籍を移したら
俺がアトロシアス家の籍へ入る件に関する通達が届いたと聞き、ゴーグ従兄さんの案内でベリアス辺境伯家を訪ねる。
案内されたのはゼインさんの執務室。そこにはゼインさんと護衛のノワール伯父さんの他、服装も髪形もキチッとした真面目そうな男と白い髭を生やした初老の男がソファに座っていた。
「やあ、来たねジルグ君。監査官殿、彼が例の少年です」
監査官と呼ばれた真面目そうな男が頷き、二人は立ち上がって俺の方を向く。
「初めまして。私達は王都で貴族の情報を管理をする、貴族管理局の戸籍課で監査官を務めている者だ。今回私達は、君の籍をグレイズ侯爵家からベリアス辺境伯家の姓持ち家臣である、アトロシアス家へ移すことを認めた通達を持ってきた」
そのためにわざわざ王都から来たのか。ご苦労様です。
「だが、この通達をする前に改めて確認をしたい。今、アーシェ殿の貴族証はお持ちかな?」
「あります」
「では、それを見せてほしい」
確認作業があるなんて話は聞いてないぞ。
だからって断るのも変だし、やましい事は無いから次元収納へ入れておいた母さんの貴族証を取り出して渡した。
受け取った監査官達は確認作業に入り、表面の紋様や全体をマジマジと確認しながら二人でヒソヒソと話す。
最後に魔力を流してほしいと言われ、俺とノワール伯父さんが順番に魔力を流して発光させた。
「確かに。協力に感謝する」
発光を確認した監査官達は姿勢を正し、真面目そうな男が一通の封筒を取り出して開封。中身を取り出して広げて咳ばらいをすると、内容を読み始めた。
「通達。グレイズ侯爵家次男、ジルグ・グレイズの籍をグレイズ侯爵家から完全に離脱させ、母方の実家であるベリアス辺境伯家の姓持ち家臣、アトロシアス家へ移してジルグ・アトロシアスと名乗ること、並びにアトロシアス家の継承順位五位を得たことをここに承認する」
通達内容を読み終えた監査官は、それを折りたたんでゼインさんへ渡した。
「今回の通達の管理はアトロシアス家の主君である、ベリアス辺境伯へお渡しします」
「承知しました」
「なお、規則によりこの件はグレイズ侯爵家にも伝える事になっていますので、あしからず」
別に伝えてもいいさ。もう縁は切れたんだし、今さら何かしようとしてきても俺には拒否権がある。
いざとなったら、爵位的には上のゼインさんを頼ればいいんだし。
「では、我々はこれで失礼します」
最後に一礼した監査官達が退室する。
見送りを使用人に任せたゼインさんは、室内が俺達だけになると申し訳なさそうに切り出した。
「いやあ悪いね。なんでも管理局の長官がかなり生真面目な人に代わったようで、現地に局員をやって最終確認をするようになったんだとさ」
なるほど。それで聞いていなかった確認作業をされたのか。
「別に構いませんよ。こっちは嘘なんてついていないんですから」
「そう言ってくれると助かるよ。これまでは書類を「看破」スキルで確認するだけだったんだけど、新しい長官曰く「看破」スキルを誤魔化せる方法もあるから、ちゃんと出向いて確認するようにしたらしい」
「看破」を誤魔化す方法なんてあるんだ。どんな方法なのか気になるけど、知らない方がいいだろう。
「ただ、決して間違ってはいないんだよね。ジルグ君が来るまでの間に聞いた話だと、過去の籍の変更を再確認した結果、不正なものが数件見つかったようだ」
実例が出たんじゃ、文句なんて言えないか。しかもそんなに生真面目な人なら、今後の確認で間違いが出れば厳しい罰を与えそうだし。
結果っていうのは過程よりも強い印象を与えるからな。
「ともかく、これで君は名実ともにジルグ・アトロシアスになった。もう向こうの実家のことは気にしなくていいからね」
「はい。お世話になりました」
これでようやく縁が切れたか。あそこから逃げてここまで来たけど、まさか完全に縁を切るまでに至るとは欠片も思っていなかった。
