⑥Eilidh ―エイリッド― ⑵
それから、エイリッドはお花摘みと偽って自室に駆け込んだ。
そのまま慌ただしくペンを取る。認めるのはサイラスへの手紙だ。
フォレット横丁にあるという骨董品店に自分宛ての伝言を頼めるとサイラスは言っていた。どうにかしてサイラスと連絡を取りたい。
サイラスも昔住んでいた屋敷で殺人が行われたのだから、まったくの無関心ということはないはずだ。
問題は、これをどう届けるかということだが。
人に託せないのだから、自分で行くしかない。これからやってくるネイトとアレン夫人が帰ったら、少し抜け出して自転車でどうにか行けないだろうか。
フォレット横丁はこれまで近寄ったことこそないが、図書館からそれほど離れていなかった気がする。西口に骨董品店が一軒だけであることを祈りながら手紙を書き終えた。
そっくり着替えてしまうのは難しいので、普通のスカートの下に自転車用のズボンを穿き、手紙を服の下に忍ばせて、エイリッドは何食わぬ顔で茶会へ戻った。
その頃にはいたのだ。ネイト・アレンが――。
写真よりも少しくらいはマシに見えたのは、愛想笑いを貼りつけていたからだろう。
母を相手にお愛想を言っている。
「ああ、戻ってきたわ。小さい頃に会ったといっても、久しぶりだから初対面と変わらないでしょう? エイリッド、ご挨拶なさい」
笑顔でエイリッドを値踏みしている男。
やっぱり変わっていないなと思った。変わったのは眼鏡のフレームくらいだ。
「エイリッド・グレイソンです。兄がいつもお世話になっております」
感情を込め過ぎないで挨拶をすると、ネイトは眼鏡の奥の目を細めた。
きっと都合よく、エイリッドが緊張しているからだと受け取っている。
「こちらこそイーデンとは仲良くしてもらっているよ。それにしても驚いたな、あの小さかった女の子がすっかりレディになって、見違えたよ」
「ありがとうございます」
あなたに言われても嬉しくないと思ったのが透けて見えただろうか。
サイラスには、エイリッドはすぐ顔に出ると言われたが。
「少し二人でお庭を歩いてくるといいわ」
母が提案すると、アレン夫人もそれに賛成した。
「私たちはもう少しここでお話しているから」
ネイトは、やれやれといった仕草をしてみせ、それからエイリッドに視線を送った。
不本意だけれど、さっさとお帰り頂くためには揉めてはならない。エイリッドは気力で笑ってみせた。
「ではご案内しますね」
連れ立って歩けば、背中に母たちの視線が刺さった。それから、ネイトもチラチラとエイリッドを盗み見ているが、それには気づかないふりをした。
面白くもない、葉が落ちて枯れた庭を案内してやろう。
けれど、ネイトは庭など少しも興味を示さず、勝手にペラペラと喋り出した。主に兄との思い出や、自分の経歴についてだ。相槌を打っておいたが彼の声が耳の上を滑っていく。
そのまま自分の話をしていてくれたらよかったのだが、今度はエイリッドの話題になった。
「君は本をよく読むそうだね。どんな本が好きなんだ?」
「特に好きなのは大東国の文学や民俗学に関するものですね。我が国にはないものばかりでとても面白く感じます」
適当なことを言っておけばよかったのに、つい本気で答えていた。
それなのに、ネイトは急に真顔になった。
「女性がそんなものを好むのかい? 恋物語や家族愛を描いた物語とかじゃなくて?」
「大東国の文学にも愛情は書かれていますが?」
「大東国の文学なんて、そんなに多く翻訳されていないだろう?」
「ええ。ですから自分で翻訳しながら読みます」
それを言ってから、言わなくてよかったなと思った。甘いと思って頬張ったケーキが塩辛かったかのような表情をされたのだ。
「自分で? そんなことまで習ったのか。まあ、僕も仕事柄大東国に関わって語学は学んでいるけれど……」
この男は、自分よりもずっと年下の女が賢いなんて認めたくないのだ。若い娘は浅はかな方が可愛らしくていいとでも思っている。父や兄と同じだ。
生憎と、エイリッドは自分よりも年上の男が浅はかなのは可愛いと思わない。
「大東国に関われるなんて羨ましい限りですわ。家族は向こうで過ごすことが多いのに、わたしはいつも留守番ですから」
本気で羨ましい。この男が官僚になるより、もしかするとエイリッドの方が向いているのではないだろうか。
ネイトはエイリッドから顔を背け、ブツブツと独り言つ。
「……まあ、向こうに滞在することになったら語学力があれば役に立つか」
聞こえている。
あなたの役に立つつもりなどないとエイリッドは苛々したが、早く帰ってほしいので黙っておいた。
「うちの庭は手狭ですので、もうご案内するところもございません。さあ、戻りましょう」
軽く一周。これで十分だ。
ネイトの方もエイリッドと別れてから色々と考えたいらしく、居座るつもりはないようだった。
「また今度、イーデンがいる時に遊びに来るよ」
「ええ、そうなさってください」
勝手に兄とつるんでくれればいい。
アレン親子を見送ると、母が何か言いたげな視線をエイリッドに向けてきた。
「素敵な方でしょう?」
そうは感じませんでした、というのが本音だが、それを言うとややこしくなる。
「わたしにはまだよくわかりませんわ」
こんな時だけぼんやりした娘になっておく。
「あら、あなたって十六にもなって子供ねぇ」
そんなことを言いつつも、母は少しほっとしたようにも見えた。
娘が急に女の顔を見せるよりは、いつまでも子供っぽい方が安心するのだろう。
指摘する気も失せたが、ちなみにエイリッドは十七歳である。




