閑話 ある日のポンコツ
地上の様子を見られる鏡を使い、ちょっとした気まぐれで彼の様子を見ていた。
私がミスをやらかして接触して謝罪した、あの少年の様子を。
「元気にやっているみたいね。女の子を二人も連れちゃって、そっちも元気みたいね」
「そうなの。でも危ない戦いを二度も見た時は、どっちもヒヤヒヤしちゃったわ」
いつの間にか後ろにいた補佐へジト目を向けるけど、彼女はニコニコと笑みを崩さずにいる。
「毎日彼の様子を見ているの? あなた」
「そりゃそうよ。女神様がやらかして接触した少年だもの、気になるのは当然じゃない」
「はぁ……。母親として、の間違いじゃないの? アーシェ」
私がそう言っても補佐――アーシェの笑みは崩れない。
「そうね。そっちが九割九分九厘で、さっきの女神様への言い訳が一厘ね」
「堂々と言い訳って言った!? それと、普通そこは半々ぐらいじゃない!? 嘘でも半々ぐらいって言いなさいよ!」
こう言ってもアーシェの笑みは崩れず、うふふふ、とか言っている。
「だって仕方ないじゃない。産んだのに何もしてあげられなかった愛息子と、その愛息子の先天的スキルを間違えて十年も放置したポンコツ。息子を優先するのは当然よ」
「今、ポンコツって! 私のことポンコツって言った!?」
仮にも女神の私のことを、ポンコツって!
「私の愛息子も、一緒にいる女の子達にあなたの事を説明する時、そう言っていたわよ。普段からそう思っているみたいね」
ぐはぁっ! 母子揃って、私のことバカにしてぇ……。
そりゃあ間違えたのは事実だし、十年も放置しちゃったのも事実だけど、その事は謝罪したしお詫びもしたんだから許してよね。
「今、許してほしいとか思ったみたいだけど、一度犯した罪は消えないのよ。どんなに償っても、刑に服しても、許しを得ても、間違いを犯した過去という罪は一生あなたに付きまとうのよ、ポンコツ女神様」
「心読まれた!? 私、今心読まれたの!?」
「そんな訳ないじゃない。ポンコツ女神様は顔に出やすいから、分かり易いだけよ」
そうなの!? 私、顔に出やすいの?
親にも上司にも部下にも同僚にも、そんなの言われたことないんだけどっ!?
ていうか、何度もポンコツ女神って言わないでよ!
息子さんにも言ったけど、私って打たれ弱いんだから! 物理的にも精神的にも!
「でも偶然にしても良かったわ、私の実家に辿り着いてくれて。実家のことを伝えられずに死んじゃったのは、ちょっと心残りだったのよね。なにせグレイズ家があんなだから」
そういえば、彼が旅立つまでは様子を見る度にイライラしていたわね。
顔は笑っていても発する空気が威圧感を帯びていたから、怒っている時以上に恐怖感を覚えたわ。
「本当、なんであんな男の下に行っちゃったのかしら」
「それはあなたが前世同様に恋愛に関してダメダメで、碌でもない男に引っかかり易くて騙され易いからよ」
「余計なお世話よ! 確かに前世じゃ碌でもない男に引っかかってDVを受けたり、散々貢いだ挙句に捨てられたり、結婚詐欺に引っかかったりしたけど、今回はそれを変えられると思ったのよ!」
結局変えられずに、同じような男に引っかかっちゃったんだから世話ないわね。
「もう。せっかくあなたの望み通り、私TUEEEEな先天的スキルを約束して異世界転生をさせてあげたのに、学習能力が無いんだから」
「余計なお世話よ!」
そう、アーシェは異世界転生者よ。
前世で普通の家庭に生まれ、ひょんな事から格闘技に出会ってその道に目覚め、無敗の女性格闘家として活躍して格闘技界を盛り上げた。
その一方で男を見る目は皆無で、相手から暴力を受けたり、お金を騙し取られたり、散々貢いだ挙句に捨てられたり、そこまでやらなくともという形で振られたりと、男に関しては酷い目に遭い続けていた。
憂さ晴らしのようにトレーニングに励んで強くなって有名になっても、寄って来る男は誠実の仮面をかぶった碌でもない奴ばかり。やがてトレーニングや試合や趣味でも晴らせないほど心を痛めてしまい、それを苦に自殺。
ところが碌でもない男ばかり寄っていたのは、恋愛を司る神が適当な仕事をしていたことが判明。
死んでしまった原因の一端がこれにあるということで、急いで輪廻転生寸前だった彼女を引き留めさせ、謝罪しながら事情説明をしてお詫びに異世界転生の権利と、好きな先天的スキルを得る権利を与えた。
オタク趣味だった彼女はそれを喜んで受け入れてくれて、土下座して謝る恋愛を司る神へ散々文句を言った後、スッキリとした表情でアーシェ・アトロシアスとして転生した。
「どうしたの? 縁側に座ってお茶を飲みながら、若い頃の思い出に浸るお婆ちゃんみたいな顔して」
「どういう意味よ、それ!?」
私は神だから年齢とかそういうのを超越した存在なの!
