か細い体を抱きしめて、
俺たちは、朝の10時過ぎまでホテルの部屋にいた。何度も寝たり抱き合ったりを繰り返して、その度にお互いを深く知った気になった。俺はそれなりに瑠美架のことをわかったと思うが、瑠美架は俺のことをわかっていない。まだあどけなさが残る瑠美架は、男を見る目などまだ持ち合わせていないからだ。調子よく好きだの何だのと言った俺を信用しきって体を許してしまっているのだから、迂闊だとすら思う。こういう時、普段の俺なら、自分を棚にあげて内心冷めて女を鼻で笑うのだが、そうはならずに何だか胸がざわめき、罪悪感にも似た気持ちが去来して、どうにも心が沈みながら俺は服を着た。
だが、瑠美架の支度が終わるのを待っていると、何だかむず痒くも嬉しくなってきた。というのも瑠美架は、幸せそうな微笑を浮かべながら、少しずつ身支度を整えていて、俺との出来事を大切に思って余韻に浸っているのが伝わって来たからだ。チェックアウトの時間が近づき、支度をする時、女の心の中には大抵俺の存在はない。どいつもこいつも、淡々と化粧するものだが、瑠美架の表情からは、俺のことしか考えられないといった雰囲気が溢れていて、抱きしめたくなってくる。俺が知る瑠美架は、慎ましさを絵に描いた様な女で、着ているものも、上が白、スカート部分が青のデートワンピース。慎ましいのにあざとすぎて女受けはよくないかもと一瞬思ったが、ここまで絵になるなら、逆に好かれそうだとも思った。清楚な女などこの世に存在しないと思っていたが、瑠美架は見た目も、そして内面も、清楚そのものだと断言したくなる。俺は無意識のうちに溜め息をつきながら瑠美架の着替えを眺めていて、その声にならない声に気付いたのか、瑠美架がこちらを見て、目が合った。瑠美架はすぐに目を伏せ頬を染める。そして満面の笑顔になった。思わず声を漏らす俺。
「綺麗だ……」
俺の言葉に瑠美架は赤面する。俺はもう何年も女に心が動いていなかったが、愛しさが胸に溢れてきて、このままではまた瑠美架を抱いてしまいそうだと思った。大きく息を吸い、吐いた俺は、気持ちを抑えようと、ベッドに腰かけて、テレビの電源を入れた。だが、内容が頭に何も入って来ない。また瑠美架を見ると、膝下まであるチェスターコートを着終わって、胸に手を当ててそわそわしていた。また俺たちの目が合う。俺がテレビを消すと、瑠美架が、蚊の鳴く様な小声で言う。
「あ、テレビ……よかったんですか……? 待ちます……よ……?」
「瑠美架……」
立ち上がった俺は瑠美架に向かって歩き、髪を撫でる。ふわふわの髪が手に心地いい。細められる瑠美架の目。長い睫毛が美しく、揺れる瞳にかかっている。俺が瑠美架の頬に触れると、瑠美架が顔を上げ、そっと目を閉じた。俺はその美しさに一瞬息を飲み、そっと、そっと口づけした。
ホテルを出ると、冬の割には暖かかった。厚着気味の俺は数秒立ち尽くし、何とはなしにぼんやりしてしまった。横に並んだ瑠美架は俯きながら、また小声を発する。街の喧騒に簡単にかき消される程の、とても小さい声だったが、俺は何だか聞き取れてしまっていた。俺が顔を向けると、瑠美架は「あのっ、何でもないですっ」と、焦る様に声を上擦らせたが、俺は「同じこと思ってた」と言い、瑠美架と手を繋いだ。瑠美架は俺に「手を繋いでもいいですか」と言ったのだ。普段の俺ならはぐらかすところだが、瑠美架と一緒にいると何だか浮わついて、俺らしくないことばかりしてしまう。瑠美架から言ってくれた嬉しさで心が躍り、応えたいと思ってしまう。そして応えたことで、俺の心にあたたかいものが溢れる。今、瑠美架も同じ様に、俺を想ってあたたかい気持ちになってくれているなら嬉しい。俺たちは、歩く歩幅すらお互いを気遣って調整して、歩きながら笑い合った。こんなこと、これまで誰ともしたことはない。自分勝手に、好きな様に歩くのが俺であったはずなのに、初めて女と気遣い合って、お互いの気持ちの一致に笑顔になった。瑠美架との付き合いは、ゆっくりでいい、一歩一歩が小さくてもいいと思う。だが、瑠美架のことは、少しでも速く、多く知りたい。いや、全てを知りたい。さしあたってまずは。
「瑠美架は、歳、いくつなんだ?」
俺は至極当然のことを聞いた。陽光に柔らかく照らされた瑠美架の肌は、瑞々しく、とても綺麗で、化粧っ気にまみれた女どもとは明らかに違う。その美しさに心の中で感嘆すると、俺の脳裏に鮮明に、昨夜の瑠美架が甦って来る。俺を受け入れて嬌声をあげる裸の瑠美架が、だ。俺は情欲に駆られ、今すぐ瑠美架を抱きたいという思いに全身を支配されかけたが、その瞬間、背筋に、ヒヤリとした冷たい感覚が来た。瑠美架が、桜色のくちびるを開く。
「……はい。16歳です」
……は?
