母を知り己を知る
母さんの出生が分かったかもしれない。
それが本当かどうかは、お守りの中にあった母さんの貴族証が握っている。
これでもしも本当だと証明されたら、母さんはベリアス辺境伯家に代々従士長として仕えている家系、アトロシアス家の出身ということになる。
疑いは抱きつつも話を承諾して、アトロシアス家まで案内してもらうことにした。
この時にロシェリとアリルが同行を求めたら、あっさり許可された。
「仲間の方にも知る権利はあるから、同行を申し出たら許可していいと父上が」
そういうわけで、話を聞いてしまった看板娘さんにまだ確定事項じゃないからと強く口止めし、リアンさんの案内でアトロシアス家の屋敷へ向かうことになった。
(しかし、貴族でないのに姓持ちか……)
貴族じゃないのに姓を持っているってことは、仕えている貴族家の発展に大きく貢献したか、立ち上げの時から代々仕えて支えてきた忠臣ってことで、国から許可を得た貴族によって与えられたんだろう。
そうなると世襲が可能だし、仕えている貴族からの信頼と信用を得たってことで、他の家臣よりも待遇が良くなる。
だけど当然、それだけ責任ある立場の仕事を任されるし、過ちを犯せば全てを失って野垂れ死にしてもおかしくない。家臣として姓を与えられるっていうのは、そういうことだ。
髭熊の話だと、母さんは自力で将来を切り開くために実家を出たんだったな。
もしもそれがアトロシアス家の立場に甘んじて、何かしらの仕事を得ることが嫌になったんだとしたら辻褄が合う。世の中にはそうした立場を求める人もいれば、そういうのを嫌がる人もいるから。
「着きました。ここがアトロシアス家の屋敷です」
考え事をしている間に到着したのは、貴族の物に比べれば小さい二階建ての屋敷。
隣に建っている領主の屋敷と比べるとずっと小さいけど、一般的な家屋からすれば十分に大きくて屋敷と呼ぶに相応しい。
「あんな大きな屋敷、初めて見たわ」
「ふわぁ……おっ、きい……」
ロシェリとアリルが領主の屋敷の方を見て驚いている。
片や貴族と無関係の孤児院育ちで、片や人間社会とは無関係の生活を送っていたから無理もない。
ただロシェリ、その言い方はやめてくれ。昨夜の情事で同じことを言われたのを思い出すから。
ちなみに従魔達は、引き続き宿の厩舎で爆睡中だから留守番だ。
「どうぞ、こちらへ」
門番と少し話をしたリアンさんに案内されて門を潜る。
二人いる門番のうち、年配の方が俺を見て懐かしむような表情を浮かべた。俺の顔を見て、母さんのことでも思い出したのかな。
途中ですれ違う中年以上の使用人達からも似たような反応をされながら二階へ上がり、奥の部屋の前まで通された。
どうやらここが当主の部屋のようで、扉をノックして中へ呼びかける。
「父上、リアンです。ジルグさんとそのお仲間をお連れしました」
「入れ」
重い声質での一言に少し緊張してきた。
「失礼します」
開いた扉の向こうには、両手を後ろに組んで立つガッチリした体格で背の高い男と、こちらも良い体格をしたソファに座っている白髪交じりの男、扉の前に控える年配の女性使用人がいた。
二人の男はどっちも強そうな雰囲気があるけど、俺を見た途端にその雰囲気と引き締まっていた表情が少し緩んだ。
「君がジルグ君だね。初めまして、私がこのアトロシアス家の現当主のノワール・アトロシアス。そっちは私とアーシェの父、先代当主のシュヴァルツ・アトロシアスだ。そちらのお嬢さん達もよろしく」
ノワールと名乗った男の紹介で、シュヴァルツって老人が会釈する。
こっちもそれに会釈で返すと、座るよう促されたからシュヴァルツさんの対面に座った。ロシェリとアリルは俺の両隣に緊張した面持ちで座り、リアンさんは入り口の前に控えている。
もしも話が本当なら、この人達は俺の伯父と祖父になるのか。
「よく来てくれた。しかし実際に見ると、本当にアーシェの面影があるな」
そう言いながらシュヴァルツさんの隣に座ったノワールさんは、女性使用人にお茶を用意するよう伝えた。
返事と一礼をした女性使用人が退室したのを見送ると、話の続きに戻る。
「さて。来てくれたということは、我々の関係を信じてくれたのかな?」
「半信半疑、というところですね」
率直に答えると二人の表情が少し暗くなった。
「そう思われても無理はないか」
顎髭に触れながらシュヴァルツさんが呟く。
でも、確かめる方法はちゃんとある。
「それが確信に変わるかは、これ次第なんですよね」
貴族証を見せると二人の目が見開いた。
「持っていたのかい? それを」
「使用人の一人が、母さんの唯一の遺品だと」
「……その使用人には感謝しないとな。お陰で私達と君が親類だと証明できる」
確かにそうだけど、今更ながらこれでどうやって証明するのか気になる。
そもそも、これが本当に母さんの物なのか確認しなくていいのか?
