい。


 葉山さんが私に“投資”してくれている以上、私は仕事を絶対に辞められない。


 だけど、学校に行くには仕事を減らすしか方法が無かった。生活を自力で賄いながら学校とバイトを両立した――と、思っていた我妻さんは本当は違った。


 なら、方法を教えて貰おうにも環境が全く違うから当然それは無理になる。



 聞きたい事が聞けなくなった……!がっくりと項垂れた私に、我妻さんはあっけらかんと口にした。


「色々悪かったよ。まさかお前が二十歳だとは思わなかったし、独り立ちしてるとも思ってなかった。お前と俺じゃそりゃあ俺の方が情けねぇよ」

「……随分と口調が変わったと思うんですが」

「ホテルで働いてる奴ら、何でか知らねぇけど揃いも揃って品が良いだろ。俺みたいな族上がりとは違うし、普段は上手く誤魔化してんだよ」


 そう言えば、あの脅しも何となく口が悪かったような。


 ――底辺のお前に教えてやるよ。今の場所がどれだけ脆い物かってな。


 思い出してもぞわりと鳥肌が立つ位に恐ろしい鋭いあの目付き。葉山さんに今すぐ会って安心な広い背中に隠れたくなる。


「誤解が解けたって事で良いだろ。今までの事は水に流せよ」

「……パーティー会場の長テーブルをたった一人で一時間運ばされた事やクロスの色が気に入らないと全種類持ってこさせて最終的に白にした事もありますよね。しかも、休憩に入ろうとしたらコンビニまで用事頼まれて休憩入れなかった事も」

「悪かった!俺が悪かったっ!すぐ駄目になると思ってたし、全く容赦が無かったのは謝る!」


 本性を自分からバラして気が楽になったのか、突き刺さるような嫌味な口調とは違い近所のお兄さんのような口調で謝る我妻さん。



 恨み言は山ほどある。

 いわれのない言いがかり、無茶苦茶な指示、明らかに嫌がらせと分かる事は沢山あった。


 だけど、


「別に、良いです」


 本当は、あんまり気にしていなかった。



 家に帰ればいつだって、私の気分は変わっていた。


 我妻さんやWLへの不満は全部吹き飛んで「おかえり」と言って優しく腕を広げ迎えてくれる――ちょっと脚色はあるものの、とにかく迎えてくれる葉山さんが、それを忘れさせてくれたからだ。


 恋愛って、すごい。


 とびきり優しい訳じゃない。すごく甘やかして貰ってる訳でもない。


 なのに、葉山さんが口角を少し上げるだけで、嘘みたいに気持ちが穏やかになっていく。


 葉山さんが呆れた顔をしても、その顔にさえドキドキする。


 きゅう、と締め付けられる胸が、葉山さんを好きだと私に告げる。



 ――温かいうちに飲め。



 ことり、と置かれたマグカップは。


 葉山さんが買ったものだ。


 ある日いきなり食器棚に現れて、その隣には色違いが並んでいた。深いブルーのマグカップと、淡いオレンジのマグカップ。


 密かにお揃いで買った葉山さんに、思い切り抱き着きたくなっていた。それはさすがに自重したけれど。そんなはしたない事をしたら、どう思われるか分からない。



「お前、本気で言ってんのかよ」

「え?」

「気にしてないって」

「あ、はい。今は全然」

「……」

「あの、」

「何だよ」

「食べないんですか?」

「……」


 冷えた料理に目を向けて、我妻さんはわかりやすく溜め息を吐き出した。


 ……何だ覚えのある光景だ。




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