50万文字を書き続けられるのは、雪国で暮らしてきたから?
雪国で暮らしていると、否が応でも身につく性質がある。
それはーー粘着質。
こんにちは。雨日です。
今日も、雨日が暮らす地域は鉛色の空で、雪が降り続いている。
雪の影響で、新聞はまだ届いていない。
◇ 粘着質に、コツコツと
雨日が毎日続けていることがある。
それは、小説を書くことだ。
この生活は、1年3ヶ月前から続いている。
今、連載中の小説のストック(下書き)は44話。
文字数は11万文字ほど。
まもなく、小説は50万文字(下書き含む)に達する。
処女作は50万文字。
2作目は60万文字。
今作は・・・60万文字くらいで終わらせたい(弱気)。
自分でも、やりすぎだと思う。
こんなこと、親や友人、仕事仲間には言えない。
言ったとしても、たぶん重すぎて引かれる。
「ちょっと読んでみて」
気軽に言える数字じゃない。
「よ・・・よぉし・・・読むか」
そう言って腕まくりが必要な文量だ。
そして、たいてい途中でそっと閉じられる。
妹なんて、URLを送っても触れてもいない。
なかった存在となっている。
通知の海に沈んだままだ。
だから、家族以外には誰にも打ち明けず、黙々と積み重ねている。
◇ 雪国で育まれた粘着性
我ながら、しつこい性格だと思う。
でも、雪国育ちの人には、そういう粘り気のある人が多い気がする。
なぜなら、
除雪しても、除雪しても、雪は終わらないからだ。
雪国の人間は、日々、雪と向き合っている。
今の時期は、天気予報に全集中する。
週間天気予報を何度も見て、
気温、天気図、寒波の動きをチェックする。
寒波が近づく予報が出ると、
冬の晴れ間に雪国の人間は遊びに行かない。
家の周りに積もった雪を、ひたすら溶かす。
次の寒波に備えるためだ。
そうしないと、雪の捨て場がなくなり、本気で家が埋まる。
――これは、数年前に実際に経験した。
雨日にとって、その作業は小説を書くこととよく似ている。
雪を知らない人から見ると、
「雪は溶ける。そのまま放置すればいいのでは?」
と思う人もいるだろう。
けれど、圧雪されて固まった雪は、塊と化して、自然には溶けない。
天気の良い日に、それを砕き、分解し、地面の上に散らばす。
そうして初めて、雪は溶けやすくなる。
それは、
オタク色が強い文体を、
読み手に伝わる形へとほどいていく感覚に、どこか似ている。
そして、
晴れた日に雪に備えて手を動かす感覚も、小説を書く作業とよく似ている。
「この日は出張があるから、ここでストックを貯めよう」
「この日は講座があるから、その前に書いておこう」
そんな配置が、自然と頭の中で組み立てられる。
◇ 漫画家が育つ環境
あの有名な 頭文字D で知られる
しげの秀一 先生は、国内屈指の豪雪地帯、新潟県・松之山の出身だ。
しげの先生は、インタビューでこう話している。
「冬は暇で、考える時間がたくさんある。
夢想家が生まれ、漫画家に育つ環境」
さらに、
「雪国で育まれた我慢強さは、漫画家をやる上で武器になった」
とも語っている。
確かに、除雪はきつい。
「あぁ、嫌だ」
「なんで、こんなに雪が降るんだ」
そんなことを考えながら除雪をすると、気が狂いそうになる。
一生懸命、雪を片づけても、
数時間後には、その努力がなかったことになる。
それが、雪国の日常だ。
だから雨日は、除雪をしながら小説の続きを考える。
先の展開を思い浮かべて、少し、薄ら笑いを浮かべながら。
情景が、色がつくほど鮮明に浮かぶ。
物語のシーンを頭の中で転がしながら、黙々と雪を投げる。
たぶんこれも、
雪国で身についた、生き方なのだと思う。
◇ 雪国に住んでいるけれど、粘着性がないよ?
そう思う人も多いと思う。
けれど、雪国で暮らしていると、半強制的に、そんな根気が身につく。
もう、否が応なく。
だって、除雪しても、除雪をしても、雪が降るんだ。
いい加減にしてくれ!
そう天に向かって叫んでも、雪は降る。
根性がないと言いながら、実は、しっかり根性がある。
雨日の家族は、5年間、小説の第一話を改稿し続けている。
その話をすると、なぜか少し胸を張る。
「自分は“出せない”んじゃない。“温めている”んだ」
なるほど。
その温め方も、
雪国ならではなのかもしれない。
雨日は、そう思っている。
◇ 雪の休日
休日の今日は、
小説を書いて、
除雪して、
また小説を書いて。
息抜きにエッセイを書いて――そして、また除雪。
その繰り返しだ。
雪は降り続ける。
物語も、書き続ける。
たぶん雨日は、
雪国で身についた“先を見て備える癖”のまま、
小説を書いているだけなんだと思う。
書いても、書いても、終わらない。
でも、やめない。
それだけだ。