「これが本当に母さんの物という保証は、ありませんよ」
「その疑問は尤もだ。それも含めて確認できるから、貴族証へ魔力を流してみたまえ」
魔力を? シュヴァルツさんに言われるがまま貴族証へ魔力を流すと、白く輝きだした。
「な、なに?」
急に輝いたからロシェリがちょっと怯えた。
「それが貴族証に備えられた効果だ。流した魔力によって輝きが変わり、本人確認や血縁者なのかの確認ができる」
ノワールさんの説明によると、貴族証には個人毎に違う魔力の波長を記録する効果と、それに記録されている波長を基に本人なのか血縁者なのかを判別できる効果が備わっているそうだ。
持ち主である当主本人なら金色に輝き、その子供なら白、親なら銀、片親が同じだろうが両親が同じだろうが兄弟姉妹なら青く輝き、血縁者でないのなら全く反応しないらしい。
「波長が個人毎に違うのに、親兄弟とかを判別できるのね」
「詳しくは我々もよく分からないのだが、血縁者だと波長の所々に類似点があって、それで関係を判別できるらしい」
首を傾げるアリルの質問にノワールさんが答えてくれた。
なるほど、確かにこれなら俺が抱えている二つの疑問が解決できる。
これが本当に母さんの物なら息子の俺だけでなく、兄のノワールさんと親のシュヴァルツさんにも反応する。俺達が親類であるのを確認できると同時に、貴族証が母さんの物と分かる訳だ。
どう証明するのか気になって「完全解析」を使わずにいたけど、貴族証にこんな効果が備わっていたなんてな。
「ともかく、これで君がアーシェの息子だと確認できた。次は我々の番だな」
貴族証を貸してほしいと言うノワールさんに貴族証を渡す。
受け取ったノワールさんが魔力を流すと、兄弟姉妹を示す青の輝きに包まれた。
次いでシュヴァルツさんが受け取って同じく魔力を流し、親の証である銀色に輝かせた。
「どうかな。これで我々が親類だと証明できたかな?」
「そうですね。親類ではあるみたいですね」
頷きながら返してくれた貴族証を受け取り、改めて正面にいる二人を見る。
本当に、この二人は俺の伯父さんと祖父さんなのか。そして後ろには従姉さんがいる。まだ会っていない関係者だっているかもしれない。
でもその前に、聞かなきゃいけないことがある。
「お茶をお持ちしました」
おっと、忘れかけていたお茶の登場だ。しかもお茶菓子付き。
正直酒よりも甘い物派だから、お茶菓子が一緒に来たのは嬉しい。
丁寧な動作で淹れられたお茶を飲み、甘さ控えめの菓子を口にする。うん、美味い。
「さて、ジルグ君。我々に何か聞きたいことはないかい?」
「聞きたいこと、ですか?」
「色々あるんじゃないか。どうしてアーシェがこの家を出たのかとか、どうして連絡すら取っていなかったのかとか」
その通りだ。気になることが色々とあって、どれから聞けばいいのか分からない。
こういう時は……。
「まずは順を追って話してくれますか? 母さんがここを出た経緯から」
下手に単発の質問をぶつけるよりも、その方が分かり易いし気になった点だけを後で聞ける。
「分かった。では簡潔にだが、話してあげよう」
お茶を一啜りしたノワールさんが話を始める。
母さんがこの家を出る切っ掛けは、アトロシアス家という環境にあった。
アトロシアス家の当主はベリアス辺境伯家当主の下で代々従士長と護衛を務め、その子供は従士隊の一員であると同時にベリアス辺境伯の子供の護衛を務めている。
この家を出る前の母さんは、現ベリアス辺境伯の異母妹の護衛をしていた。
十代前半の時点で従士隊の中でも屈指の実力を持ち、アトロシアス家の歴史上最強とまで言われていたけど、母さんはその力に迷いを持っていた。
周りから高く評価されていても、ベリアス辺境伯家の従士という狭い世界で育った自分は本当に強いのか。自分の力は広い世の中でどれだけ通用するのか。自分の強さに迷いを持ったまま護衛や従士を務め続けていていいのか、アトロシアス家という出生に甘んじたまま生き続けていていいのか。
そうした気持ちを抱いているうちに外の世界へ挑んでみたくなり、姓を捨ててアトロシアス家を出る決意をシュヴァルツさんへぶつけたそうだ。しかも一切の援助を断って、甘えを断つため連絡すらも取るつもりは無いと言って。
当然周囲は反対したようだけど、母さんは一歩も譲らず押しきった。
せめて何かできることはないかと、食い下がる家族やベリアス辺境伯家へ向けて。
『自分の力でこれ以上、どうにもできないと分かって世間や世界に負けた時、帰って来れる場所になってくれればそれでいいわ』