そういう点では運が良かったのかな。いや、母さんが実家のあるここへ導いてくれたのかも。なんてな。
「ところで彼女はどうだった? ノワールから君達の仲間になるかもしれないと聞いたんだが」
「申し分ありません。弱っている体が完全に回復すれば、充分やっていけます。それまでは無理しない範囲で活動するつもりです」
「そうか。何か困ったことがあれば、遠慮無く相談してくれ」
「分かりました」
仕事があるということで話はここで終了。見送りに付けられた中年の女性使用人に連れられて廊下を歩く最中、「完全解析」で自分の名前を確認すると、これまではジルグ・グレイズだった名前がジルグ・アトロシアスへ変わっていた。
ちょっと嬉しい気分に浸っていると、正面から腰に剣を差した若い男を伴った十一、二歳くらいの少年が歩いてきた。
それを見た女性使用人が、ゼインさんの三男のライカ様だと言って頭を下げる。俺もそれに倣って頭を下げておくと、笑顔でお疲れ様ですと言って通り過ぎて行った。
「はあ、今日も天使の笑みだったわライカ様……」
確かに良い笑顔だったけど、恍惚の笑みを浮かべるのはどうなんだろう。
ひょっとしてこの人、少年趣味の持ち主なんだろうか。
そんなどうでもいい疑問はすぐに気にしないようにして、そのまま見送られて屋敷を後にする。
アトロシアス家へ戻ったら奥さん一同と従妹コンビに囲まれ、正式にこの家の一員になれたのかを尋ねられたから肯定したら、今夜は歓迎会だと騒ぎ出して散って行った。
さらにロシェリ達にもおめでとうと言われ、俺の出生を知らなかったリズは二人から話を聞いて驚いたと興奮した様子でくっ付いてきた。
すぐに二人によって剥がされたけど、やっぱりリズも薄いのに柔らか……。女の勘的なものなのか二人からジト目が向けられたから、これ以上は考えないようにしよう。
****
このグレイズ侯爵家に務めること四十年。
今は亡き父親の知り合いのツテで成人と同時に見習いとしてこの屋敷に入り、今では執事長として使用人を纏める立場にいます。
そんな私はここ最近、少々複雑な心境です。というのも、お仕えしているグレイズ侯爵家の評判が下がっているからです。
そうなったら使用人としては不安を抱えるものですが、このグレイズ家の方々は今はいないお二人を除き、少々……いえ、だいぶいい性格をしています。悪い意味で。
ですので、使用人達は誰もがざまあみろ、いい気味だと呟いています。気持ちは分かりますが、今後を思うと不安が無いとは言い切れません。だから複雑な心境なんです。
当主であるゼオン様は自慢していた三人のご子息の不甲斐なさと、自身の騎士団内での評判の悪さに憤慨して酒量が増えています。奥様達も不満や苛立ちを解消する為か無駄遣いをするようになり、すっかり浪費癖がついてしまいました。今は辛うじて財政は持ち堪えていますが、先が真っ暗になりつつある状況です。
幸いにも子供達は一人立ちして、役所やギルドや商家で真面目に働いてくれています。これまでの四十年でコツコツ貯めた蓄えは十分にありますし、仕事を失っても妻と二人で生きていくのには困らないでしょう。子供達も、いざとなれば一緒に暮らそうと嬉しいことを言ってくれていますしね。
気になる事があるとすれば、何かとお世話になったアーシェ様の忘れ形見であるジルグ様の行く末でしょう。
「今はガルアにいるそうですが、どうしているのでしょうか」
先天的スキルを理由に冷遇され、成人と同時に追い出されたジルグ様でしたが、彼は元気にやっているようです。
騎士団に深く関わっているグレイズ家で働いていると、自然と耳に入ってくるものです。ジルグ様が冒険者になってビーストレントという強力な魔物を倒し、騎士団の手を逃れて指名手配されていた盗賊を討伐し、最近ではガルアで発生した魔物の大量発生で大活躍したという話が。
一介の冒険者がちょっと活躍しても、よほどの有名人でなければ話題にはなりません。
