73話 カトネロ
カトネロは屋根の上に立ち、雲間から覗く月を見上げていた。
ようやく塞がった傷口を夜風が優しくなぶっていく。
壁を一枚隔てたところでは、ペンが紙面をなでるカリカリという音が絶え間なく聞こえていた。
ベルトンヒルにおける『王国の護盾』の拠点。
その2階の窓際でペンを走らせているのは筆頭分隊の長、シュビリエだ。
カトネロは音もなく部屋に上がり込むと、シュビリエの背後に回った。
息を殺してそっと紙面に目を落とす。
――上述のとおり、ベルトンヒュルト卿の忠誠心は固く、謀反疑惑に関しては完全に払拭されたものと判断できる。
――サグマ・カウッドにしても特筆すべき懸念はなし。
――しかしながら、別紙に詳述するように、サグマ・カウッドが作る魔道具は「道具」と呼べる域を超えており、最たるものは兵器と呼ぶにふさわしい能力を持つ。
――軍事という観点から言及すれば、単身で戦況を有意に左右しうる兵站と捉えることも可能だろう。
――これが敵国や反体制派の手に渡った場合、王国にとって超大な脅威となることは容易に推測できる。
――サグマ・カウッドの動向については依然注視が必要である。
――動向の監視、さらには身辺警護のためにも、我が筆頭分隊は引き続きベルトンヒルに駐留するべきであると判断する。
紙面にはそんなことがつらつらと書き連ねてあった。
上官への報告書だろう。
「そこにいるのだろう。入ってこられよ」
シュビリエが窓の外に向かって穏やかな声を投げかけた。
カトネロは苦笑いしつつ、その肩を叩く。
「アヘヘ、もう上がらせてもらってんよ」
「ほぅあ……!?」
驚きのあまり椅子から転げ落ちるシュビリエのリアクションは見事と呼ぶほかなかった。
「こ、これこれ、勝手に忍び込んでくれるな。心臓に悪いなんてものじゃないぞ……」
「お呼ばれされるってのも暗殺者らしくないからね。でも、アンタさ、よくアチキの気配に気づけたねぇ。勘付かれるのは、この町に来て2度目だ。腕が落ちちまったかねぇ?」
「何を言う? 貴殿は良くも悪くも暗殺の専門家だ。殺意がないときはわずかながら気配が感じられるのだ」
殺意の有無を見極められている時点で、それはそれで問題だ。
カトネロは笑った。
それだけで、シュビリエが警戒の糸を緩めたのがわかった。
「いや、しかし、ベルトンヒュルト卿には恐れ入った。まさか、お父君の首級を謀反人の首とともに並べるとはな」
「獅子なんて言うけどさぁ、あれじゃ仰向けの犬だね。わかりやすい服従のポーズだよ」
「だが、あそこまでされては、陛下とて寛容さを示さぬわけにはいかぬ。まったく、食えぬ御仁だ」
「アチキはあんな野郎、殺っちまったほうがいいと思うけどねぇ……」
宝物殿で見たドンガリーユは山と積まれた金銀財宝にすっかり魅入られているように見えた。
ドス黒い野心がたしかに垣間見えたのだ。
暗殺は失敗に終わった。
だが、それによって、獅子の牙が抜け落ちて従順な犬になったのなら結果オーライなのかもしれない。
「貴殿も報告書を書くのだろう? よければ、紙とペンを貸すが」
「ペンに突き刺す以外の使い方があるとは驚きだねぇ。アチキは命令のままに殺すだけだ。報告は『耳』の仕事だよ」
「『王の耳』か。あれは、情報収集のプロ集団だ。私などより多くの事実を握っているのだろうな。いずれにしても、謀反の疑いはないと見て間違いなかろう。無駄な血を流さずにすむのなら陛下もお喜びになるはずだ」
「ケッ、高潔ぶりやがって」
カトネロは鼻で笑った。
実直な騎士であり、王都では著名な冒険者でもあるシュビリエだが、彼女には裏の顔がある。
