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越冬  作者: 社 やすみ
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繁華街の記憶

 地下鉄の走行音はフィンフィンとうるさい。何かが泣いている様で、無性に腹が立つのは、俺が人を泣かして生きているからなのか。ドアが開いて、見慣れた繁華街の最寄り駅に降りる。地下鉄の駅なんて大差ないはずなのに、この駅だけ空気が悪く、息苦しくかんじる。俺が降り立つと、がらんとしたホームに強い風が吹いたが、息苦しさは変わらない。ドアが閉まると地下鉄はまた泣きながら遠ざかって行く。駅のホームはすぐに静かになった。降りた客はまばらで、寒々しい光景だ。そういえば最近は、気温もだいぶ寒くなってきた。もう冬が近い。俺が手に持っている角瓶には、まだ酒が半分ぐらいは入っている。


 改札を抜け、階段を上がると、そこはもう繁華街だ。20代の俺が全力で生きた街。空はもう真っ暗で、夜のとばりがおりていた。地下鉄のホームと同様の強い風が、何度も吹く。俺は一震えして立ち止まり、角瓶をあおった。酒が喉を下り、即座に体が火照り出して、俺はまた歩き出す。


 様々な店のあかりが、街ゆく人の心をくすぐっているのだろうが、俺の心には響かない。何せ今の俺には金がない。居酒屋の兄ちゃんが、店先で、何やら呼び込みをしている。俺にも声をかけてきたが、当然、成果は生まれない。金がないことに負い目がある俺は、あえて、“俺は繁華街の住人ですよ”というアピールになる魔法の言葉、「お疲れ様です」を繰り出す。


 兄ちゃんは、所在なさげに「あぁ……」と小さく声を漏らし、弱々しい苦笑いを一瞬浮かべて、目を伏せながら俺から視線を外した。俺はそれを横目に見ながら、ふらふらと、だが確実に雑踏をすり抜けて行く。足はすり足。これは俺がこの街でホストをやっていた頃に、自然に身に付いた歩法だ。


 魔法の言葉とすり足を併用すれば、この街を端から端まで都合よく行き来出来る。すり足は足を上げないから、この人ごみでも誰かの足を踏まないし、逆に誰かに足を踏まれやすく、因縁をつけやすい。ちょっと脅せば、小遣いは簡単に手に入る。


 雑踏の誰もが、今は俺を景色の一部として認識していて、俺もまた、彼らを何でもない景色の一部というか、小銭入れぐらいにしか見ていない。誰もが関心と無関心のはざまで揺らめく夜が、また来るのだろう。そこに俺が関わっているのかいないのかはわからない。ただ、朝方まで俺はこの街にいるだろう。それはいつものことだ。繁華街の冬は今年もきっと寒い。


 俺は黒いフェイクファーのコートの前を閉じる。コートの下のインナーも黒。下も黒のレザーパンツにブーツを履いている。俺の風体は、この街の中でも一際怪しい。髪は伸び放題で、つむじの辺りでゴムで縛っている。夜でも外さない、薄くオレンジがかったサングラスだけが、黒ずくめの俺に、唯一彩りを添える。


 手にはほとんど空になった角瓶。この瓶は黄色がかっていて、少しサングラスの色に似ているといえば似ている。だが、角瓶の向こうは、サングラスの向こうとは違い、何もかもが歪んでいて、別の世界みたいだ。かつての、汚れていなかった頃の俺ならば、あるいは、角瓶の向こうも見えたのか。


 俺は今年で32になる。ホストは20代の終わりに引退した。あれから3年余り経つ。なのに俺はあれから定職につかず、女に食わせてもらっている。要は、女のヒモだ。どうしようもないクズだ。これが俺、冬木雪匡(ふゆきゆきまさ)現在(いま)だ。


 字面から、どこへ行ってもあだ名はユキグニだった。源氏名まで雪国(ユキグニ)だった。この名前なら、そうなるよな。源氏名をつけてくれたのは、俺が付いた兄さんだった。


 “俺が付いた兄さん”が何なのか、一般人には伝わらないだろう。ホストの世界ってのは、ヤクザのそれと似ている。自分の面倒を見てくれる直近の先輩を“兄さん”として、盛り立てて行く。その働きぶりが、組織内での評価になっていく。だから、兄さんの為が、自分の為になる。次第に奇妙な絆が生まれる。


 一人前のホストってのは、ある意味、個人事業主みたいなもんなんだが、そこまで行けるのはほんの一握りだ。大抵のホストは“兄さんの駒”として立ち回ることで食って行くし、独り立ちしても“兄さんの駒”をやめない奴は多い。


 俺は幸い、その一握りになれたし、俺の兄さんは(さかずき)をもらってヤクザになって、どこかへ行ってしまった。別に兄さんのことが好きだったわけじゃないはずなのに、いなくなってみると、奇妙な絆は俺の心にしっかり根を張っていて、俺は一抹の寂しさからか、店の風景が色を失った様にかんじてしまった。そして、繰り上がる様にNo.1の位置まで行った俺は、“この店でやり残したことはない、兄さんがいないなら”、なんてセンチメンタルな気持ちになったりして、そんな時にタイミング良く、別の店からいい条件で引き抜かれた。

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