そう言い残し、母さんはただのアーシェとしてアトロシアス家から出た。当時十七歳だったそうだ。
両家は母さんとの約束を守って一切の援助も連絡もせずにいたけど、徐々に母さんの噂の方から耳へ入ってくるようになった。
素性を一切明かさず、ただの冒険者として挙げた功績の数々。それを耳にしても約束を守って一切の連絡も取らず、黙って行く末を見守り続けたようだ。
母さんの決意を尊重して約束を守り続けたからこそ、母さんは自らの手で大きな未来を掴んでみせた。その未来に自分達が口を挟み、関わるべきではないと。
「アーシェはあんな事を言い残したが、結果的に負けなかった。我々の知らない困難や苦難や障害があっただろう。だがあの子は転んでも立ち上がって挑み続け、最終的にはその拳で全てをぶち壊し、打ち破り、切り抜けて、切り開いていった。そうして遂に名誉爵位を得るまでに至った」
親としての心配と娘を誇らしく思う気持ちが入り混じったような事を、シュヴァルツさんが口にした。
確かに功績ばっかり耳にしてきたけど、決して全てが楽に終わった訳じゃないんだよな。
まだたった二回だけど、俺だってビーストレントにブラストレックスっていう強敵と戦って生き残って、運良く一定の評価も得た。でもそれ以上に、どちらとの戦いでも大怪我を負って本当にギリギリな状態だった。
ビーストレントは最後のあがきのような一撃で辛うじて倒し、ブラストレックスは致命傷こそ与えたけど最後の詰めは周りに任せちゃったから。
「唯一の不安は嫁ぎ先がグレイズ侯爵家だったってことだな。あそこは家柄と戦いの腕は良いが、代を重ねるに連れて当主も子もその事を鼻に掛ける傲慢な人柄になっていることで評判だと、お館様もおっしゃっていたんだ」
お館様ってことは、ベリアス辺境伯ってことか。
貴族社会で有名になっていてもあの態度とは、良くも悪くもいい神経してるよ。
母さん、どうしてそんなところへ嫁いだんだ。
「仕方ないって親父。アーシェは貴族社会には疎いし恋愛事に関しては駄目駄目のポンコツだったから、強さに目を付けたあそこに口八丁手八丁でコロッとやられてしまったんだろう」
貴族社会に疎いのは仕方ないとはいえ、恋愛事に関して駄目駄目のポンコツってどんな感じだったんだろう。ちょっと気になる。
「ともかく。これがアーシェが家を出た経緯と、我々が一切の干渉しなかった理由だ」
「ありがとうございます」
こうして聞いてみると、母さんがアトロシアス家を出た理由はそう変わった理由じゃなかったな。むしろ、誰もが抱いてもおかしくない理由だ。
そういう意味ではまともな理由で良かった。喧嘩別れとかだったら反応に困るところだった。
さすがに自分から連絡も援助も一切断ったって聞いた時はやり過ぎじゃないかって思ったけど、それが結果を出したことに繋がっているのなら、母さんには必要なことだったんだろう。真偽は分からないけど……。
「一応言っておくが、あの子が亡くなった事も我々は把握していた」
「側室とはいえ貴族に嫁いだ身だし、元は高名な冒険者だったからな。お館様や町の冒険者からすぐに伝わってきた」
「……その後は、どうして何もしなかったんですか?」
死んだのを知ったのなら、名乗り出て葬儀で最後の対面をしたり、その時点でいらないと判断されていた俺を引き取ったりすることもできたはず。それをしなかったのは何でだ。
「あの子との約束を貫いたのは、今さら身内だと名乗り出るのもどうかと思ったし、命がけで産んだ君はあんな家とはいえ侯爵家の次男だ。悪いようにはしないだろうと思ったのさ」
普通はそう思っても仕方ない。
あんな家でも歴史と伝統はあるし、貴族の中でも一定の位置にはいるし、騎士団への影響力は持っている。
そこの次男なら、そうそう悪く扱われないだろうと思うのも当然だ。普通はな。
「結果的にその判断は過ちだったようだ。あの家での君のことを調べたが、相当な苦労をしていたんだね。申し訳ないよ」
向こうの家でのことも調べたのか。ということは、辺境伯も一枚噛んでいる可能性がある。
いくら大貴族の中心的な家臣とはいえ、勝手に他家の調査なんてしたら大事だからな。
「調査内容を知った時は、あの時に名乗り出ればと後悔したよ」
「わしらなりに良かれと思っての静観だったが、まさかあの家がここまでするとは……」
したんだよ。しかも理由が先天的スキルにあるってだけで。
「だが、あの家が大きな顔をしているのも限界だろう。当代と次代が揃ってあの調子ではな」
あいつらがどうかしたのか? 追い出される当日にスキルの入れ替えで戦闘系のスキルを失わせたから、落ちぶれているのか?