しかしジルグ様はこのグレイズ侯爵家の出身で、使えないからと冷遇された挙句に追放されたお方。全ての話題に騎士団が関わっているので、冒険者間ではそうでもないのでしょうが、騎士団を通じて貴族間へ少しばかり広がっています。
それはジルグ様の功績を讃えるというよりも、それほどの息子を切り捨て、不甲斐ない息子達の方を自慢するゼオン様を侮辱する為の話題としてです。ジルグ様自身への評価は、アーシェ様の息子だから多少の活躍は当然だ、という形で済まされています。
私としては親が優秀であっても、子供まで優秀とは限らないと思うのですがね。実際、そういう理由で没落したりお取り潰しになったりした貴族家がある訳ですし。
もしも優秀だと言われるほどの成果を挙げたのだとしたら、それは親ではなく子供自身の成果であり功績です。親が良いから、などとは思えません。
「どうか頑張ってくださいね、ジルグ様」
届くはずのない呟きを口にした直後、中堅の男性使用人が私を呼びながら小走りでやってきました。
「どうしましたか」
「それが、旦那様にご来客です」
「おや? 今日は誰かと会う約束は無かったはずですが?」
「それが面会のお客様ではなく、貴族管理局の局員なんですよ。なんでも旦那様へ伝える事があると」
貴族管理局が? 一体何の用でしょうか。
とにかくこれは旦那様にお伺いを立てましょう。今日は騎士団には出向かず、屋敷で仕事をされていますからね。
「分かりました。私が旦那様へお伝えするので、少々待ってもらってください」
「承知しました」
指示を出した後、旦那様の執務室へ向かう。
一声掛けて入室すると、まだ日が高いのでさすがにお酒は飲んでいませんでしたが、不機嫌そうに書類仕事をしていました。
「何の用だ!」
「貴族管理局の方がお見えになっています。旦那様にお伝えしたいことがあるそうです」
「なにっ!? 貴族管理局だと!?」
驚いた旦那様が立ち上がり、椅子が激しい音を立てて倒れます。
その反応も当然ですね。貴族の様々な情報を管理している組織である貴族管理局が訪ねて来る理由の大半は、その家に何か問題があるということで罰則を与えに来るのですから。原因は様々ですが、罰として考えられるのは軽くて罰金の支払い請求、重いと爵位の剥奪でしょう。他にも爵位の降格や当代の強制隠居による代替わりなどがあります。
しかしこれらはあくまで、その貴族家に問題。つまり不正行為等がある場合の話です。
「馬鹿な、私は何も不正行為はしていないぞ!」
その通りです。人格的に問題はあっても、不正行為や問題を起こしていなければ貴族管理局は動きません。
この家の方々はジルグ様とアーシェ様を除き性格と言動に問題はありますが、貴族管理局が動くような問題は起こしていません。だからこそ、旦那様は困惑しておられます。
「いかがなさいますか?」
「何もやましい事はしていないのだ、通せ」
「承知しました」
一礼して退室し、訪ねて来たという局員の方を迎えに行く最中、既に貴族管理局が来ている事が使用人達に広まっていて動揺している様子が見られます。
如何にこの家の方々を悪く思っていても、処罰の内容次第では職を失ってしまいますから無理もありませんね。
私のような貯えのある年寄りは仕事を失っても構いませんが、若い方々はそうもいきません。せめて爵位が没収されず、彼らが職を失わないことを願いましょう。
ところが今回貴族管理局が訪ねて来たのは問題行為と、それによる罰則を伝えに来たのではありませんでした。それどころか、驚きの内容だったのです。
「今……なんと?」
呆然とする旦那様が聞き返すと、局員だという初老の男性が眼鏡の位置を直しながら再度述べました。
「ですから、こちらの次男だったという記録が残っていたジルグ・グレイズ殿の籍を、このグレイズ家から母方の実家であるアトロシアス家へ移す事が正式に決定したのです」
局員から伝えられたのは罰則などではなく、記録上は残っていたジルグ様の籍がアーシェ様のご実家へ移ったという通達でした。