確かに齢……ゴニョゴニョ……歳だけど、見ての通り肌も胸もお尻も張りのある永遠の二十代なんだから!
「なんでもないわよ。初めてあなたと会った時の事を、ちょっと思い出していただけ」
「あらあら、懐かしいわね。全てを纏める創世神と恋愛の神とあなたが、揃って空から落下してきて土下座を決めたあの光景は、忘れたくても忘れられなくて今でもお茶会で笑いのネタにさせてもらっているわ」
「ちょっと待って! あなた今、聞き捨てならないこと言ったわね!?」
ああもう、なんでこの人を補佐にしちゃったんだろう。
二度目の死を迎えた後、一度輪廻転生しかけたのを引き留めたのが原因で彼女は輪廻転生できなくなった。
そこへ生前の格闘家と冒険者としての活躍を気に入った武術を司る神が首を突っ込み、彼女へ神格を与えてはどうかと推薦状を出した。これが通ったことで、彼女は前世の知識があるアーシェとしてこの神界で働くことになった。
ちょうど補佐が引退したのと、異世界転生時に少し世話をした事もあって私が補佐として引き取って指導することになったんだけど、まさかこんな人だとは思わなかったわね。
「いいじゃない。事実をちょっとだけ脚色して、面白おかしく語っているだけなんだから」
「脚色って! 今度は脚色って言った! どんな脚色をしたのよ。面白おかしくって、どんな感じなのよ!?」
何を聞いてもうふふ、と笑うだけで教えてくれない。
はあ……。これが二つの世界で最強の名を欲しいままにした、元格闘家で元冒険者だなんてね。
いや、冒険者の方に関しては私も関わっているんだけどね。彼女が望んだ、私TUEEEEな先天的スキルを与えたんだから。
「もう。相変わらず父さんも兄さんも筋肉主義なんだから。そんなんだから、娘達から白い目で見られるのよ」
彼女の実家から帰ろうとする彼に向けて、上半身裸になったアーシェの父親と兄が筋肉が足りないとか言って、サイドチェストとダブルパイセップスのポーズを決めてる。
あ~あ、せっかく縮まりかけた心の距離を自分達から離してどうするのよ。
「あなたも昔は、白い目で見てたわね」
「当然よ。確かに体を鍛えるのは大事だけど、技術と心。これも同じくらい鍛えないと」
そう語るアーシェの表情は生前のそれね。
確かに彼女の父親と兄は技術と心を全く鍛えていない訳じゃないけど、比重が肉体の方に偏っているわね。主に筋肉とか筋肉とか筋肉とか。
「あの二人だけじゃないのよ。亡くなったお爺ちゃんも、家を出た他の兄や弟も、ノワール兄さんの子供も筋肉主義なのよ。なんでそんなに筋肉が好きなのかしら……」
男共が揃ってむさ苦しくて暑苦しい筋肉集団な家系なのね。ある意味、彼がその家に預けられなかったのは良かったんじゃないかしら?
息子まで同じ筋肉主義になったら、彼女も嘆き悲しんでいたでしょうね。
「それにしても、ジルグもまだまだね。私があの子くらいの年にはもっとやれたわ」
「あのね。前世での効率的なトレーニング方法や様々な格闘技の知識に加えて、「超越」なんて先天的スキルを得たあなたと彼を比べるのがおかしいわよ」
望んだ先天的スキルが貰えることになった彼女が選んだのは、「超越」というスキル。
このスキルは文字通り、通常のスキルによる強化を遥かに超える強化を身体能力と身体機能へ与える。
これに加えて前世の記憶にある効率的なトレーニング方法で鍛え続け、格闘技の知識を活用して戦ったからこそ、彼女は若くして強力な魔物を倒せるまでになった。
「あのスキルを見た時、私の直感が働いたのよ。こう、ビビッとね」
「なんでそれが、男に対しては働かないのかしらね」
爵位を得るまでは男という男に距離を保って慎重に対応していたくせに、あんな男の口八丁手八丁に引っかかるんだから。
「いーわーなーいーでー!」
はいはい、現実逃避しない。いや、この場合は過去逃避かしら? まあどっちでもいいわ。
「ついでに言うと、体の違和感にも早く気づいてほしかったわ」
「……それについては、言い訳のしようが無いわね」
さっきも言った通り、「超越」スキルは他の身体能力や身体機能を強化するスキルとは、比べ物にならないぐらい強力な強化を施す。
例えるのなら、他の強化スキルが加算で「超越」は乗算。
だからこそ、体への負荷も大きい。効果が強すぎるからこそ、相応のリスクが発生してしまう。