ちょっと聞いてみるか。
「あの家、何かあったんですか?」
「単に実力不足が露呈して、騎士団内での評判と立場が下がっているだけさ」
やっぱりそうなったか。まっ、戦闘系の後天的スキルを失ったんだから当然か。
先天的スキルは残っているとはいえ、LV1まで落ちている。以前通りにいかなくなるのも無理はない。
精々俺が苦しめられた分、そっちも苦しんでくれ。そっちがどれだけ落ちぶれようとも、俺からすればいい気味だとしか思えない。
「質問は以上かね?」
「最後に一つ、聞きたい事が」
「なんだね」
これは絶対に聞いておかなくちゃならない。
話から俺のことを心配してくれているのは分かるし、母さんのことも気にしていたのは分かった。それでもこれは聞かなくちゃならない。
「俺をどうするつもりですか」
心配されていてこんな事を聞くのが失礼なのは、百も承知だ。
でも親類だと分かっても、初対面には変わらないから警戒はさせてもらう。
どうしてここで見守るのを辞めて、接触して親類だと明かしてきたのか。その真意が知りたい。
「警戒心が強いんだな、君は。だが我々は、君に何かを強制したり利用したりするつもりは無い」
「しいて言うのなら、君と我々の関係を公的に認めてもらい、アトロシアス家の籍に入れて家族として迎えたいと思っている」
「なんのために?」
「そりゃあ、大事な甥っ子が苦労してきたんだ。せめて安らぎの場くらいにはなってあげたいんだ。アーシェの最後の頼みのようにね」
帰る場所になってくれればいいっていう、母さんの最後の頼みか。
「……それだけですか?」
「それだけだが?」
ノワールさんは特に裏も無さそうな顔で頷いているけど、どうなんだ。これは信じていいのか?
どう反応すべきか悩んでいると、シュヴァルツさんが小さく頷き語りだした。
「ふむ。君はどうやら家族と言う存在。いや、血縁者に対する警戒心が強すぎるようだね。怯えている、とも言えるか」
怯えている? どうしてそう言えるんだ。
「調査内容によると、君はグレイズ侯爵家当主とその異母兄弟から暴行、暴言、無視、存在意義の否定といったものばかり受けていた。故に、血縁者に対する怯えや恐れ、それによる強い警戒心が君の根底に根付いてしまっているのだろう」
はあ? なんだそれ。
「そんなはずは」
「ならば問おう。同じくらいの警戒を、隣に座っているお嬢さん達へ向けたかね?」
思わず口を閉ざしてしまう。
確かに警戒をしたことはしたけど、目の前の二人へ向けているほど警戒はしていなかった。
それどころか、境遇とか状況とか色々な理由があったとはいえ、今ではいずれ家族になる約束まで交わしている仲だ。
「沈黙は否定と取った上で話そう。君がそのお嬢さん達を受け入れ、共にいられるのは赤の他人だからじゃないかね? 血縁関係など無い赤の他人だからこそ、君はすんなりと彼女達を仲間として受け入れられたんじゃないのかね?」
分からない。肯定も否定もできない。
確かに俺はあの実家では、血縁者全員からいらない扱いされて、赤の他人である使用人達に支えられて育った。
ロシェリもアリルも状況とか境遇とか色々似たような部分はあったけど、割とすんなり仲間として受け入れられた。
そうなのか? シュヴァルツさんの言う通り、赤の他人よりも血縁者を恐れて怯えて、必要以上の警戒を抱いているのか?
