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はじめてのホストクラブ……とはいかず、その横にあるビルで私は明子さんと向かい合っていた。
歳上のお姉さんは思わず抱き締めたくなるような困った顔をして足を組んでいる。
「ううん……何となく分かる気がするわ。美月ちゃんは頑張り過ぎて危なっかしい所があるのよねぇ」
チーフから言われたことや考えたこと、洗いざらい話した後に明子さんは困ったように眉を寄せた。
「どうやって力を抜いていいのか、やり方が分からないんです」
手を抜く事はしたくない。かといって、肩の力を抜くと言うことがどうやれば良いのかも分からない。
「そうねぇ。一生懸命やるのは良い事よ。でもたまにはこう…誰かに任せてみるとか、頼ってみるとか」
「誰かに任せる?」
「そうよ。自分でしてしまうんじゃなくて、誰かに任せてみるの」
「でも……、それは私の単なる怠慢じゃないですか?」
「美月ちゃんがサボるって事じゃないわ。誰かを信じて任せるの。この人ならちゃんとやってくれるって信じて仕事を任せてみたら?」
「それが失敗したら、その人は自信を無くしたりしませんか」
「…そうね。でも、それは美月ちゃんのせいじゃないわ。その人が至らなかったというだけよ」
明子さんの話を聞きながら、思い返す。
あの子がデザートのお皿を割ってしまった時、私は自分のせいになると思った。リーダーだから、私の失敗になる。そう思っていた。
「誰もが失敗をして成長するの。美月ちゃんは人の失敗まで背負ってしまうから…、きっと成長が早すぎて気持ちが考えに追い付いていないのよ」
「追い付いていかない、ですか」
「経験が多い分、頭では失敗を挽回して頑張らなくちゃと考えてるけど、気持ちはそうじゃないのかも」
「ちょっと、分かります。どうして私が、とか、何でいっつも、とか、本当は思うんです」
「美月ちゃん。気持ちはまだ十八歳で、考え方だけが経験を経て仕事一色になってるんじゃない?」
怒られたり、咎められたりすると一瞬だけ思う。
私は会場の事を一番に考えてるのにどうして怒られなくちゃいけないの、他人の失敗を被りたくないけど被った方が効率が良いから仕方ないじゃないですか、何で周りはもっと一生懸命やらないのこんなに私は必死なのに、なんて思ったりする。
口では私はまだまだですと謙遜する癖に、内心ではいつも理不尽に怒っている。
不満を挙げればきりがない。
どうしてお父さんもお母さんも死んでしまったのと責めたいし、高校にも大学にも行きたかった。
だけど、そんなのは言ったって仕方がないことだ。
葉山さんから褒められてもそれを素直に受け入れられない。
佐藤はよくやってる、その言葉の中に“年の割りには”という意味が含まれているような気がして、どうにも褒められていると思えなかった。
ひねくれて卑屈になった私を誰にも知られたくなくて、境遇なんて全然気にしていませんという素振りで最初に意地を張ったのは私。
初めから人に甘えられていたなら、もっと違う道を歩けていたのかも知れないと時折振り返りそうになって思う。
「ねぇ、美月ちゃん。こういうことを言ったら嫌な気持ちにさせてしまうかも知れないけど……美月ちゃんはまだ、中学三年生のままで気持ちが止まってるんじゃないかしら?」
明子さんは、本当に申し訳なさそうに言った。
それは私の中で一番触れられたくない部分だった。
「――分かってます。自分でも、たまにそう思うから」
高校生活を知らないまま、大人の中に飛び込んだ私。周りの同じ年の子は学校生活を謳歌して、輝いて見えた。あんな風に遊びたい、勉強したい、もっと自分の時間が欲しい。
何度思ったか分からない。
「無理矢理な敬語も、頭を下げるのも、すみませんって言葉も…全部きらい」
大嫌い。悪くないのに謝って、下げたくもない頭を下げて。
――宮坂さんは、間違っていない。
本当は謝りたくなんかない。理不尽なことには言い返して反発したい。たとえ喧嘩になってしまっても、私は言いたい事をはっきり言いたい。
そういう性格、だった。だから友達が少なかったのだけれど。
ぎゅっと握り締めたマグカップには、明子さんが淹れてくれたブラックコーヒーが入っていた。
初めの一歩は派遣会社で出されたブラックコーヒー。飲めないのに飲めると嘘をついて大人ぶった。
年若い私を無遠慮に見つめて、面倒臭そうな顔をした派遣会社に初めての愛想笑いをして、お願いしますと頭を下げた。
でも、本当は。
「わたし、学校に行きたかった…」
じろじろ見ないで、私だって好きでこの歳から働くんじゃない。
そう言ってやりたかった。
お洒落して、友達を作って、彼氏なんかに憧れて、そうやって準備期間を終えてから大人になりたかった。
「……学校に行きたいなら、行かせてあげるわ。お金だって貸してあげる。付き合いは長くなくても、美月ちゃんが恩を仇で返すような子だとは思ってないの。でもね、美月ちゃん」
明子さんは目を伏せた。
続きはきっと、
「美月ちゃんはそうして貰った事を、きっと後悔するでしょう?」
面倒な私の性格は、明子さんにはしっかり見抜かれていて。
誰かにお金を貸して貰って学校に行ったとしても、私はそれを必ず後悔する。人に頼って過ごさせて貰った学校生活は私の中で全くきらめかない。
「そんな美月ちゃんが、私は好きよ。他の人もそうなんじゃないかしら」
私みたいな背伸びした大人もどきとは違う、本当の大人の言葉は胸に響いて吸い込まれて行く。
「……携帯、鳴ってるわ」
着信を知らせるバイブレーションは鞄の中で鈍く響いて、私の沈んだ気持ちを断ち切るように鳴り続ける。
――葉山さん。
携帯を耳に宛てて一呼吸。
どんな言葉を口にしようか戸惑い迷う私に、有無を言わせない導くような強い一喝。
「この馬鹿がッ!駐車場で待つように言っただろう!」
――ああ、葉山さんだ。
能天気にそんな事を思った私は何故かホッとして。いつもの怒鳴り声がこんなにも嬉しいのは、どうしてだろう。つうっと頬を伝った涙は温くて幼い。
いつの間にか私は泣いていて。
うっすら笑いながら泣く、なんて不気味な顔を明子さんに披露しながら小さく笑い声を上げた。
「今どこに居る?迎えに行くから……何でお前笑ってるんだ」
「開口一番に、怒鳴るって、葉山さん、らしくて……なんか、笑いがっ……」
思い出してみれば、バーカンに入ったあの日から葉山さんは頻発に私に怒鳴っていたような気がする。
それだけ私を見ていてくれたのかも知れない。
「美月ちゃんを心配してるのは、私だけじゃないみたいね」
悪戯っぽく笑った明子さんは茶目っ気溢れるウィンクをして、マニキュアの塗られた綺麗な指先を添えてマグカップを静かに手にした。
「はい、帰ります、行きます、そんなに怒鳴らなくても……はい、すみません」
捲し立てて怒る葉山さんが口にするのは帰って来い戻って来いの繰り返しで。
最終的には迎えに行くと強く言われて、周辺情報と隣のホストクラブの名前を伝えたら一方的に電話を切られた。
「戻って来いとか迎えに行くとか、どっちかはっきりして欲しい……」
照れ隠しのように唇を尖らせて、厚かましくも文句を言う私に明子さんは噴き出して笑った。また、いつでも電話して欲しいと去り際にウィンクをくれて、遠慮がちに頭を撫でた綺麗な人を私は一生忘れないと思った。