それはつまり、偶然か運命かジルグ様がアーシェ様のご実家へ辿り着き、親戚関係であることを証明したという事です。
しかしアトロシアス家? まさかアーシェ様はどこかの貴族の出身だったのでしょうか? しかしアトロシアス家など、聞いた事がありません。
「ちょっと待っていただきたい。アトロシアス家という貴族は、聞いた事が無い。もしや他国の」
「いいえ。ベリアス辺境伯家の姓持ち家臣です」
ベリアス辺境伯家といえば、ジルグ様がおられるガルアを中心として領地を治めている、国内で指折りの大貴族家と記憶しております。
そうですか、アーシェ様はそのような家の出身だったのですね。
「貴族の当主であるゼオン殿は知っていると思いますが、貴族証による確認で親類関係であること証明されました」
「貴族証だと!? はっ、あの女の物か……」
そういえばアーシェ様の貴族証を我々使用人で保管して、ジルグ様が成人したら形見として渡すことにしていましたね。
預けていた者が言うには、遠方の国にあるお守りという物の中に入れて渡したと聞いています。
しかし貴族証を渡していた事といい、ジルグ様がベリアス辺境伯領にいる事といい、これもアーシェ様のお導きなのでしょうか。
そして今になってようやく分かりました。最後にアーシェ様が残した、ベリ……の言葉の続きが。あの時あなたは、ご自分の生まれがベリアス辺境伯家の姓持ち家臣だと、私達に伝えたかったのですね。残されたジルグ様に何かがあった時、そこを頼らせるために。
「ベリアス辺境伯家の紋章官から送られてきた書類には不正も不備も無く、新しい長官の方針で別の局員を現地へ派遣して貴族証、及び発光反応で最終確認をしましたが問題点はありませんでした。よってジルグ殿の姓をジルグ・アトロシアスに変更。籍の上でもアトロシアス家の一員となりました。なお、途中から籍に入ったからという理由で最下位ですが、アトロシアス家の継承権を与えられたので、今後彼をこちらへ戻そうとしても法律上はアトロシアス家が優先されます」
ああ、聞くほどに嬉しいですね。ジルグ様に居場所ができた事実に、涙が零れそうです。
「待て! 仮令姓持ちだろうが、向こうは平民ではないか!」
「世襲可能な姓持ち家臣は仕えている貴族家の当主が継承権を認めれば、貴族の継承権と同等として扱われるのですよ。ご存知なかったのですか?」
忘れていたのか知らなかったのか、貴族家の当主なら知っているべき知識が無いことに局員の方が呆れ、指摘を受けた旦那様は表情を微かに歪めました。
「既にアトロシアス家には通達を済ませ、通達書は主であるベリアス辺境伯へ渡してあります。今回私がこちらをお訪ねしたのは、先ほどお伝えした決定事項をお報せするためです」
強い口調で言われた旦那様はポカンと口を半開きにしたまま、固まっておられます。
用件は済んだので失礼すると言う局員の方を、旦那様の指示はありませんがお見送りしますと告げて玄関まで案内することにしました。
丁重にお見送りをしたら、使用人達が一斉に駆け寄ってきました。
「あの、この家どうなるんですか?」
「お取り潰しですか、降格ですか、それとも強制代替わりですか?」
「俺、子供が生まれたばかりなので次の仕事を探すのなら、早めに探したいんです!」
「落ち着きなさい。大丈夫です、そういった類の話ではありませんから」
動揺している彼らを落ち着かせ、局員の方が旦那様へ伝えた内容を教えると誰もが驚き、どよめきました。
「それ、本当っすか!?」
「アーシェ様って、辺境伯様の姓持ち家臣の出だったんだ」
「ジルグ様良かった。居場所を見つけられたのですね」
「冒険者としても頑張ってるって聞くし、アーシェ様の生家の籍にも入られた。もう心配は無用ね」
「そうはいかないだろう。冒険者をしているんだ、心配は尽きないぜ」
職を失う心配が無くなったのと、ジルグ様が居場所を手に入れたことを誰もが喜んでいます。実を言うと、私もとても喜ばしく思っています。