「分かり……ません」
これしか言えない。これしか答えが浮かばない。
だからこそ、それを口にしたけどシュヴァルツさんの目つきが鋭くなった。
「分からないんじゃない。君が向き合えていないだけだ、血縁者に対する自分の気持ちにな」
「俺の……気持ち……」
「そうだ。何故あの家から出た後、王都から離れてここまで来た。離れたかった、いや逃げたかったんじゃないのかね、家族のいる王都から」
「いや、それは……」
スキルを入れ替えたのを万が一にもバレるか、何か勘ぐられて面倒事にならないようにするために……。
でもこれは言えない。言えるはずがない。
「何かしら君なりの理由があるようだが、逃げるという選択肢を選んだ理由にそれを利用していないかね?」
理由の後付け。俺があいつらから逃げたことを、誤魔化すための。知らないうちにあの日々に怯えて、あいつらを恐れて逃げ出したい気持ちの……。
あの家で過ごした日々、家族から受けた暴言に暴力、いない者として扱われた出来事が一気に蘇る。
歯を食いしばる、爪が食い込みそうなほど強く拳を握る、蘇る記憶に頭を振って否定したい、どうしたらいいのか分からない。
体に力が入って頭の中がぐちゃぐちゃになって震えていると、左右の握り拳に誰かが手を重ねた。ロシェリとアリルだ。
「大丈夫、だよ。私達……見捨てない、から」
「そうよ。あんたが血縁者を怖かろうが、それから逃げていようが、私達は傍にいるから」
アリルの言葉にロシェリも数回頷く。
「逃げて、いいって……言って、くれたよね。だから、ジルグ君も、家族が怖くて……逃げて来たって……認めて、いいんだよ」
「逃げるなとは言わないわ。でもね、逃げたことを認めるくらいはいいんじゃない。あっちの理由でなくともね」
……。
…………。
………………。
ああ、そうだ。俺は怖かったんだ。あいつらの暴力で受けた体の痛みが、心無い暴言や存在を否定する言葉で受けた心の痛みが、家族として扱ってもらえない冷たさが。
そうした記憶が嫌で嫌でとにかく嫌で、使用人達の優しさに甘えて恐怖心は見て見ぬふりをした。
スキルの入れ替えができるようになったら、それを利用して逃げる理由にすり替えた。
ようやく家を出れるようになったら、あの家のある王都にいるのが嫌で、万が一にも関わって同じ目に遭うのが嫌で、王都から逃げ出すって選択しかできなかった。
そうして今は、血の繋がった相手から受けた日々を無意識のうちに思い出し、ノワールさんとシュヴァルツさんを必要以上に警戒……いや、怖がっている。
心を許して受け入れた結果、肉親ということを利用されるのが怖くて、肉親なのを理由に何かを強制されるのが怖くて、それのせいでロシェリとアリルに迷惑を掛けるのが怖くて、何より王都と同じような日々を送らなきゃならないのかという恐怖心が働いて、警戒という名を借りて怯えている。
「はい……俺は、肉親と言う存在が……怖いです」
ずっと見て見ぬふりをして、誤魔化して、目を逸らしていた現実をやっと受け入れられた。
「そうか。追い込むような真似をして悪かった。だがな、わしらはあいつらとは違う。君とちゃんとした家族になりたいんだ。そのためにも、怯えたり怖がられたりするのは我慢できなかったんだ」
「親父……」
ノワールさんの反応を見るに、この件はシュヴァルツさんがこの場で突発的に判断したようだ。
薬としては効き過ぎな気がする。でも、それぐらいしてくれたからこそ、俺はようやく肉親に対する本心に向き合えたんだと思う。
「ジルグ君。親父の言ったことはキツかったかもしれないが、私も同感だ。だからすぐに慣れろとは言わない。少しずつでも慣れていかないか?」
表情を見れば疑うまでもない。この人達は本気で俺を心配して、本当に俺と身内として付き合いたい肉親なんだ。
だったら俺も、それに本気で応えないと。だからまずは……。
「うん、そうだね。えっと……ノワール伯父さん、シュヴァルツ祖父ちゃん」
呼び方と喋り方から入ろうと思ってそう口にしたら、一瞬呆気に取られた直後に二人揃って笑みの表情を浮かべた。
「ああ、よろしくな。ジルグ君」
「うんうん。この歳になって孫が増えるとは思わなかったな」
そんな二人の反応にはまだ慣れないし、怯えや恐怖心も完全に断ち切れたわけじゃない。
だけど、この人達とならいつかは断ち切れると思う。
いや、一番力になってくれるのはやっぱり両隣にいる二人かな。この二人がいたからこそ、さっきは自分の気持ちを受け入れられたんだから。
ありがとな、ロシェリ、アリル。
それと特に何もしていないリアンさんから、自分はお姉ちゃんと呼んでくださいと言われたけど拒否し、リアン従姉さんと呼ぶことにした。
しつこくお願いされたけど無理だ。その呼び方は恥ずかしいから。




