奥義一閃
精霊王の住む場所で受けた修行の日々。
その中で、近接戦闘における母さんなりの奥義を、今度の戦いの切り札として教わることになった。
どんな奥義なのかを尋ねると、まずは体感してみろと言われ、母さんと距離を取って対峙する。
しっかり見るために目を凝らす前で母さんが構えを取って――。
「――えっ?」
瞬きすらしていないのに、いつの間にか目の前で寸止めされた母さんの右拳があった。
なんだ、今何が起きたんだ、構えから寸止めまでの間に何が起きたのか、全く見えなかったし分からない。
どんな奥義なんだろうという好奇心は一瞬で消え去って、残ったのは寒気と恐怖心だけ。
思わずしりもちをつき、もしもこれが寸止めでなければと考えると体が震えだす。
「今のが、母さんなりの奥義?」
震える声での問い掛けに、拳を引いた母さんが無言で頷く。
「そうよ。今、何が起きたのかは理解してる?」
「……全然。母さんが構えた次の瞬間には、目の前で拳が止まっていた」
集中していない訳じゃなかった。
それなのに途中の過程が全く見えなくて、構えた後からどうやって寸止めに至ったのか分からない。
「何をやったのかって顔ね。だけど、特に変わったことはしてないわ。構えてあなたへ近づいて拳を突き出した。ただそれだけよ」
えっ? たったそれだけ?
普通に殴り掛かった‥…だけ?
「それが奥義なの?」
「あら、ひょっとしてかっこよくてド派手な技でも想像した?」
思いっきりしてた。
「だとしたら勘違いよ。奥義っていうのは、技じゃなくて極致や極意。要するに、当たり前のことを極めることにあるの」
「当たり前のこと?」
「そうよ。それぞれの職業における当たり前のことを極める。これが奥義だと、私は考えているわ」
職業における当たり前のことを極める……。
だとすると冒険者にとっての当たり前ってなんだ?
「冒険者に限らず戦う職業、とりわけ近接戦闘をする人にとっての当たり前。それはね」
ごくり。
「如何に強くて速い攻撃で相手を倒せるかよ」
……それだけ?
いや、間違ってはいないと思うけど、当たり前すぎてちょっと拍子抜けだ。
「だってそうじゃない。どんなに強い攻撃ができても、遅かったら簡単に避けられちゃうでしょ? どんなに速い攻撃を繰り出しても、弱かったら傷一つ付けられないでしょ?」
まあ、うん、そうだな。
「そんな当たり前を極めるのが奥義。だけど私なりの奥義は、これにもう一つ要素加えたものなの」
「もう一つ? それって?」
震えの止まった体を乗り出して尋ねると、母さんは指を一本立てた。
「一撃。たった一撃で相手を倒すの」
「い、一撃で?」
「そうよ。自身が出せる強さと速さを一撃のためだけに集中させることで、その人の最強かつ最速の攻撃を引き出すためよ」
自分が出せる最強かつ最速……。
「前世の私が生まれ育った世界には、心技体という言葉があるわ」
「シンギタイ?」
「精神力を指す心、技術を指す技、体力を指す体のことよ」
心と技と体。
それを纏めて心技体って呼ぶのか。
「それを基に私はこう考えているの。体とは自身の肉体の持つ力全て、技とは肉体の力を余すことなく攻撃に利用する技術、心とはその一撃以外の余計な事は一切考えない集中力ってね」
肉体の持つ力全て、それを余すことなく攻撃に利用する技術、それ以外は余計な事を一切考えない集中力。
それが母さんなりの心技体か。
「自身の肉体が持つ力全てを、一切の無駄も無く攻撃のためだけに利用する技術で、その一撃以外は一切考えないほど集中した心。それが私なりの奥義、その人物にとって最強最速最高の一撃に繋がるの」
「最強最速最高の一撃……」
さっき体感させられたのは、今の母さんに出せるそれってことか。
そして、それが母さんなりの奥義。
「でも、一撃って部分に拘る意味はあるの?」
「当然あるわよ。というのもね、人体はどれだけ鍛えても、ごく短い時間しか全力を出せないの。本人は全力を出し続けているつもりでも、本当の意味での全力からは徐々に落ちているの。だからこそ一撃に拘るのよ」
なるほど、ちゃんと意味があるのか。
短い時間しか発揮できないから、一撃の為に全て注ぎ込む、か。
「じゃあ、もしも防がれるか避けられるかしたら?」
「はい駄目!」
「えっ!?」
駄目って、どこか駄目なんだ?