彼女が効率的なトレーニングで鍛え上げた力と、「超越」スキルによる強化、幾多もの激しい戦い。これらに体の方が耐えられなくなっていて、気づいた時にはもう遅かった。グレイズ家の側室に入るのが決まった時には限界を迎えていて、もう戦える体ではなくなっていたのよ。
その時にようやく体の違和感を自覚して、それを理由に冒険者を引退したまでは良かったんだけどね。
数年ほど大人しくて体を安静にしていれば、命を縮めることなく日常生活を送れたはずなのに、体が癒えるより先に子供が出来てしまった。どうにか彼を産んだものの、癒えきっていない体は出産の負担に耐えられず彼女は息絶えた。それが彼女の二度目の人生が終わった理由。
「まさか、体の方が耐えられなくなるなんてね」
「当たり前よ。「超越」による効果自体が、体にとって毒みたいなものなの。あの世界における普通のトレーニングならともかく、あなたの知識にある効率的なトレーニング方法で、しかもあんなにストイックに鍛えたら限界を迎えるのが早まって当然なの!」
トレーニングのオーバーワークによる怪我には気をつけていたけど、「超越」によって徐々に蓄積していくダメージは確実に体を蝕んでいって、知らぬ間に戦うどころか生きていくのも危うい状態だったんだからね。
「なんで教えてくれなかったのよ」
「スキルを与えた後で教えようとしたら、チートスキルで異世界転生だ、ヒャッホー! とか言って、勝手に転生の光の中に飛びこんだからでしょ!」
話を最後まで聞かずに転生しちゃったから創世神様もポカンとしていたし、私達のような神々が接触できるのは一人につき一度きりだから、彼へ謝罪した時のように睡眠中の意識へ干渉して説明することもできなかった。
私達にできたのは、早めに自覚して体を労わってほしいと願うことだけ。でも、その願いは叶わなず仕舞い。
神だからって、願いの全てが叶う訳じゃないのよ。
「……ヒュー、ヒュー」
「はいそこ。明後日の方向を向いて、吹けもしない口笛を吹こうとしない」
「あの頃は若かったのよ、若気の至りだったのよ」
この子が最初に死んだのは、三十手前だったかしら?
まあ若いとは言えるわね。
「確かに若かったけど、それで片付けて過去から目を逸らすのは止めなさい」
「あの時! あなたが力ずくでも止めて説明してくれれば!」
「それに関しては申し訳ないわ。でも格闘家のあなたを、か弱い私が力ずくで止められるわけないでしょ」
組み敷かれて逆関節を決められるか、邪魔だって突き飛ばされる光景しか浮かばないわ。
「自分で自分をか弱いって言うの? そこは女神らしく神通力っぽいものでなんとかしなさいよ」
「そんなの無いわよ。女神だからって万能じゃないんだから」
「それもそうね。あなたってば、私の可愛い息子の先天的スキルを間違えて十年も気づかないポンコツだものね」
「余計なお世話よ!」
というか、どうして巡り巡ってそこへ戻ってくるのよ!
「ところで私の息子の「完全解析」もなかなかにチートだけど、あれは大丈夫なの?」
「あれくらいなら大丈夫よ。普通の「解析」よりも多く情報が見えるってだけだから」
そもそも「超越」に比べれば、「完全解析」なんてチートのうちに入らないわよ。
情報が見えたからって、それで体に害が発生する訳じゃないしね。
「入れ替え」との組み合わせでのスキルの入れ替えも、手に入れたらちゃんと体に馴染ませるようには言っておいたし、彼もそれを守っているから問題無いわ。
「さてと、そろそろ仕事に戻るわよ」
「はいはい。また夜に見に来るからね、ジルグ」
鏡に映る息子にそう告げて、触れられないのに触れる姿はやっぱり母親ね。
何にもしてあげられなかったからこそ、熱心に見守ってるんだろうけど、子供ってのは知らないうちに育っているものなのよ。
私もあなたと同じように生前は母親だったから、その辺りは分かっているつもりよ。
「ところで、ちょっと聞いてほしいんだけど」
「何かしら?」
「前に息子があの女の子達としている所を見ちゃったんだけど、どう反応したらいいと思う?」
「知らないわよ!」
というより、なんでそんな場面を見ちゃうのよ!
「我が息子ながら、アレは凄かったわね。大きさ的にも持久力的にも回数的にも」
「言わなくていいわよ!」
この覗き魔がっ!
でも……ちょっとだけ興味が湧いたわね。
別に変な意味は無いのよ。アレよアレ、ちょっとした知的好奇心よ。




