➑雪月 ―セツゲツ― ⑴
虎が化けた人には踵がない。
それは万が書物で調べた限りのことで、間違いでないとは限りません。踵まで上手く化けられる虎を誰も知らないだけでしょうから。
だとしても、今は上手くいきますようにと祈るしかありません。そんな私の考えなど何も知らない太監によって、私は陛下のもとへ連れていかれました。
昨晩逃れられたばかりに、今晩はきっと手荒に扱われるのだということはわかっていました。私を残して足早に去った太監でさえ怯えているのが伝わります。
寝台の縁に腰かけている陛下はまだ靴を履いておりました。寝衣も着たままです。
私が入り口で固まっていると、苛立ったように言われました。
「早く来い」
抗おうとする膝を無理に進め、私が寝台に近づくと、腕をつかまれました。
そのまま寝台に叩きつけられ、物のように転がされます。閨事が始まると、私は何も見えず、また考えることすら難しく、ただ心を無にして自分を守るのに必死になってしまうのです。
背中も踵も、どうすれば確かめられるのでしょう。私の掌に目がついていたらいいのにと思わずにはいられませんでした。
もしかすると、傷は触れば手触りでわかるかもしれないと、私は恐る恐る陛下の体の下から手を伸ばし、陛下の衣のはだけた右肩に触れてみました。
熱い、汗ばんだ肌で指が滑らず、私の手が不愉快だったのか、陛下は私の首をつかんで体を引き剥しました。
「――っ」
私が息を詰めて苦しんでいると、嘲笑う声がかかりました。
「なんのつもりだ、小娘」
恐ろしくて、やはり確かめるのは無理だと思いました。
私が目を閉じて力を抜くと、陛下は満足そうにまた私を弄び始めました。
けれど、陛下を取り戻すためにそれが必要なのだとするのなら、私は戦わなくてはならないのでした。
あと少し、ほんの少しの勇気が必要なのです。私はお優しかった陛下のことを思い浮かべ、自分を奮い立たせました。
陛下の隙を衝き、私は寝台の上で横に転がって身を起こしました。
陛下から逃れようとするように後ずさると、陛下は舌なめずりをする獣じみた愉しそうな笑みを浮かべておりました。
虎は逃げる獲物を追い詰めるのが好きなのでしょう。
私が寝台から降りると、陛下も降りてきました。私は機敏に動けず寝台の周囲を這い、陛下はそんな私を追いかけるのではなく、残忍に笑っていました。
「今日は随分と戯れが過ぎるな。明日の朝、お前の侍女の首でもねじ切ってやろうか」
本気でそれをするのだとわかりました。
金児をそのような目に遭わせるわけには参りません。ならば私は虎に屈するしかないのでしょうか。
涙が零れそうになりますが、泣いていては何も見えなくなります。私はその場から立っている陛下の姿を確かめました。
靴を履いていなかったのです。
踵は――ありました。
大きく逞しいおみ足は人のもの。力強い踵がしっかりとあります。
それを確かめられただけでもよしとすべきでしょうか。
私はその場に膝を突き、陛下に許しを乞いました。
「申し訳ございませんでした。二度とこのようなことは致しませんので、それだけはご容赦ください」
「寝台に戻れ」
「はい」
覚悟を決め、私が寝台に戻ったその時、陛下は一度寝台の縁に腰を掛けられたのです。
そこから古傷が見えました。矢は掠ったのではなく、刺さったのだとその傷跡でわかりました。
陛下は寝台に戻った私の髪を引っ張り、私が再び逃げないように手に髪を巻きつけました。それがとても痛いのですが、万に言われたふたつのことを確かめられたという収穫はありました。
どうしてもこれを万に伝えたい。それだけが今晩、私が正気を保てた理由だったように思います。
わざと私が苦痛を感じるように苛んでいる様子は、仕留めた獲物で遊んでいる獣さながらでした。
それにしても、陛下は眠らないのでしょうか。夜通し責め立てられ、私はこのまま死んでしまうのではないかと短い時の中で何度も思いました。
もし子を孕んだとしたら、それは陛下の御子なのか、それとも虎の子なのか。
それを考えると吐き気がするほどでした。
あの矢傷があるということは、これは陛下の玉体なのです。
虎が陛下に化けているのではなく、お体は陛下のもので、虎妖が憑りついているというのでしょうか。