犯罪じゃないか。
俺は立ち止まり、数秒の間、絶句していた。思考も止まる。瑠美架の手はひんやりと冷たい。俺は手があたたかい方なので、余計に冷たくかんじる。瑠美架もきっと、俺の手をよりあたたかく感じているだろう。思考が再び動き出すと、手汗がとんでもなく滲み出て来た。目は今、きっと泳いでいるだろう。俺は再び歩き出そうと一歩を踏み出す。すると瑠美架も一歩踏み出した。俺は俯き、俺たち二人の歩幅がぴったり同じになっているのを見た。胸の内は今まさに乱れているのだが、歩幅は瑠美架と綺麗に整っている。まるで、俺の心と体のズレを象徴しているかの様に見えた。瑠美架の方を見て、声を絞り出す俺。
「……そ、そうか」
「……はい。 私、未成年ですけど……」
……俺を強請る気か?思考がこの考え一色になった。俺がこれまで女たちにしてきた仕打ちのしっぺ返しが来る流れだと思った。32歳のオッサンが、あろうことか自分の半分の年齢の16歳の少女をホテルに連れ込み、その未成熟な体を隅々まで貪ったんだから、警察に行くと言われればおしまいだ。俺の生殺与奪は、今、瑠美架に握られている。そう思った俺は瑠美架の顔を見られなくなり、目をそらした。前を向くと、俺の目に、衝撃の光景が映った。途端に足どりが重くなり、瑠美架とお互いに合わせた歩幅のはずが、遅れ始める。俺の目に映るもの、それは交番だ。絶望感で押し潰されそうになった俺は、頭に浮かんでいることを無意識に口にしてしまう。「なかったことに出来ないか」と。瑠美架が俺を見て、涙を浮かべる。
「私が彼女じゃ、ダメですか……?」
え?彼女?え?は?
