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16話 フィオレット


「……どのくらい経ったかしら?」


 フィオレットはうわごとのように問いかけた。

 半日か、ひと月か。

 それとも、まだ1分と経っていないのか。

 ダンジョンに入ってからというもの、時間感覚がひどくあいまいになっていた。

 世界がぐるぐると回っているような気持ち悪い感覚がずっと続いている。


 時間と方向感覚の消失。

 それは、魔力酔いの典型的な症状だった。


「くそ、出口がどっちかわからねえ。サグマの魔道具はどうだ?」


 シャックスエルクが壁を支えに歩み寄ってくる。

 腫れの残る顔は脂汗と土汚れでどろどろになっていた。

 フィオレットは手首を返してブレスレットに目を落とした。

 サグマが作った魔道具のひとつ、魔力の流れを読み取って出口へと導く魔動コンパスが銀色の針を揺らしている。


「だめ。コンパスは正常みたいだけど、針が読めないわ。あたし自身の感覚が狂っているみたい」


 魔力酔いは「駆け出し(ルーキー)を殺す病」と言われている。

 場数を踏むことで酔いに耐性がつくからだ。


「あたし、自分はとっくに耐性を持っているんだって思っていたわ」


「オレもだ。まっすぐ歩いているはずなのに、ずっと逆立ちしたまま後ろに向かっている気がする。出口はどこだ? オレたち今、どこに向かってんだ?」


「そんなの、あたしが訊きたいわよ」


 フィオレットは水の中でもがいているような感覚に囚われていた。

 難度の高いダンジョンほど濃い魔力で満たされている。

 ここは、ベルトンヒル最難関と称されるダンジョンのひとつ、『帰らずの墓道』の中層域だ。

 つまるところ、これがS難度(ランク)ダンジョンの魔力酔いなのだろう。

 王都では経験したこともない重い頭痛と激しい吐き気が絶えることなく押し寄せていた。


「ねえ、シャックス。やっぱりさ、あたしたちってSランカーなんかじゃないのよ。王都のぬるま湯で舞い上がっていただけの駆け出しなんだわ」


「おいおい、いつもの勝気なフィオはどこいったんだ? でも、そっちのほうが可愛げがある。サグマの前でそれができりゃ、お前の恋路には出口が見つかるかもな」


 軽口を叩いてはいるが、シャックスエルクの体は綱渡りでもしているみたいに揺れていた。

 あるいは、魔力酔いの症状でそのように見えているだけかもしれないが。


「待て。何か来る」


 乾いた枝を打ち鳴らすようなガチャガチャという音が前方から聞こえてきた。

 姿を現したのは骨の体を持つ蜘蛛の魔物だった。


「『骨殻蜘蛛スカロクネア』……いや、その亜種ってところか」


「亜種というより上位個体じゃないかしら?」


 王都のダンジョンで遭遇するものよりも数段大きな体躯が目を引いた。


「オレが蹴り倒す!」


「あたしがトドメね!」


 あうんの呼吸で戦端を開く。

 シャックスエルクの義足が淡い光を放ち、人間離れした加速を見せた。

 勢いそのままに骨の腹を蹴りつける。

 てっきり倒れるかと思ったが、しかし、スカロクネアはフラついただけだった。


「この野郎! なんて硬さだ!」


「じゅーぶんッ!」


 フィオレットは渾身の力で弓を引いた。

 砲声じみた轟音とともに矢が走り、頭蓋骨に大穴があく。

 それでも、スカロクネアは倒れなかった。

 全身の骨をカラカラと鳴らし、甲高い声を響かせる。


「まずい。群れを呼びやがった!」


「あんなのが何体も来たらおしまいよ! 逃げるわよ!」


「逃げるってどこに!?」


「そんなの知らないわよ」


 二人は暗い迷宮の中を闇雲に走った。

 さいわい、追っ手はまけたようだが、出口からはさらに遠ざかったような気がしてならない。


「やべえな。ここまでキツイとは思ってなかったぜ」


「魔物の質も数も王都とは桁違いだわ」


「ああ。迷宮主クラスの魔物が群れで襲ってきやがる。こんなのありかよ……」


「シャックス、気づいてる? あたしたち、さっきから戦ってるより逃げているほうが多いのよ」


「まったく情けねえ話だな」


 王都にいた頃は我が物顔でダンジョンを闊歩していた。

 襲いかかってくる魔物など小石でも蹴るように一蹴していた。

 ここでは、完全に立場が逆転している。


「オルゴの言った通りだわ。あたしたちは大海の荒波を知らない井の中のカワズだったのよ」


「そんなことはねえ。オレはまだまだ余裕だぜ?」


「フラフラじゃないの。余裕なんてどこにあるのよ」


 主力だったエルドはもういない。

 シャックスエルクと二人では戦力に不安がある。

 加えて、まっすぐ立っていることもままならない魔力酔いだ。

 体力・気力ともに限界は近かった。


「早く出口を探しましょ。このままじゃ、きっとよくないことになるわ」


 出口がある上層方向に移動していればいいのだが、上下感覚すら夢の中にいるようにおぼろげだった。

 もし、下層に進んでいるのだとしたら、この先、さらに強力な魔物と出くわすことになるだろう。


「そりゃ出口に目星をつけるのも大事だがよ、オレたちには背負うものがあるってことを忘れてねえか?」


 シャックスエルクは小うるさい上司みたいな口振りで言った。


「サグマの妹ちゃんたちのためにも成果がいるだろ。なのに、まだ何も得るものがねえ。手ぶらで帰れるかよ」


「そんなの、ただの口実でしょ?」


「……ん? 今何か言ったか?」


「いいえ」


 フィオレットは口をつぐんだ。

 これだけ追い詰められているのに、シャックスエルクはまだ前に進むつもりでいるらしい。

 オルゴに惨敗した恥辱をダンジョン探索の成果で上塗りしようとしているのだ。

 だが、それを指摘したところで口喧嘩になるだけだ。

 今は仲間割れしている場合ではない。


 汗まみれの小さな背中を追って、フィオレットは重い足を踏み出した。


 時折感じることがある。

 サグマの魔道具なしで自分はどこまでできるのだろう、と。

 彼が作った弓と篭手がなければ、自分はまだあの頃の『もやし弓のポンコツエルフ』のままなのではないか、と。


 道具に頼りきりで、自分自身はなんの進歩もしていないように感じることがある。

 そんな疑念が鎌首をもたげるたびに首をぶんぶんと横に振って、そんなことはないんだと言い聞かせてきた。

 現に王都でトップランカーに登り詰めたではないか、と。


 しかし、シャックスエルクがオルゴに惨敗したことで疑念は確信めいたものに変わりつつあった。

時は金なり(ダラープラント)』で2番手だったシャックスエルクですら、この町ではなすすべもなくBランカーに敗れたのだ。


「あたしたち、本当にこのダンジョンから出られるのかしら」


 フィオレットは自分にすら聞き取れない声でぽつりとつぶやいた。

 汗は止まらないのに、体は芯まで冷えきっていた。


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