表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
越冬  作者: 社 やすみ
26/37

幸せにしたい

 かつて俺がよくメシを食った例の店は、あの頃とほとんど変わりなかった。カウンターだけの細長い店内、その割に広い厨房。窓がない分明るい照明。そしてオーナーのアイツ。ボーダーのトップスにジーンズといういでたちで、本当に昔のままだと思った。水商売女の休日の服装といった風情が丸出しで、俺は何だか笑いそうになってしまった。


「どうかした?」


「いや、懐かしいなと思ってよ」


 懐かしいのは本当だ。俺がかつていた世界の一端をいきなり見せられて、あぁ俺はこんな世界にいたのかと思った。俺もかつて休日は、素肌に紫のカーディガン、首もとには金ネックレスだったことも同時に出て来て、あまりにも昼の世界の住人と違うなと、ひどく遠い世界にいたんだと思ったのだ。向こうはもちろん笑わせるつもりなんかないし、俺も少し前までなら何とも思わなかっただろう。だが今の俺の軸は瑠美架に移っていて、いつの間にかこの街と夜の世界のねじれが滑稽な物に見えている。それはこの街がもう俺の居場所ではなくなっているということだし、かつての世界の一端を見て笑ってしまいそうになった俺は、感覚が一般人のそれと近くなっているのではと思えた。俺が生きてきたのは夜の世界で、これからそこに戻るはずなのだが、自分が異物の様に思えて、しかし、そこに寂しさなどは微塵もなく、むしろ安堵した様な気持ちさえわいた。


「俺、変わったろ」


「そうね、何かいい男になったわね」


 そう言われた瞬間、俺の背筋は何だかスカッとして、脳裏には瑠美架の笑顔が咲いた。俺はいい気分で、たぶん少し笑ったと思う。それもオーナーには新鮮に見えただろう、少し微笑んだのだ。今の俺は瑠美架を愛していて、瑠美架も俺を愛してくれていて、だからこそ俺は、瑠美架の為に変わったと思った。いや、変えてもらえたと思った。


「大人になったのね」


「大人になったかどうかは分からんが、変わったよ、変わった」


 今の俺の軸は、瑠美架への愛情と庇護欲と独占欲がないまぜになった感情だと思う。そしてそれは、他の女への興味を薄れさせ、いや、興味をなくさせている。


 オーナーは、見た目もほとんど変わりなく、まるで俺だけが歳をとったかの様で、瑠美架と出会う前の俺ならば一発やりたい、中身をもう一度知りたいと考えたと思うが、今の俺には“仕事を世話してくれる昔の女”でしかなくなっている。さらに言うと、このご時世に新規店をオープンする景気のいいオーナーからは相変わらず金の匂いがぷんぷんするし、その店長に俺を起用してくれるのはありがたいことで、俺は、ただ粛々と仕事で報酬を得たいと考えている。それは俺自身、内心とても驚いた。肉体関係も金づるも望まない自分など、そしてそんな自分を明確に認識することなど、これまでなかった様に思う。そしてこの感情は、オーナーだけではなく、亜希子に対しても、ナギサに対しても同じだ。どの女にも、俺と別の世界で生きてほしいと思う。無縁でいたいと思う。それはひとえに、俺を無垢に信じてくれる瑠美架を不安にさせたくないし、万が一にも裏切りたくないから。


「娘でも生まれた?」


「……ある意味、そうかも知れんな」


 何かが腑に落ちた。前の俺は、自分勝手に生きてきた。俺だけが大切で、俺以外はその他でしかなかった。だが今の俺は、瑠美架ありきだ。恋人として、婚約者として相応しい俺でいたいし、何より、あの子の支えになりたい。そして、あの子のこれからの人生の(いしずえ)になりたい。その礎は、何よりも強固な無償の愛であるべきだと思う。俺が言うのも何だが、年頃の少女である瑠美架が一人暮らしをしていることは何か異常だ。そこに、家庭が円満である雰囲気は感じない。どうしようもなく瑠美架が寂しげに思える。だから俺は、瑠美架の為の家庭を築きたい。もちろん、俺の為にもなるだろう。俺は瑠美架の倍近く生きていて、自分を誤魔化す術には長けている。だから俺は孤独であっても大丈夫のはずなのだが、これからは自分を誤魔化さずに生きて行くのだろう。瑠美架に対してだけは、どこまでも誠実でいたい。瑠美架が、瑠美架だけが大切だと心から思える。


 俺は彼女を幸せにしたい。彼女が幸せならば、俺も幸せな気持ちになれる気がする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