旦那様達のジルグ様へ向けていた感情や態度は、とても家族へ向けるものではありませんでした。おまけに銅貨の一枚も与えずに私達と同じように働かせ、挙句の果てには成人と同時に追放してしまう。
雇われの身である私にできたのは、影ながら彼を支えてあげることだけでした。
中には旦那様へジルグ様の扱いについて意見した者もいましたが、その者は散々罵られた上にその後で階段から落下して大怪我をしました。その時に旦那様が階段の上にいて、痛がる様子を愉悦の表情で見ていた光景は忘れられません。
しかし、その後の出来事はもっと忘れられません。
彼が落ちたのは旦那様が背中を押したからだとジルグ様が言い、それを見たと主張したのです。
当然旦那様は烈火の如く怒鳴り否定しましたがジルグ様は一歩も引かず、暴力を振るわれても主張を曲げることはせず、私達が止めに入る頃には階段から落ちた彼以上に傷ついていました。それでもジルグ様は、旦那様によって怪我をさせられた彼に、父親が申し訳ないと腫れた上に流血している顔で謝っていました。
あの時の事は、居合わせた誰もが今でもしっかり覚えています。
他にも色々と気を使ってもらった私達にできたのは、ジルグ様がこの家を追い出されても生きていけるよう教育すること、影ながら旦那様達から守ること、そして家族から与えられることの無い愛情を可能な限り与えることでした。
そうして育ち、この檻を出たジルグ様にとって外の世界はどう感じているか分かりませんが、決して悪いようには思っていないと私は思います。
「皆さん、どうでしょう。所在が分かったのですから、ジルグ様へ手紙を出しませんか? 遠いので少々お金は掛かるでしょうが、全員で出しあえば大丈夫でしょう」
私の提案に反対する者は誰一人としていません。
誰もが賛成し、代表者が書くか全員で少しずつ書くか、何を書こうかと話し合っています。
ついさっきまでは職を失うかもしれないと慌てていたのに、現金なものですね。まあそういう私も、ジルグ様が居場所を得られた事が嬉しくて年甲斐もなく浮かれているのですが。
「さあ皆さん、詳しくは後で打ち合わせをしましょう。それぞれ仕事へ戻ってください」
『はい!』
ふふふ、何を書きましょうかね。
この数日後、代表して私と他数名で書いた手紙をアトロシアス家へお送りしました。
それから一月ほどして戻って来た返事には、手紙を送ってくれたことへの感謝と向こうでの生活の様子、大まかな旅路での出来事、そして冒険者仲間であり将来を誓った相手がいると書いてあり、私達を大いに驚かせてくれました。
****
あの出来損ないが出て行ったというのに、苛立つことばかりだ。
自慢の息子達は少しはマシになってきたものの、やはり不甲斐なく落ちこぼれ扱い。さらにそんな息子達を自慢していた私も同類に見られている。
「くそっ、腹立たしい」
だいぶ調子も戻ってきたというのに部下も同僚も見直すどころか、あれだけやってようやくその程度かと陰口を叩いている。ここ最近は、それによる苛立ちを酒で紛らわせている。
まったく、どうして私がこんな目に遭わなくてはならないのだ。
「それもこれも、あの出来損ないのせいだ!」
手にしていた空のグラスを壁に叩きつけて割る。
私達の評価が落ちる一方で、あの出来損ないは冒険者として成果を上げている。
ビーストレントの討伐に始まり、騎士団の手を逃れた指名手配の盗賊の討伐、最近だとガルアでのダイノレックスの大量発生におけるブラストレックスとの戦闘だ。大怪我を負ったものの、劣勢だった戦況を一人でひっくり返してブラストレックスに致命傷を与えて勝利に導いたと、先日の会議で配られた報告書の写しに書かれていた。
報告していたホルスの若造は、奴のような若くて実力もある逸材が欲しいと呟いていたが、あんなのが逸材であるはずがない! もしもそれを認めたら、私の目が節穴ということになるではないか。
