61話 キャスナット
茶色くよどんだ濁流が巨大な龍のごとく唸りを上げている。
すべてを呑み込んでしまうような渦を目の当たりにして、キャスナットはぶるりと身震いした。
遠征2日目。
大きな荷を背負って泳ぐのにもさすがに慣れてきた。
しかし、一瞬たりとも気を抜くことは許されなかった。
流木が猛烈な勢いで横を通り過ぎていく。
サグマの足ヒレのおかげで急流をものともせず泳いでいられるが、流れに呑まれて隊からはぐれることになれば二度と地上は拝めないだろう。
キャスは短い脚で精一杯水を蹴り、前方に見える横穴を目指した。
手を伸ばすと、シャックスエルクが水かきのついた手で引き込んでくれた。
『すみません、皆さん。ボクが遅いせいで』
小さな泡とともに謝罪の言葉を吐き出す。
水を介して聞こえる自分の声は脳に直接響いてくるようで、惨めさに一層の拍車をかけた。
『なに、気にするでない。ボココ……。お前は虎の子の蒸し焼き兵器を背負っているのだ。遅くとも確実に泳ぐことを考えよ』
領主であり遠征隊の隊長でもあるドンガリーユがいたわしげな目を向けてきた。
キャスは恐縮のあまり、ヘコヘコと最敬礼を繰り返した。
すると、エビのような泳ぎになり、フィオレットに受け止められる。
『さすがに獅子団の人たちは泳ぎも達者ね。もういっそアジフライ団とかって名乗ればいいのよ。ポコポコ……』
『どうして調理済みなんですか……』
『キャス、領主様の言うとおりだぜ? それに、足を引っ張ってんのはお前だけじゃねえ。騎士様たちもあのザマだしな』
シャックスエルクは隊の後方に目を向けている。
最後尾を受け持っているのは、シュビリエ率いる『王国の護盾』の5人だ。
隊からやや遅れたところを懸命に泳いでいる。
というより、半ば流されているといった感じだ。
強烈な水圧と冷たい水が容赦なく体力を削り取り、いつ襲いかかってくるともしれない水棲魔物への恐怖で気力が奪われる。
加えて金属鎧がおもりとなって騎士たちをさいなみ、疲労の度合いは隊の中でも群を抜いているようだった。
『騎士諸君、国王陛下の剣たる諸君らがそんな軟弱でどうする? ボコボコ……。悔しければ、わしに騎士の意地というものを見せてみよ』
ドンガリーユは、大きな体からは想像もできないほど細やかな気遣いのできる人物だった。
だが、騎士たちに対してはどこか配慮のなさを感じることがあった。
あえて、疲弊させようとしているような、そんな悪意にも似たものが時折垣間見えるのだ。
叱咤激励とも取れなくはないが。
「ぷはぁ……っ!!」
エアポケットを見つけて、遠征隊は1時間ぶりの休息にありついた。
魔動ランタン『癒やしの燈籠』に火を灯すと、心休まるひとときが訪れる。
そんな中でも騎士たちは青息吐息で、浜に打ち上げられた丸太のように横たわっていた。
部隊長のシュビリエですら剣にすがらねば膝を屈するほど疲弊していた。
「べ、ベルトンヒルのダンジョンがこれほどとは……。王都の比ではない。サグマ殿の魔道具がなければ、とうに力尽きていたやもしれん」
シャックスエルクやフィオレットはわかるわかると頷き、獅子団の面々はあきれた様子だった。
これだからお上りさんは、などと思っているのだろう。
「はいっ、シュビリエさん! 騎士さんたちもどうぞ!」
キャスナットはリスの頬のように膨らんだバッグから疲労回復を促進するポーションを取り出した。
礼を述べ、受け取ったシュビリエが眉をひそめる。
「む? なぜ、こんなにも冷たいのだ?」
「ボクのバッグには冷蔵機能がついた内ポケットがあるんですよ。飲み物って冷たいほうがおいしいですからね。どうぞ、ググイといっちゃってください」
栓を飛ばして小瓶の中身を飲み込むと、騎士たちは途端に生気を取り戻した。
「お腹も空きましたよね。パンと干し肉があるのでサンドイッチを作りましょう。たまごもありますよ。シャックスさん、フィオさん、この魔動鍋でスープを作ってもらえますか?」
キャスナットが次から次に食材や調理器を取り出すと、一同の関心が『栗鼠ノ頬袋』に集まった。
「一体どんだけ詰め込んでんだよ!?」
「お前さんのバッグは何度見ても面白いな。ウチのギルドの食料室より蓄えが豊富なんじゃないか?」
「小さいくせにすげえな、お前は」
そんな声が相次いで、キャスナットは頭を掻いた。
「すごいのはボクじゃないですよ。サグマさんです」
バッグの左頬に牛蒸装置『モウムリ』を入れていなければ、さらに多くの物資を持ち込めるのだからその大容量っぷりは驚異的と言わざるを得ない。
「謙遜はよせよ。そのバッグ、重さこそ大したことねえが、重心が独特で普通の奴が背負うと転びそうになるだろ」
「そうね。キャスには大きな尻尾があるもの。そのバッグを使いこなせるのは、あんただけだわ」
シャックスエルクとフィオレットがたまごを割りながらそんなことを言った。
キャスナットは首をかしげる。
重心が独特。
そんな風に感じたことは一度もなかった。
亀が甲羅を背負うことに違和感を覚えないように、『栗鼠ノ頬袋』はキャスナットの背中にぴったりとフィットした。
背負っていないと落ち着かないことさえあるほどだった。
(サグマさんがボクに合わせて作ってくれたんだろうなぁ)
そう思うと、頬袋を膨らませた相棒がたまらなく愛おしく思えてきた。
キャスは『栗鼠ノ頬袋』に飛びついて頬ずりした。
「やだもう。キャスったら可愛いわね!」
「この姿をサグマの野郎が見れば、たまには働くのもいいかもな、とか言い出すぜ、きっと。オレのも作ってもらうかな」
「ダメですよ、シャックスさん。ボクの仕事を取らないでください」
くつくつと煮立った鍋からおいしそうな湯気が立ち上る。
キャスナットはバッグの中から全員分のカップを取り出して配って回るのだった。




