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越冬  作者: 社 やすみ
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前だけを見て、すれ違う

「時間ないの? 飲んでるのに? どこに何しに行くんだかー」


 そう言って頬を膨らませるナギサ。普通、三十路の女がやったらイタい仕草だが、ナギサは見た目が若く、明るい雰囲気もあって、違和感なく映える。何にでも冷めた見方をしがちな俺でさえこう思うのだから、きっと世の男たちの目には魅力的に映るだろう。三十路ともなれば、年相応の女の落ち着きは増して行く。ナギサもナギサなりには落ち着いてきたのだろうが、明るく華のある雰囲気が突出していて、昔とイメージ的には変わらない。ナギサはいかにも男ウケする雰囲気で、好意を持つ男は多いはずだ。しかし、俺が知る限り、他の男にとことんそっけない。いかにも八方美人といった雰囲気なのに、俺以外の男とは完全に一線を引いて距離を保っている。……というのをわざわざ俺に見せてくるのだ。普通にしておけばいいのに、何かとアピール過多で、そういうところが鼻につく。だから俺はナギサを逆に信用していないし、何だったら(わずら)わしささえ感じている。


 俺が見てきた女という生き物は、浅く、薄っぺらく、自己愛が何より先に来る俗物だ。その俗な自己愛を満たす為に容姿を整え、着飾り、自己愛を満たせそうな男に近付き、しかし最後の一言は男に言わせようとする。俺はナギサを、そういう類いの女の象徴だと思っている。


 ナギサは一見、献身的に俺に尽くしている様に見える。だが、献身的に俺に尽くしている自分が好きなだけだ。俺は、ナギサが自己陶酔する為に置かれた装置に過ぎない。違うと言うのならば、自我を見せてみろ。俺はナギサのそういうところが嫌いなんだ。


 ……いや、ナギサだけではない。亜希子も、オーナーも、自己愛の為に俺を容認しようとする。だが俺もそれに甘んじる形でこれまで生きて来たので、お互い様といったところか。俺はあちらこちらにフラフラして、男が羨む、俗に言ういい女をチョイスして、女の力で人生を渡り歩いて来た。女たちは、みんなしっかり地に足つけて、自立して生きている。怠惰(たいだ)下衆(げす)醜悪(しゅうあく)な俺とは違い、立派な大人と言えるだろう。そう考えると、俺の、女を見る目は確かなものだ。だが、女たちは、本当は俺を見ていない。だから俺は、そんな女たちを簡単に切り捨てることが出来るのだろう。愛情もなく、愛着もあってない様なもの。俺の思いきりの良さは、女たちの隠された内面を見ることが出来たからこそだ。最初から内面を見抜けなかったことを思うと、女を見る目はなかったということになる。我がことながら、哀れなものだ。


「お前には関係ない」


 だから、口から出たのは、バツが悪くて吐き捨てたごまかしの言葉ではない。本当に関係ないという気持ちからの切り捨ての言葉なのだ。俺にとってナギサは、不必要な女。それ以上でもそれ以下でもない。ナギサの顔が曇る。


「関係ないんだ?」


 いつもよりずっと低く、トゲがある声。ナギサがこうなるのも無理はない。普段の俺は、どこかへ行こうとナギサに言われれば、肩を抱いて一緒に行くのが当たり前。行く先にある享楽と快楽を見越して流されるのが俺のはずなのだ。ナギサは俺のそういうところを学生の頃から見てきたから、いつものパターンにハマらない俺に違和感があるし、態度も変わるのだろう。だがこれが今の俺だ。ナギサは俺のいい加減さや無軌道な様を(おおむ)ね受け入れてなおにこやかでいるフリをするのが常だが、これからはそれをさせてやることはないだろう。今の俺はナギサに首輪をつけられたかつての俺ではない。もうフラフラあっちこっちに行くつもりはない。これからは、瑠美架だけの俺であり続ける。


「ああ。 お前とはもう会わない」


 かつての俺ならば、適当にごまかして、何ごともなかった様にナギサを抱きに部屋に行く流れだ。だが、今の俺にはその『抱く』という選択肢がない。だからここで意思表示をするべきだと思った。ナギサは驚いた顔をして、くちびるを震わせている。冷たい風が吹いて、ほのかに香水の匂いがした。何度も抱いたナギサの匂い。


「……何よそれ。 どういうこと?」


 眉間にしわを寄せたナギサの顔は、普段見せない困惑と憤慨が滲んでいる。もし俺が今、「冗談だ」とでも言って、このままナギサの肩を抱けば、ナギサは今日も俺を受け入れ、献身に酔うことだろう。だが俺はもう、それをさせてはやれない。瑠美架がいる今の俺には、そんなことは出来ない。


「言葉の通りだ。 じゃあな」


「何で!? 何でよ!?」


「新しい生活にお前はいらないんだ」


 俺はただ、これからの暮らしに集中したいだけだ。そして、万が一にも瑠美架に誤解されたくない。その為には、ナギサはいらない存在なんだ。ナギサにとっても、俺はさほど重要な存在ではないはずだ。俺がいなくなれば、すぐに代わりの男を見つけて、頑張るヒロインをまた始めるのだろう。だが瑠美架は違う。瑠美架が俺にすがる要因は、きっと肉親との縁薄い生い立ちに起因しているはずで、俺への愛は、愛されたいが故のものである可能性は高い。つまり、自己愛を満たす為で、そこは他の女たちと大差ない。だが瑠美架はどうしようもなく俺を求める。おとなしい性格で、異性慣れもしていないであろう瑠美架はいつもたどたどしく、まどろっこしく、恥ずかしそうだが、そこにはプライドがまるでなく、駆け引きなんて微塵もない。俺はそんな瑠美架がいい。全力で応えて、支えて、満たしてやりたい。俺と瑠美架は、お互いに求め合う部分が合うのだろう。話はあまりしなくても、心で繋がっている実感がある。こんな女は初めてだが、気持ちに妙に馴染んでしまって、俺は何だか安らげてしまう。瑠美架は、俺に欠けているパズルのピースの様に俺には思える。俺と瑠美架は互いを貪り合って、互いに依存することで救い合っている。俺たちがやっていることは体を重ねることばかりで、誰が見てもきっと浅く薄っぺらな愛欲でしかない。だが、十年以上も一緒にいて何も分かり合えない亜希子やナギサと違い、心の繋がりがこれからも深まる予感がある。だからこれからも時間をかけて絆を深めて行きたい気持ちが確かにある。瑠美架が俺の帰りを待っていて、俺が瑠美架のところに帰り、そして愛し合う。瑠美架とならば、こんな当たり前で、ややもするとチープな関係が、ここに至る出会いが、素晴らしいことだと思えるのだ。


「……」


 夜の街の騒がしさと動きの中、俺たちだけが数秒沈黙し、その動きを止めている。ナギサは俺をじっと見つめていて、ゆっくりと呼吸する。長く息を吐くのが聞こえて、俺にはそれが溜め息の様に聞こえた。


「……」


 俺は歩き出し、ナギサとすれ違う。ナギサはそのまま立ち尽くしていた様だったが、振り返って見たわけではないので、実際がどうだったのかは分からない。そのまま俺は、前だけを見て歩く。家で瑠美架が待っているのだから。

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