88.悪夢
俺は、自分の目の前に広がる信じられない光景に目を奪われていた。
そびえ立つ暗黒の門ーーその高さはおよそ5メートルくらいだろうか。全面に全裸の男女が苦しみもがいているかのような彫刻が大量に施され、不気味な雰囲気を際立たせていた。
中でも際立っていたのが、門のまさに中央部分に在る”黄金色の髪の存在”。左右の扉の間にーーまるで門を封じる鍵の如く存在していたのが…他ならぬティーナだった。
まるで…悪夢のような光景。
ティーナは、半身を完全に門と同化していた。もがき苦しむ人々の姿を刻んだ彫刻群の中で、そこだけが色を塗られたかのよう。
腕や胸から下の部分が門に溶け込んでおり、表面に出ている顔の部分も固く瞳が閉じられていた。
…生きているのか死んでいるのか、それすらもわからない。まるで世界最高の芸術家が魂を込めて掘り出した最高傑作のように…美しい姿で存在していた。
いや、よく見るとかろうじて胸の部分が上下している。どうやら生きてはいるようだ。…とはいえ、どうやったらこんな状態になるのか。それに、門と半ば同化したティーナを救い出すことはできるのか…
「ティーナ!!」
エリスの悲痛な声が、魔迷宮の最下層の中にこだました。門と同化したティーナの悲惨な姿を見て、なりふり構わず駆け寄っていく。
俺とスターリィは一応【解放者】を警戒していたが、どうやら先方には今仕掛けてくる気はなさそうだ。黙って玉座に鎮座したまま、無表情でこちらの様子を伺っていた。
「ティーナ!目を覚ましてっ!どうしたの!?返事をしてっ!」
エリスの必死の呼びかけにも、ティーナは微動だにしない。もしや、もはや意識すら持っていないのではないか。あまりに変化のないティーナの様子に、不安が俺の脳裏をよぎる。
「…大丈夫。ディアマンティーナは生きているわ」
俺たちの心を見透かすかのように、それまで口を挟まずに様子を伺っていた【解放者】が口を開いた。
「…あなたね。あなたがティーナを…!戻してよ!ティーナを元に戻してっ!」
「それは勘違いと言うものよ、エリス。ディアマンティーナはね、自らの意思で『冥界の門』と一体化したのよ」
…『冥界の門』?【解放者】の口から飛び出した聞きなれない単語に俺は首を捻った。
こいつは、名前からして凶々しさを感じる門をティーナが呼び出して、自分の意思で一体化したというのか?なにがどうなればそんな事態になるというのか…
「ウソよ!ティーナがそんなことする理由なんてないわ!」
「…あなたには無くても、ディアマンティーナにはあったみたいね。私の話を聞いて、すぐに門に身体を封じ込めたわ」
「…【解放者】、あなた…ティーナに一体何を話したの?」
のらりくらりと話す【解放者】を相手に、これまで見たこともないような鋭い眼光で睨みつけながら激しく問いただすエリス。
エリスの迫力にまるで根負けしたかのようにふぅと息を吐くと、【解放者】はティーナに何を話したのかを語り始めた。
「私は…ディアマンティーナに真実を教えてあげただけよ。あなたは…この私がアンクロフィクサとグイン=バルバトスの遺伝子を組み合わせて作った人工生命体だってね」
「ええっ!?」
思わず驚きの声を上げたスターリィ。俺も声こそ出さなかったけど、思いがけず知ったティーナの出生の秘密に驚きを隠せなかった。
確かにティーナは普通の女の子ではなかった。だが…よもやかつての【魔王】とその側近である【原罪者】の血を引く存在だったとは。
しかし、【解放者】の語る驚愕の事実を前にしても微塵も動揺していない人物がいた。
…他ならぬエリスだった。
「それが…どうしたっていうの?ティーナはティーナ、それ以外の何者でもない」
「ふふふ、素敵な発言ね。でもこれを聞いても変わらずにいれるかしら。…2年前にデイズを殺したのは…他ならぬディアマンティーナよ」
横で聞いている俺ですら聞くに耐えられない真実の連続。だがそれでも…エリスは変わらない。
簡単に折れてしまいそうなほどか細い身体のエリスの芯には、どんなことにも決して動じぬ強い意思があった。
「…たとえあなたが言うことが真実だったとしても、私は額面通りには受け取らない。私はティーナを信じている。あなたの思い通りになんて、絶対にならない!」
「…そう思うならば直接本人に伝えてあげなさい。もしかしたら…目を覚ますかもしれないわね」
そう語る【解放者】の顔に浮かぶのは…困惑?