「さっき言ったわよね、一撃に全てを注ぎ込むって。だったら、防がれたらとか避けられたらとか二撃目はとかなんて、一切考えちゃ駄目なの。心技体、この三つをその一撃以外には一切使わないからこそ、最強最速最高の一撃になるのよ。防がれたり避けられたりするよりも速く、どんな防御力であろうと破壊するほど強く、二撃目なんて一切考慮しない極限の集中でそれを成す一撃。それが私なりに辿り着いた極意、即ち奥義なのよ」
強いから、どんなに屈強でも頑丈でも破壊できる。
速いから、防がれないし避けられない。
一撃だけにそれらを集約するから、防げず避けられず、破壊を免れない最強最速最高の一撃に至る。
それが母さんなりの奥義……か。
「ただし勘違いしないでね。これはどんな強敵にも通用する必殺技じゃなくて、その人物が出せる全力全開での攻撃を引き出すだけ。通じなかったらそこまでよ」
最強最速最高といっても、あくまで本人の能力次第ってことか。
持っている力の全てを引き出しても、それ以上の防御力を持っていたら破壊できない。
どれだけ最速で動いても、相手がそれより速かったり反応されたりしたら当たらない。
つまりどれだけ鍛えてそこへ至っても、そもそも通じないかもしれない。
母さんの言う通り、奥義はあくまで極意であって、絶対無敵の必殺技じゃないって訳か。
「今のあなたにとっての最強最速最高の一撃が、アレに通じるかは分からないわ。だけど、試さないうちから分からないっていうのは、間違っている。だからこそ、あなたには奥義を習得してもらうわ」
俺がさっきのあれを……。
「ああそうそう、この奥義に終わりは無いわよ。今よりも強くなって技術を磨いて精神を鍛えるほど、今度は奥義そのものを突き詰めていくんだから」
終わりの無い奥義か。
上等だ、やってやろうじゃないか。
「教えてくれ、その奥義を」
「いいでしょう。じゃあまずは、肉体の全力を出すことから……」
****
修行を経て習得したこの奥義、使うとしたらここしかない。
通じるか分からない。
そんな不安があったから、ここまで使わずに戦った。
でももう、これに賭けるしかない。
体力と魔力は少し回復した分しかないけど、それでも奥義を使えるくらい修行をした。
向こうも傷だらけで肩で息をしている今しかない。
「レギア、越えてくれ」
「おうよ!」
「超越」で体が軋むように痛い。
それすらも忘れるくらい集中しろ、息を整えろ、この一撃にだけ極限まで集中しろ。
この体が出せる全力を、一切の無駄無く攻撃へ利用する技術は、もう体が覚えている。
だから後は、心と体のみ……。
****
なんなのだ、あいつは。
人間という矮小な存在の癖に、我にここまでの傷を負わすとは。
奴のせいで、最初に我を攻撃してきた連中ですら殲滅できないではないか。
一度は負わせた深い傷も、奴の周りにいる有象無象に粘られている間に治されてしまった。
憎い、憎い、憎い憎い憎い!
矮小な存在の分際で、我の存在意義を邪魔するなど万死に値する。
殺戮、殲滅、絶滅、消滅、破滅、壊滅!
奴もまたそうなるだけの存在というのに、何故我に抵抗する、何故我の存在意義を妨げる。
許さん、許さん許さん許さん!
八つ裂きなどでは収まらん、奴だけは跡形も無く殲滅してくれる。
両手に魔力爪を纏う。
膝に溜めを作り、飛び掛かれる準備をする。
対する奴は精霊の武器を構えるだけ。
ほう、自身からは近づかずに我の接近を待ち構え、迎え撃つつもりか。
確かに我の攻撃に反応できたのだから、それもできよう。
加えて奴の方が武器の長さによる利がある。
なるほど、それで我が貴様に届く前に斬る算段か。
しかし所詮は矮小な存在の浅知恵。
そのような策、我ならば容易く打ち破れる。
要するに貴様の攻撃範囲から、我の攻撃範囲を引いた分の距離。
それを貴様の攻撃が届くよりも速く接近すれば、我の爪が貴様を八つ裂きにするという訳だ。
しかし、その後で残った有象無象を殲滅する力も残しておかなければな。
それが済んだら傷を癒し、さらなる虐殺を執行する。
そのためにも、多少は骨があったあの矮小な存在はここで消す。
さあ行くぞ、我が爪で八つ裂きに……おやっ?