瑠美架が俺を見つめている。警察にタレ込むつもりはなさそうに見える。強請や美人局の類いじゃないのだと思い、俺は内心、安堵の息を吐いた。安心すると、リスクを背負いたくない気持ちが大きくなってきて、距離を取ろうとする俺が出て来る。
「やっぱり、ちょっとまずいよな、その歳は」
世間の常識からとことん外れ、人の道からも外れた俺だが、淫行で捕まるリスクは負いたくない。これで捕まれば性犯罪者だ。女は寄り付かないだろうし、今ある環境も俺から逃げて行くだろう。ならば、もう手は出してしまったが、円満に関係を精算したい。多感な年頃の少女の心は、俺のことなどすぐに忘れるだろう。今は俺のことを好きでも、だ。そう思うと、俺はいくらか冷静になれた。自分の言動を俯瞰で見ることが出来て、俺は気付く。ヤり捨てだと思われてはならない、と。そうなれば、それこそ、腹いせに警察にタレ込まれかねないからだ。ならば、方針は色恋で決まりだ。
色恋は水商売のテクニックだ。好意をちらつかせて客を絡め取る恒例の技。ホストやキャバ嬢と恋出来ていると思い込むヤツの9割が色恋に騙されている。だがあと1割は本物の好意なので、客は夢を持って挑むといいんじゃないかと思う。俺はこの色恋がとにかく得意なので、それはもう稼がせてもらったもんだ。
俺は、やると決めたらやりきるのが信条だ。どんな女でも、円満に捨てると決めたのならば、円満に捨てる。相手は世間を知らない少女なのだから、一旦騙してさっきまでのいい雰囲気に戻し、やり過ごして音信不通になればいい。これが、面倒な女に対する必勝パターンだ。本当は瑠美架に後ろ髪ひかれる思いだが、危険なリスクは避けねばならない。まずは、やっぱり別れるなんて出来ない、の一言だ。その為にまず、一回ちゃんと落として上げようと俺は画策する。具体的には、繋いだ手を離そうとし、もう一度繋ぐ流れから決めの一言だ。
俺は早速、握った手を少し緩める。瑠美架はこれ以上なく悲しげな顔になった。そして俺の手を離そうとせず、強く握ってくる。そして泣きそうな声で、「大好きなんです……」と言って俯いた。俺もつられて俯く。そこから俺たち二人は交番を通りすぎ、黙ったまましばらく歩き続けた。大通りの交差点に差し掛かり、立ち止まって、信号が青に変わるのを待つ。俺は瑠美架の方を向かないが、視界の端に瑠美架の頭が見える。さっきの「大好きなんです……」は、瑠美架なりの別れたくないという意思表示だろう。だがやはり、16歳はない。俺も瑠美架に惹かれてはいるが、亜希子もナギサもいる。亜希子から金をせしめて、ナギサと遊んでる今の生活を手放すことなんて、俺には出来ない。そうだ、出来ない。こう何度も自分に言い聞かせた俺の心は、さらに冷静になる。騙しきる気持ちを固めた俺は、行動を開始しようと、瑠美架を見た。すると俯く瑠美架の目から、ぽたりと一粒、涙が落ちた。そして瑠美架は、もう一度呟く。
「大好き……なんです……」
その一言に、俺は頭をハンマーで殴られた様なショックを受けた。言葉はさっきと同じだ。ただの繰り返しだ。そう思おうとしたが、俺の目にも涙が浮かんで来る。いい加減な昨夜の俺が、自分勝手な今日の俺が、純真な彼女の心を傷つけた。そのことが、俺は無性に耐えられなくなった。瑠美架は俺に身も心もくれたのに、俺は酷い男だと思った。しかし瑠美架は俺を責めず、冷めた目も、憎しみや怨嗟も見せず、ただ大好きだと言い、涙をこぼした。俺の何がそんなにいいのか、俺にはわからない。だがそこには、弱々しく幼いが、無償の愛が垣間見えた気がして、俺の中の何かが弾けた。俺の保身が、色恋が、一瞬で吹っ飛ぶ。瑠美架は俺が幸せにするしかないと思わずにはいられなかった。もう瑠美架しか見えなかった。
「泣かせるなんて俺は最低だ。 結婚を前提に付き合ってくれ」
泣かせなくても俺は最低だが、さっきまで逃げる為の算段を立てていた俺の心は、完全にどこかへ行ってしまった。俺の心は、愛しさと、瑠美架を泣かせた後悔だけで満たされ、切なさばかりが募る。瑠美架が目を見開き、小さく震えながら俺を見た。一度小さな吐息を漏らすとさめざめと泣き始め、「本当ですか……?」と、瑠美架にしてははっきりした声で言った。そして俺の胸に顔を埋める。俺は瑠美架のか細い体を抱きしめて、髪を撫で、頭に何度もキスをした。信号が変わり、通行人がチラチラと俺たちを見ながら歩く。だがそんなものは俺たちには関係なかった。瑠美架が顔を上げ、俺を見る。俺も瑠美架を見る。俺たちはどちらともなく笑い合い、絡み合う様に強く抱き合い、キスをした。