「正直今の状況は、私にとっても想定外の出来事だったわ。本当はこの子を説得して私の手助けをしてもらうつもりだったのだけど…
ディアマンティーナはね、現実を受け入れることができずに絶望したの。だから…自らの命を絶つために『冥界の門』を召喚した。このまま放置しておくと、この子の命は…やがて尽きるわ」
「そ、そんな…」
「さっきも言ったとおり、この子は…自分の意思でこうなってる。エリス、あなたに…自分で門を閉ざしてしまったあの子の”心の扉”とも言うべき『冥界の門』を開けることが出来て?」
まるで挑発するようにエリスに問いかける【解放者】。こいつがどんな意図でエリスにティーナを助けるよう求めているのかは分からない。そもそもその話自体がウソかもしれない。だが…ティーナが持っていた能力は間違いなく【扉】だった。であれば、彼女が自分の意思で…というのはあながち間違いではないのかもしれない。
「エリス!あの女…【解放者】が真実を語っているのかは分からない。だけど可能性があるなら、エリスはティーナの説得に全力で当たってくれ!その間に俺たちは…」
俺は壇上の玉座に座る【解放者】をグッと睨み付ける。
「俺たちは、あいつを滅ぼす!」
「…わかったよ、アキ。ティーナのことは…私に任せて」
俺の言葉に力強く頷いたエリスは、さっそくティーナの説得に入った。
「ティーナ!ティーナ!私の話を聞いて…」
エリスがティーナに必死に話しかけるのを横耳に聞きながら、俺はスターリィとともに【解放者】のほうへと歩み寄っていった。
玉座に鎮座する【解放者】は、俺たちを興味なさそうに眺めていた。
「…スカニヤー、それにスターリィ。よもやあなたたちがここに辿り着くとはねぇ…」
まるで路上のゴミでも見るような視線を俺たちに向ける【解放者】。その顔に浮かぶのは…先ほどまでエリスに対して見せていたのとは全く別人の表情。
「【解放者】、お前は…何を考えている?一体何をしようとしている?」
「それをあなたたちに教えてあげる義理が私にあって?私にとってあなたたちは、必要の無い存在。ただの異物なのよ?」
今の【解放者】の話しぶりに、俺は確信する。やはりこいつの狙いは…エリスをここに呼び込むことだったのだ。だが何のために?そもそもティーナがああなってしまっては、奴の試みはもはや失敗しているのではないか。
だが…今は考えている余裕はない。【解放者】を睨みつけながら、俺はずっとこいつに言ってやりたいと思っていたことを口にした。
「それがどうした!お前にとっては異物だとしても、私たちにとってお前は…見過ごすことのできない存在だ。お前は…あまりにもこの世界に悲しみや不幸をばら撒きすぎた。その所業、決して許されるものではない!」
「…へぇ、そう。だったらどうするの?」
「私が、お前を滅ぼす。そして、不幸の連鎖をここで断ち切る!」
俺の言葉に、【解放者】は失笑した。
「あなた程度の存在に、私を滅せるの?…ふふふ、面白いわね。それじゃあ試してみましょうか?」
俺たちを見下ろす玉座に腰掛けていた【解放者】が、すっと立ち上がった。そのままゆっくりと…俺たちの方へと歩み寄ってくる。
「…時間潰しにはちょうど良いわ。せいぜい…この私を楽しませてね?」
不敵な笑みを浮かべる【解放者】の全身から、滲み出るように…邪悪な黒い魔力が溢れ出てくる。
だが、身震いするように魔気を当てられても何一つ動じない俺とスターリィの様子に、【解放者】は不快げな表情を浮かべた。
「…さっきも言ったとおり、私にとってあなたたちは何の価値もないわ。だから…何の容赦もなく殺してあげる。生意気な口を叩いたことを、あの世で後悔することね。
終わらない悪夢を…あなたたちに見せてあげるわ」
「アキ!来ますわっ!」
スターリィの警告どおり、【解放者】の背に…巨大な暗黒の”悪魔の翼”が具現化された。その大きさは、ゲミンガの過去視で見たときよりもはるかに大きく力強い。
次の瞬間、【解放者】の背後の空間が割れ、そこから…何かが這い出してきた。
暗黒の魔力が…まるでスモークのように空間の裂け目から湧き出す中、ゆっくりと現れたのは…巨大な女性の右腕?続けて左腕も現れて、割れた空間を力ずくで拡げてゆく。
ギシギシ…という空間の裂ける不気味な音が聞こえる中、裂け目から這い出すように女性の姿をした上半身がゆっくりと姿を現した。【解放者】によく似た容姿、仮面のような表情、闇夜の海のように波打つ長い髪、その瞳は黒いガラスが嵌っているようで何も映していない。薄暗い色をした全身を包みこむように、棘のついたイバラのような植物が全身に絡みついていた。
こいつが…【黎明の夢魔】か。
俺たちの目の前に、【解放者】の固有能力である【黎明の夢魔】が、ついに全容を現した。それは…まるで俺たちを冥府に誘う死の女神のように、死臭を伴う圧倒的な存在感で俺たちの前に具現化していた。
身構える俺たちに向かって、死の女神…メフィストフェレスが無機質な表情のままぱかっと口を開けた。暗黒の魔力が一気に口元に集まっていく。
あれは…能力発動の合図だっ!
