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 黒い前髪をワックスで上げて、全体的に髪を立てた爽やかな髪型。お客さんの前でだけ、三日月を描く目元と口元。


 まるで簡単に口走る、あっさり切り捨てる非情な台詞。あんなにあからさまに腹黒い人を私は初めて見たと思う。


 ――さっさと帰れよ。誰もアンタを引き留めたりしない。邪魔になるから早く出て行け。


 何だか憎めない愛嬌のある顔立ちに全くそぐわない鋭利な切り捨て。

 笑っていない目の奥が次に捉えた方向は、紛れもなく私の方だった。




「……嫌な、夢」


 寝覚めが悪すぎる。最悪だ。夢にまで出て来たあの人に、辟易としながらベッドを抜ける。


 そのまま眠ってしまったせいか、何だか衣服が気持ち悪い。六時のアラームが鳴る前に、起床出来た事にホッとする。


 まずはシャワーを浴びよう。それから朝食作りに取り掛かろう。ざっくばらんな予定を立てて、防水加工の施されたビニールバックの持ち手を握る。


 葉山さんの使っているシャンプーはそれなりにお値段がするもので、勿論コンディショナーも同じメーカーのものだ。それを使う勇気はなくて、匂いが同じになる事も妙に照れ臭くて、私はよく安売りしているシャンプーを購入して使っていた。


 安い割にはさらさらになるし、使い心地も悪くない。安くて良いものは庶民の味方。お財布に優しいシャンプーは購入する度に愛着が湧く。もう一生このメーカーのシャンプーを使おう、と思う位には。



 芹澤さんから借りているベッドを抜けて、ビニールバック片手にリビングに出る。


 しんと静まったリビングは、昨夜の夕食時とは大違いだ。


 小走りに脱衣場へ向かいつつ、朝のメニューを考える。冷蔵庫には確か鮭があったはず。豆腐が無いから今日の味噌汁はわかめとお揚げ、中途半端に残った野菜がもしあるならそれも入れても良いかも知れない。


 きちんと中身を確認していなかったせいでメニューも曖昧になるけれど、大体の献立が思い浮かべば無駄に悩む時間を過ごさなくて済む。


 冷蔵庫の前で右往左往するのも、それはそれで楽しいけれど。



 着替えをラックの上段に置いて、洗濯機の中を確認する。タオルが二枚と言うことは、芹澤さんが昨夜お風呂に入ったと言うことだ。


 私が帰ってくる前だろうか。そう言えばいつものワイシャツ姿じゃなかったような。


「何気に見てなかったんだなぁ」


 朧気にしか思い出せない。


 けれども昨夜は仕方が無かったとも思う。浮かれていたし、何より葉山さんばっかり見ていて……芹澤さんがあんまり視界に入って居なかった、と。


 そう思ったのは自分の癖に、照れるとは一体何事だ。



 脱いだ服と下着を洗濯槽の中へ入れ、洗剤と柔軟剤も表示された量だけ入れる。


 洗濯機を回し始め急ぎ気味にシャワーを浴びて、タオルで身体を拭いた後、手早く着替えを身に付けた。


 電気を消してドアを開けると


「……悪い」

「セーフです!」


 葉山さんが立っていた。




 今までも何度かお風呂でバッタリと言う危機はあったものの、どれも微妙にセーフだった。


 テレビやドラマで良く見るシチュエーションには中々ならなくて、いつも着替える前か着替え終わった後だった。



 葉山さんが突入する場合もあれば、私が突入する場合もある。


 これにはちゃんと原因があって、どちらも癖が抜けないと言うことが問題だった。



 浴室と脱衣所は電気の場所がそれぞれ違い、葉山さんも私も脱衣所の電気をつけずに浴室の電気だけをつける癖がある。


 私の方は単純に、脱衣所と呼べる場所が前は無かったから電気をつける習慣が無い。

 葉山さんはこの部屋の前に住んでいた所が、脱衣所と浴室の電気が同じだったと言うことらしい。



 浴室だけ電気をつけて、脱衣所には電気をつけない。中々その癖が抜けなくて、たまにバッタリ会う事がある。


 私も入念に確認はしているのだけれど、脱衣所のドアが分厚いせいであんまり音が響かない。


 せめて、浴室の電気がついているかどうかわかるようにガラスだったら良いのに、と考えた事は一度や二度じゃない。


 葉山さんも気まずそうに、しまった……!と言う顔をするからどちらも微妙な気分になる。



 脱衣所の電気をつける癖を、早い所つけなくちゃならない。脱衣場の電気のスイッチはドアの外側だから、それがオンになっていたら入っているとすぐに分かる。




「葉山さん、シャワー浴びますか?」

「いや。顔を洗いに来ただけだ」

「あ、そうなんですか。良かった。もう洗濯機回してしまったので」

「早いな。朝からお前はよく動く」


 感心するように葉山さんは目を細めて、私の湿った頭に手を置いた。


「濡れますよ。もしかして、物音煩かったですか?」

「煩くしたつもりなのか」

「なるべく静かにしたつもりでした」

「だろうな。何も聞こえなかった」


 じゃあ何でわざわざ聞いた。突っ込みを入れたくなる衝動を我慢しつつ、葉山さんの横を抜けて脱衣所からさっさと出る。


「乾かすんだろう。やってやる」

「いえ、大丈夫です。先にお米研いでからに乾かします」

「……」

「朝ご飯は鮭でも良いで、いっ…!」


 ぶち、と髪の毛が抜ける音がした。頭皮に突如として走った痛みは、間違いなく葉山さんによるものだ。


 引っ張られた髪の毛は数本抜けてしまったらしい。


「やってやる」

「……痛いです」


 不満をありありと顔に浮かべ睨み付けた私に、問答無用だと言わんばかりの強引さでドライヤーを手にした葉山さん。


「乾かしたいなら乾かしたいってそう言ったら良いじゃないですが。何も引っ張らなくたって……」

「お前……強くなったな」

「どういう意味ですか」


 しみじみと私を見た葉山さんは、思わず、といった様子で噴き出した。


「あながち、真琴も間違ってはいないらしい。そんなに俺の相手をするのは忍耐力が必要か?」


 可笑しそうに目元を緩めて笑う姿に不覚にもどきっとする。


 髪の毛をオールバックにしていない葉山さんはいつもよりずっと若く見えて、仕事する姿の方をよく見ていた私には未だに刺激が強かったりする。


「葉山さん、すぐ揚げ足取るじゃないですか。なので、それに負けて怒らないように自分を度々戒めます」

「……どっかの修行僧みたいだな。美月は反応が良いから、ついからかいたくなるんだろう」

「やっぱり芹澤さんと兄弟ですね。……似てます、すっごい似てます」


 遠い目をしながらそう言うと、葉山さんは指を伸ばして私の横髪を耳に掛けた。



「嫌いか?」

「意地悪な所ですか」

「まぁ、それも含めてだな」

「…………好きです」

「だと思った」


 自惚れる葉山さんに反論出来ないのは、私の恋愛経験値が低いからだ。


 きっとそうに違いない。そうじゃないなら、言ってやるのに。


 ――葉山さんだって私の事が好きじゃないですか、と。


 言い返した所で、返ってくるのは頷きだろうとも思う。そう思うと……やっぱり、まだまだ勝てそうない。




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