表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虎帝妃の書  作者: 五十鈴 りく
⓬雪月 834年?月?日~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/53

⓬雪月―セツゲツ―⑵

 ――けれども、都から遠く離れた土地に落ち延びても、私たちに平穏は訪れません。


 陛下の素性が知られてしまえば、どんな小さな村であろうとも我が身可愛さに陛下を簒奪者に引き渡してしまうことでしょう。

 とにかく私たちは素性を隠して過ごさねばなりませんでした。


 身分を表す錦の衣を脱いで薄物一枚になったとしても、私の目には今の陛下はご立派に見えました。


「私が店で交渉してきます。お二人は隠れてお待ちください」


 私の衣と(かんざし)は金に換えられます。白瑚(はくこ)も虎皮以外の装飾品であれば手放してよいと言ってくれました。

 陛下はもしかすると、白瑚が金目のものを持ち去って戻ってこないかもしれないと心配されていたのかもしれません。

 私は陛下の手にそっと触れました。


「陛下のお命が助かって、こうして生きておられるのなら、私は多くを望みません。本当に、よくぞお戻りくださいました」


 今になって熱い涙が零れ落ちました。

 陛下はそんな私の頬に触れ、苦々しくおっしゃられたのです。


「お前は朕にとって吉凶を占う神聖な娘だった」

「吉凶を占う?」


 意外なお言葉でした。私は陛下に占術をお見せしたことなどございません。


「ああ。戦に出る前には必ずお前の茶を、毒見を通さずに飲んだ。毒見をさせずに口から物を摂ることなど他にはしない。あれは危険なことだったのだ。多少の毒には耐えられる体だが、お前の茶に毒があれば朕は死ぬこともあっただろう。戦の前の運試しのつもりだった」


 それをお聞きし、私は唖然としてしまいました。

 私が毒を仕込むことなどあり得ません。けれど、誰かが仕込むのは不可能ではなかったでしょう。ただし、私がどの茶葉を使うかは私にしかわかりません。ですから、毒を仕込んだとしても使われないことも考えられます。


「お前は(しゅう)右丞相の手中の(たま)だ。どれほど大事にしても、もういいということはなかったはずだ。それが――」


 陛下が私を抱き締めてくださいました。

 その労りに感涙するところではございましたが、虎にいたぶられたことを体がまだ覚えております。

 私の体が強張ってしまったことを陛下もお感じになったのでしょう。


 そっと私の髪を撫で、それから手の甲に軽く触れるだけの口づけをくださいました。

 こんなことを、あの虎は一度たりともしませんでした。同じお体でももう別の、本物の陛下なのだと私はようやく実感できたのかもしれません。


「今の朕には戦う術がない。兵も武具も持たず身ひとつだ。それでも玉座を取り戻す力もなく、こうして命を永らえるのがやっとだとは惨めなものだ」


 陛下のご心痛を、私はどうお慰めすればよいのかわかりませんでした。それでも私は陛下に寄り添うのみです。


「身を潜め、生きることこそ肝要です。命あらばいずれ時は巡って参ります」

「そうだろうか。……いや、そうだな。ここで命を散らす程度であれば、(はな)から国など治める器でもない」 

「この国が虐げられたとすれば、暴君は討たれます。それがこの大東国の(ことわり)でしょう」




 ――それから二年。

 易姓革命が起こりました。帝位を簒奪した岱王(せんおう)濤綴(とうてつ)様が討たれたのです。


 私たちはそれを大東国の端、西寄りの小さな港町で知りました。

 その時、私は身重でした。琳紹(りんしょう)様の御子を宿していたのです。


 琳紹様は存命であると名乗りを上げて兵を集め、挙兵することもできました。けれど、それをされなかったのでございます。

 登頂した人物が国を統べるに相応しいと天がお決めになったからこそ易姓革命が成るのです。


 そのことに琳紹様――旦那様がお悩みであることには気づいておりました。


()は名乗りを上げて命を賭して玉座に戻るより、国の片隅でお前と子を護って生きたいと願ってしまった。それを天に見透かされたのだ」

「旦那様が私たちを護ってくださることを喜ぶ我が身も浅ましいのでしょう。旦那様がおられなくては、私たちは生きてゆけません」


 贅沢な暮らしではございませんが、共に過ごせることが至福と申せましょう。

 後の世の史書に、景王朝第三代皇帝宋琳紹は異母弟によって討たれたと書かれるのでしょうか。


 そして、琳紹様を暴君と記すのかもしれません。

 ですから、せめて私はここに真実を記します。


 まるで作り事めいたことで、読まれた方が信じてくださるのかは私にもわかりません。

 それでも私は、私たちをこのような境遇に陥れた虎がいたことを誰かに知って頂きたいのです。


 私の勇敢な友、(ばん)信志(しんし)が命を賭して虎を封じてくれました。

 ――けれど、もし万が一、あの粗暴な虎が逃れていたとしたら。


 時折それを夢に見てうなされてしまうのです。

 どうか、そのようなことがありませんように。

 虎との戦いは終わったのだと、私は願ってやみません。


 最後に、私のもう一人の友、白瑚。

 あなたは私たちを逃がしてくれたばかりか、そばで支えてくださいました。

 あなたの存在に私たちはどれだけ救われたことでしょう。


 けれど私たちが老いても、あなただけは時の流れに(くさび)を打ったように揺ぎなく。

 ひとつの土地には留まれないのだと、あなたは私たちに別れを告げました。


 けれど、住む土地を変えて流れ続けるあなたはどこへ行くのでしょう。

 私はもう、あなたに会うことはできないのでしょうか。


 それでも私は、この生がある限り、あなたと巡り合えることを願ってやみません。

 たとえ会えずとも、それでも、私はあなたを想います。


 私たちを救ってくれてありがとう。

 どうか、あなたが幸せでありますように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