「スターリィ!来るぞっ!」
「ええ…!」
次の瞬間、メフィストフェレスの口元から強烈な魔気が放出された。毒、麻痺、腐敗など様々な状態変化を付加する攻撃…『波動砲』だ。
邪悪な魔力を纏った波動砲が、一気に俺たちに迫ってくる。
「…拒絶せよ!【女神の聖盾】!」
スターリィの『天使の歌』が発動し、俺たち二人の前に白い魔力を放つ円形盾が現れた。【解放者】の放った『波動砲』が、光り輝く盾に激突する。
…どうやら初撃は互角のようだ。拮抗している間に、俺は自分の能力を一気に発動させた。
この時点で俺はまだ【解放者】の能力をはっきりと把握しているわけではなかった。特に二つ目のオーブ…『フランフランの腕輪』によって目覚めた能力についての情報が皆無だ。
だから俺は、燃費の悪い【究極形態】はとりあえず封印して挑むことにした。決して出し惜しみしているわけではない。それに、たとえ奥義を封印したとしても…いまの俺にはそれなりの火力を発揮する術があった。
これまでの数多くの出会いが、俺に大きな力を与えてくれていたんだ。
ーー《起動》ーー
個別能力:『新世界の謝肉祭』
【左腕】…『ゾルディアーク』発動。
ーーーー
ーー《同時起動》――
状態変化:【古龍形態】発動。
ーーーー
俺の固有能力と龍の力の同時起動。これにより、俺の全身を…古龍の力と白き王獣の力が一気に包み込んだ。両腕の上腕に龍のような鱗が出現するのに併せて、白猫のような耳としっぽがニョキッと現れる。
…まだだ、これで終わらない。
「【キエフの門。鶏の足の上に建つ小屋。
今ここに捧げん、我が血肉。
バーバ・ヤーガの名の元に、具現化せよ…言葉紡ぎ出したるその唇を、その舌を!】
禁呪…『魔女の口』!!」
こいつは最近ティーナから教わった禁呪だ。なんでもヴァーミリアン公妃が使っていたらしい。
両方の掌をサッと爪で切り、禁呪を発動させると…傷口が徐々に唇の形に変形していった。結果、俺の左右の掌に魔虫による”口が出現した。
この口のおかげで、俺は同時に3つもの魔法を発動できるようになるのだ。
…よし、これで準備は整った。俺は一気に飛び出すと、【解放者】へと襲いかかっていった。
「…右手から龍魔法【石柱の槍】、左手からは禁呪【千里眼】、そして口からは…放たれろ、【流星・星銃】!」
右手のひらの口が放った龍魔法により、綺麗な大理石の床が割れて鋭い石つぶてが放たれた。同時に起動した『千里眼』…俺の目の代わりをする魔虫を4体出現させ、俺の視界を多角的にサポートさせる。
…自身の目も含めると同時に5つの視界を手に入れたことになるが、最近は脳に流れ込んでくる情報の取捨選択が上手くなったので、脳の疲労は最小限に抑えることが出来た。
加えて放った『星銃』が、石つぶての雨の中を貫くようにして【解放者】に襲いかかった。
「…ほう。父親の技だけではなく、妙な能力も使えるのね?どういうことなのかしら」
変貌を遂げた俺の容姿を気にする様子もなく、微笑みすら浮かべる【解放者】は、指先一つで【星銃】の軌道を変えると、襲い来る石つぶてをメフィストフェレスの腕の一振りで消滅させた。
だが…このとき奴にスキが出来た。自身の能力による…明らかに大ぶりの防御に、【解放者】の視界が塞がれる。
もちろん、そんなスキを逃す俺たちではなかった。
「…右手から龍魔法【風の導き】。左手から禁呪【化石柱】、そして口からは…天を穿てっ!【散弾星】!!」