奴の姿が消えた。
どこだ、どこに行った。
気配は……後ろ? いつの間に!?
首を回して後方を確認すると、いつの間にか奴が武器を振り抜いた体勢で背を向けて震えていて、すぐに膝を着いて呼吸を乱しだした。
どうやってそこへ移動したのかは分からないが、そんな状態ではもう動けまい。
すぐに我が楽にしてや……うん?
なんだ、何故脚が動かない。
何故腕が上がらない。
何が……。
下を見ると、腰より少し上の辺りと両腕に同じ高さの線が入っていて、両腕が地面に落ちた。
これは、なんだ?
その線がある場所が痛む。
線から体内の魔力やなんかが溢れ出そうで止められない。
何だ、何だ何だ、何が起きている。
どうしてこれほどの痛みがある、どうして体が全く動かない。
何故内側から力が暴発しそうになっている、何故抑えられない。
何故何故何故何故何故何故。
……そうか、ようやく理解した。
奴が背後にいたのは、我の目でも捕えられぬ速度で移動したから。
この線は、その擦れ違いざまに我が斬られた傷。
気づかれぬほど高速な移動と、我の体を切り裂くほど強力な一閃。
それによって我は切断され、内にある力が暴発しようとしているのか。
……ふざけるな!
あのような矮小な存在に我が、負けるなど!
我がここで終わると言うのか!?
拙い、暴発しそうな力で体が傷口から膨れだしている。
やめろ、止まれ、我はここで終わるような存在ではない!
まだまだ殺戮し殲滅し抹殺し絶滅させ、破壊して壊滅させて消滅させるのだ!
嫌だ、嫌だ、こんなところで終わるのは嫌だ!
暴走が止まらない。
膨れが徐々に体全体へ伝わって行き、今にも暴発しそうだ!
くそっ、くそっ!
これで、終わりなのか。
ああ、だが我は身をもって知ったぞ。
これが我が矮小な有象無象へ与え続けていたもの。
死か。
****
手応えはあった。
今の俺に出せる最強最速最高の一撃として放った横薙ぎの一閃は、間違いなくジェノサイドに当たった。
だけどその代償として全ての力を使い切って膝を着き、体中に痛みが走る。
「超越」を使ったこともあって、痛みはかなり激痛で油断すれば気絶しそうだ。
「ハァッハッハッハッ! 今のは確実に斬ったぜ! これまでで最高の斬り応えだったぜ!」
一人愉悦に浸りやがって、この野郎。
そう思いながらジェノサイドの様子を確かめようとしたら、閃光のような光が差した直後、体が膨らんでいだジェノサイドが大爆発した。
何の備えもしていないから爆風で吹っ飛ばされ、地面に数回叩きつけられ転がって止まると、舞い上がった土と砂と小石が体に被さる。
「いっ……てぇ……」
生きてる。
爆風を受けた痛みも加わって、体は相当痛くて体を起こすのもままならないけど、生きている。
レギアを憑依装備していたお陰だとか、強化魔法のハードボディのお陰だとか、理由はどうでもいい。
生きていればそれでいい。
「あいつは……」
もうもうと舞う土煙で何も見えない。
まさかまだ生きているってことはないよな?
