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迎えに来た葉山さんは明らかに怒っていて、つい無言になる私は助手席の窓を意味も無く見つめていた。
途中で帰ってすみませんとか、ご迷惑をお掛けしてすみませんとか、沢山頭に出てきた言葉は全部謝りの言葉で、思い返せば大人の男性と言葉を交わす時にはいつも謝っていたような気がした。
どうして心配してくれたんですか、と聞いてみたい。
だけど、返って来た言葉が“子供だから、可哀想だから”というものだったらと思うと怖くて聞けない。
車のスピードに合わせて移り変わる街並みは、私が今まで見ていたものとは少し違って見えた。
「葉山さん」
先に口を開いたのは、私。
沈黙を破った癖に窓から目を離さずに名前を呼んだ私は弱虫以外の何者でもない。
「何だ」
ワントーン低めに発せられた返事は不機嫌なのを隠しもせずに、至って自然なまま私の耳に届いた。
「……私を、可哀想だと思った事はありますか」
何でそんな事を聞いたのか、と言われたら答えられないかも知れない。考える前に出てきてしまった問いは、私が一番答えを聞きたくない筈の質問だった。本能的に知りたかったのかも知れない。だから無意識のうちに質問してしまった。
一呼吸置いて、葉山さんは刺々しく私を責めた。
「大体、お前は勘違いが多い」
「は……い?え?」
「駐車場にお前の姿が無かった時、大方勘違いでもしてるんだと思った。――勘違いと言うにはチーフは直接的だったが」
「どういうこと、ですか」
「確かにお前は背負い込み過ぎて他の人間の仕事を取る事が多いだろう。でも、それはそいつが悪い」
「……え」
「お前より先に動けなかったそいつが悪いと俺は思う。仕事を横取りされるのはそいつの行動が遅いからだ」
淡々と、でも言葉を選ぶように葉山さんは紡いでいく。私にはそれが説明と言う名の励ましにも思えた。
「チーフは理由を探してた。いつお前にストップを掛けていいか分からないままずっと様子見して、今日のタイミングを選んだだけだ」
「……今日だけじゃなくて、ずっと思ってたって事は何となく分かります。でしゃばり過ぎたって、自分でも思いました」
出過ぎた業務は嫌われる。有り難迷惑と言うやつだ。
「だから、それが勘違いだ」
葉山さんの溜め息が深く吐き出される。ハンドルを握った手の指先は苛立ったようにリズムを刻んで。
「…勘違い、ですか?」
「言っただろう。仕事を横取りされるのは横取りされた人間が悪い。チーフは今日お前が必死になり過ぎて爆発しそうだったから敢えて理由をこじつけてああ言った」
噛み砕いて考えて、それでも分からなくてもう一度考える。チーフが今日私を呼んで注意したのが、こじつけ。本当の目的は注意じゃなかった。
そこまでは分かる。でも、それから先がよく分からない。
難しい顔をした私を葉山さんが一瞥して、呆れ顔を見せた。
「本当は分かっているのに、一向に納得しようとしないのはお前の悪い癖だ。そのままの意味だろう」
――肩肘を張りすぎていると思う。
――少し、力を抜いてみなさい。
あれが、遠回しな説教なんかじゃないとしたら。あの言葉を捻くれたりせずにそのままの意味で解釈するなら。
「チーフは心配してるだけだ。お前が、佐藤がいきなり壁にぶち当たって立ち上がれなくなる前に、一度休んでみろってな」
知ろうとしなかっただけで、本当はいつも心配してくれていた。色眼鏡で見ていたとチーフは素直に謝ってくれて、その上で私を心配してくれた。
耳を塞いで聞こえないようにしたのは、その心配が偽りでただの同情だったら悲しいから。
だから、聞こえない、知らない、分からないと思いたかった。実は心配なんてしていなかったと知って絶望するのが嫌だから、気付かない振りをした。
「最初は可哀想な奴だと思った。高い踵のパンプス履いて、大人に混ざろうと必死になってる姿が痛々しくてな」
「身長が、低いので。ヒールが高かったら少しは年齢誤魔化せるかと思って……」
「でもな、すぐに気付かされた。可哀想って言葉はお前に似合わない」
「似合わないってどういう意味ですか」
「あんなにハングリー精神が強いスタッフを見た事が無かった。ピラニアにも負けない食い付きで黒服に食って掛かる奴を可哀想なんて思えると思うか?」
くっと喉を鳴らして葉山さんが笑った。
貴重な笑顔は仕事じゃ殆ど見られないもので、見逃さないようにじっと見つめる。葉山さんは、笑うと少しだけ幼く見えた。
「お前みたいなのを猫被りだと言うんだろう?表では人畜無害に見えて裏では……ピラニア……くくっ…!」
「しっ、失礼な事言わないで下さい!ピラニアって…例えが全く可愛くないじゃないですか」
「俺が威圧感あるのは知ってる。いつも怒ってるみたいだとか言われた事も少なくない」
誰に言われたんですかと無粋な質問はしない。ただ頷いて聞く私に、葉山さんは息を整えて話し出す。
「そんな俺でも圧倒された事がある」
「葉山さんが?」
考えられない。思わず目を見開いた私の中に、一つの顔が浮かぶ。怒ったチーフ、あれだ。間違いなくあの顔だ。
「チーフですか?」
「違う」
ぴしゃりとはね除けられた私の解答は肩透かしを食らったように地に落ちて、葉山さんは勿体振りながら赤信号で車を止めた。
「早く指示をしろ、早く許可を出せ、そんな風に思ってる目で見られたな」
「うわぁ……何て怖いもの知らず。もしかして、宮坂さ、」
「違う」
「……」
「俺は帰れと言ったんだがな、そいつは厨房に行きやがった」
「わたし……!?」
「考えてみろ。お前しか居ないだろう、そんな馬鹿は」
辿り着いた答えは私。余りにも失礼な言葉にムカッとしながらも、楽しそうに笑う葉山さんに怒れない。
そんなに笑う事かと言ってやりたい。
「ってことは、私が葉山さんを圧倒したんですか?」
まさか、と首を捻る私に葉山さんは頷いてそれを肯定した。あの時、そんなつもりは無かったと思う、と言うより、ただ急いでいたような記憶しかない。
「だから、そんな奴を相手に可哀想なんて思ってやりたくない。可哀想って言葉が可哀想だ」
「葉山さんって毒吐きますよね、しかもグサッと来るやつばっかり」
「これがさっきの質問の答えだ。納得したか?」
「……はい」
「なら良い。着いたぞ」
駐車場に車を停めてエンジンを切った葉山さんは颯爽と降りて先を歩く。
私を置き去りにする気遣いも気配りもないような態度はいかにも葉山さんらしくて笑いを噛み殺しながら早足に追った。