まずは【散弾星】によって多角的に流星を放って、【解放者】の注意を引く。その上で龍魔法によって加速した動きと、【化石柱】という足場を作る魔虫によって予測不能な動きで死角から一気に【解放者】へと接近していった。
「いきますわっ!【光の聖槍】!」
俺の意図を理解したスターリィが、『天使の歌』で援護をしてくれた。【散弾星】の間を縫うようにして、炎を纏った超高熱の槍が【解放者】に迫っていく。
「…終わらない悪夢を、『黎明の夢魔』。…【終焉の波動】」
【解放者】の指示を受けて、背後に具現化した巨大な死の女神…メフィストフェレスの口元に、魔気が猛烈に集束していった。これまでとは比較にならない邪悪なる波動を感じて、俺は慌てて気を引き締める。
来る!そう思った次の瞬間、死の女神メフィストフェレスの口元から爆発的な波動砲が放たれた。先ほど奴が放ったものとは桁違いの威力、間違いなくこれが…【解放者】本来の固有魔法だ。
目の前に在るものを全て屠る勢いで放たれた波動が、俺が撃った『散弾星』とスターリィの放った『光の聖槍』をあっさりと蹴散らした。それでも勢いは衰えることなく、俺たちに襲いかかってくる。
だが俺は…既に学園においてこの攻撃を一度見ていた。ゲミンガの過去視によって、メフィストフェレスの放つ波動砲の範囲をほぼ正確に掴んでいたのだ。
だから、事前の乱れ打ちで【解放者】の視界を撹乱した上で、あらかじめ来ると分かっている攻撃の軌道から巧みに回避した。
それだけではない。さらに予期して配置していた足場…【化石柱】を踏み台にして、加速しながら一気に【解放者】へと肉薄していく。
…チラリと横目でスターリィの様子を見ると、吹き飛ばされながらも固有魔法【女神の聖盾】でなんとかメフィストフェレスの放った波動砲を防いでいた。
よし、スターリィは大丈夫だ。だったら俺が…一気に決着をつけてやる!
死角から飛び込んできた俺の姿に【解放者】が気付いたのは、かなり接近してから。奴の固有能力であるメフィストフェレスが俺を防ごうと荊棘に包まれた手を伸ばしてくるが…遅い!
「滅びろ!【解放者】!ゾルディアーク流格闘術、『王牙』!!」
相手の想定を上回るスピードで接近した俺は、獣化した左腕を…【解放者】に向かって一気に突き出した。白き牙と化した俺の拳は…奴が回避可能な範囲を超えた速度で放たれ、その土手っ腹に渾身の一撃を見舞ってやった。
ズドンッ!
会心の一撃。
確かな感触が俺の拳に伝わり、左腕はそのまま…【解放者】の腹を貫いた。
この手応え…間違いない、仕留めた!
最大の強敵をわずか一撃で仕留めた喜びが、俺の全身を突き抜ける。
だが…俺が喜んでいられたのは、ほんの束の間だった。
「…へぇ、やるわね。まさか私に届く攻撃を放てるなんてね。まったく想定してなかったわ」
ばかな…
腹を貫かれながらも、あまりに平然とした口調で俺に語りかけてくる【解放者】。まるで悪夢を見ているかのような光景に、俺は絶句するとともに戦慄を覚えた。
どういうことだ?こいつ…なんで腹を貫かれてるのに平然としていられる?もしかして…俺の攻撃が効いてないのか?
ゴクリ。思わず生唾を飲み込む俺に、腹を貫かれても気にする素振りすら見せぬまま、【解放者】はニヤリと笑った。
「でも…残念だったわね。私に攻撃は一切無意味よ。なぜなら…私は不死身なのだから」