国王直下の諜報機関『王の眼』――。
彼女はその査察官なのだ。
これまでも、数々の不正貴族や謀反人を断頭台送りにしてきた。
流した血の量ではカトネロをも上回るかもしれない。
「ところで、カトネロ殿。私は貴殿とよく似た容姿を持つ御仁を知っているのだが、何か心当たりはあるだろうか?」
「……」
「あ、いやいや、ほんの世間話のつもりで尋ねただけだ。他意はないぞ? きっと他人の空似だな、うん。でも、それにしては似ていたなぁー。あれ、そういえば貴殿には双子の妹がいたような……」
シュビリエはチラッ、チラッと顔色をうかがってくる。
もう少し巧みにカマをかけられないのだろうか。
諜報機関といっても騎士の身分をかさにきて、真正面から捜査するのが『王の眼』のやり口だ。
情報を引き出すテクニックを磨く必要などないのだろう。
「アチキが会ったのはシャノンって名前の愛想のねえ修道女だ。妹のシャノアーレじゃねえ。あの猫女は今、幸せに暮らしてんだとよ。邪魔はしたくねえもんだなぁ」
カトネロは人懐っこい笑みを浮かべたまま、目の奥に峻烈な殺意を閃かせた。
シュビリエの顔から血の気が消し飛ぶのがわかった。
「……い、いや、忘れてくれ。私も憶測で事態をかき回すつもりはない」
それでいい。
しかし、仕事とはいえ嫌な巡り合わせだ。
妹の想い人に刃を向けなければならないのだから。
ただ、結局、最後の最後までサグマ・カウッドへの暗殺命令が下されることはなかった。
誰かがギリギリのところでストップをかけていたようだが、それが誰であるのかもわからずじまいだ。
『王の影』を動かすことができるのは国王だけだ。
しかし、その国王は『王の眼』や『耳』がもたらす情報によって動かされている。
暗殺計画に待ったをかけることができるとすれば、国王を除けば『眼』か『耳』の誰かということになるが。
「……」
ふと窓の外を覗くと、下を歩いていた酔っ払いの男と一瞬目が合った気がした。
その男は仰け反ってスキットルをあおっていたから、たまたま視線が重なっただけかもしれないが。
(結局、アチキが殺れたのは領主にとっ捕まった役立たずの『耳』1匹だけだったなぁ……)
果てしなく重い徒労感がどっと肩に乗っかってくる。
こんな北の果てまで出張ってきて、地の底までヒーヒー言いながら泳いでいったというのに、ロクな仕事もできずに逃げ帰ってきただけだった。
頭が痛い。
「そういや、あの魔道具フルアームド・ナントカって奴のことはなんて報告すんだ?」
その正体を伏せた上でカトネロは問いを投げかけた。
「それを私も考えあぐねていてな。私はこの町に来て、自分にはSランカーを名乗るほどの実力がないことを痛感させられた。あの仮面の御仁は常人の域を完全に超越した存在であったように思う。あれこそが、本物のSランカーの姿なのだろう」
シュビリエはフッと笑った。
「だが、あれを報告する必要はあるまい。敵か味方か。そんな単純な考えで推し量れる器ではないと私は感じた。もちろん、奴が国王陛下にあだなすならば、私がこの剣で秤にかけてやるがな」
「アンタじゃ返り討ちに遭うだけだよ。アチキですら半殺しだったからねぇ、アヘヘ」
カトネロは窓枠に指をかけ、逆上がりの要領で屋根に上がった。
「そいじゃアチキは王都に戻るよ」
「うむ。道中達者でな」
「ああそうだ。アンタ、ワンピースが絶望的に似合ってないね。もう鎧だけ着てなよ」
「う、うるしゃい! 下りて来い、このぉ!」
荒ぶる声を背中に聞きながら、カトネロは夜の闇の中に溶けていった。