既にそういった類の話が騎士団内でも貴族間でも広がっていて、私と敵対関係にあるあいつは会う度にニヤニヤ顔を浮かべている。
「くそっ、くそっ! 出来損ないのくせに! 出来損ないなら出来損ないらしく、草むしりでもして惨めに暮らしていればいいのだ!」
苛立ちを抑えきれず酒を瓶から直接煽る。
本当なら今頃は以前以上の栄華を極めているはずが、全く上手くいかない。何故だ、どこで何が悪かったというのだ。
いや、私は悪くない。悪いのは優秀なのに胡坐を掻いて自惚れた息子達の怠慢と、出来損ないのくせに余計な事をしているあいつのせいだ。
「ちい、腹立たしい」
僅かでも憂さを晴らすために空の瓶を机に叩きつける。
そんな日々を送っていたある日、屋敷で仕事をしていたら貴族管理局が訪ねて来た。
何もしていないのだから罰せられるはずがない。そう信じて招き入れたが、告げられたのは罰則などではなかった。
「今……なんと?」
思わず聞き返すと局員だという白髪交じりの男は、眼鏡の位置を直しながら再度告げた。
「ですから、こちらの次男だったという記録が残っていたジルグ・グレイズ殿の籍を、このグレイズ家から母方の実家であるアトロシアス家へ移す事が正式に決定したのです」
バカな、どういうことだ?
籍にいた記録が残っているのはともかく、出来損ないの籍があの女の実家へ移った? アトロシアス家とはどこの家だ?
話を聞けば、アトロシアス家とは王国内の貴族や他国の貴族ではなく、ベリアス辺境伯家の姓持ち家臣のことだった。
姓持ち家臣の立場はあくまで平民だが、世襲が認められている上に辺境伯家という大きな後ろ盾がある。加えてベリアス辺境伯家といえば王国において指折りの大貴族で、その姓持ち家臣となればそこらの貧乏貴族や没落貴族よりも裕福な生活を送れる。
あの女がそんな家の出身で、出来損ないの籍が完全にそっちへ移っただと?
「貴族の当主であるゼオン殿は知っていると思いますが、貴族証による確認で親類関係であること証明されました」
「貴族証だと!? はっ、あの女の物か……」
そういえばあの女の貴族証など、死んだ時から一度も気にしたことが無かった。
所詮は平民上がりで一代限りの名誉貴族だから、持っていても意味が無いと判断して気にしていなかったが、いつの間に入手して持ち出していたんだ。
局員の男が言うには、書類には不備も不正も無く、別の局員を派遣しての確認でも問題は無かったことから籍の変更が決定。向こうの家の継承権を得たため、我が家に何かあっても向こうが優先されるらしい。
所詮は平民だと反論しても、主人であり後ろ盾でもあるベリアス辺境伯が認めているから貴族と同等の継承権があると返され、貴族の当主なのにそんなことも知らないのかと言いたげな目を向けられた。別に姓持ち家臣なんて作る気は無いんだ、知らなくて当然だろう。
せめてもの反論をしようとしたが、既にこの件は決定していて先方には伝えた、うちへは事後報告だと伝えられて唖然としているうちに局員の男は帰ってしまった。
「ちい、腹立たしい!」
あの出来損ないがどうなろうと知った事ではないが、冒険者として成果を挙げている上に今度はあの女の実家へ籍を移しただと? しかもそれが我が家より爵位が上の辺境伯家が後ろ盾になっている、姓持ち家臣の家とは。
何故私がこのような目に遭っていて、あいつはこうも運に恵まれているのだ。
「くそっ、忌々しい! どうしてあんな奴のせいで、私が苛立たねばならないんだ!」
机を叩きながら立ち上がり、倒れた椅子を何度も蹴って机の書類を床へ撒き散らす。
それでも治まらない苛立ちに任せて、飾ってあった学生時代の大会で優勝したトロフィーや若い頃に挙げた功績で得た勲章を床や壁へ叩きつけ、棚も倒して何度も踏みつけた。
「おっ、のれえぇぇぇっ!」
ありったけの怒りと恨みを込めて叫んだ後には、荒れた部屋の惨状しか残らなかった。