「さっきの爆発で木端微塵だ。もう気配も何もねぇよ」
憑依装備を解除して、「分裂」での分体と一体化したレギアがそう呟いた。
「ハッハッハッ! いい斬り応えだったぜ! おまけに跡形も残らず吹っ飛ぶたぁ、ツマラネェ奴に成り下がったあの野郎にゃ相応しい終わり方だぜ!」
あの野郎……デルスのことか。
まあ俺としても、あんな姿になったというか結果的に俺がしたんだけど、元父親が跡形も無く吹っ飛んだのはスカッとするし、あんなのを生み出した責任を自分の手で片付けられたという点でもホッとしている。
だけど今のレギアの言い方は……。
「本気でそう思ってんのか?」
「んだと? 俺様は奴を斬りたいから斬っただけで、ツマラナイ奴になったあの馬鹿には、何の未練もねぇよ」
聞いてない事まで喋るとは、らしくないな。
元父親に碌な思い出が無い俺と違って、こいつはデルスと楽しんでいた時期があったから、ちょっとは思う所があるのかな。
だったら無粋な真似はせず、このまま流しとくか。
「んなことよりテメェはさっさと起きろ。いつまで寝てんだ」
「動きたくとも動けないんだよ。修行で成功させた時もそうだっただろうが」
最強最速最高の一撃。
その要素の一つ、肉体が持つ力全てを実行したから、倒れたまま動けないほど体が痛い。
(つくづく思うけど、母さんが体を壊す訳だ……)
母さん曰く、人は本来出せる力を脳が無意識下で抑えているらしい。
肉体が持つ力全てには、この抑えられている力も含まれている。
そしてそれを一時的に解放させる手段は、これも要素の一つに挙がっている、その一撃以外は一切考えないほど集中した心。
たった一撃に集中するほどの精神力でもって強制的に枷を外して、肉体に本当の全力を発揮させる。
最初はどうして本来の力が無意識下で抑えられているのか分からなかった。
だけど初めて本当の全力に至った時、それを実感した。
常に本来の力を発揮していたら、体の方が保たないからだって。
それを体で思い知ってぶっ倒れた時に母さんからそう教わり、同時に母さん自身がそれを「超越」と一緒に何度も使ったから、若くして冒険者を引退するほど体を壊したんだって教わった。
だからこその切り札。
だからこそジェノサイドが弱った頃に使うしかなかった。
通じてよかった、倒せてよかった、勝ててよかった。
「ったく、情けねぇな。で、どうすんだ? 俺様を使い走りさせて、助けでも呼ぶ気か?」
「その必要は無いだろ。向こうから来るから」
「ハッ。それもそうだな」
ほら、聞こえてきた。
ロシェリ達が俺の名前を呼んでいる。
筋肉従魔達の鳴き声も、ノワール伯父さんの声も。
色んな人の声が土煙の向こうから聞こえてくる。
その土煙が徐々に晴れてくると、あの爆発で抉れた地面と、俺を探している皆の様子が見えてきた。
「あっ、いた! あそこにいたよ!」
リズがこっちを指差して声を上げ、ゴウリキコアラと一緒に駆け寄って来る。
それを聞いて、辺りを探していた皆が駆け寄って来た。
「大丈夫かい、ジルグ君!」
「体が動かない以外は、大丈夫だ」
「それ、大丈夫じゃ、ない! グレイス、ヒーリング」
マキシマムガゼルの肩に担がれて来たロシェリが、涙声でそう言いながら治癒魔法を掛けてくれた。
はぁ……痛みが和らぐ。
「もう。仕方ないとはいえ、また無茶やって」
文句を言いつつもどこか嬉しそうな表情のアリルが、ギガントアルマジロとアシュラカンガルーを伴ってやって来た。
「奴はどうなった? さっきの爆発で死んだのか?」
「おうよ。木端微塵に吹っ飛んだぜ」
ノワール伯父さんの問い掛けにレギアが自慢気に答えると、集まってきた人達はしばしの沈黙とざわめきを挟んで勝利を喜びだした。
レイアさんやライラさん、髭熊やその仲間の人達、以前ドルドスとの戦いを共に切り抜けたベイルさんやタバサさんのパーティーと次々に人が寄って来る。
髭熊の仲間の軽い性格の剣士には、よくやったなとまだ治療が済んでいない体を叩かれたけど、何やってんだとばかりにアシュラカンガルーに殴られ、リズに治療中なんだよと怒られている。
ああ、本当に今回の戦いは終わったんだな。
色々と胸のつかえがとれたと思ったら、眠くなってきた。
後の事は立場のある人に任せて、俺は少し休もう。
じゃあ、しばしお休みなさい……。




