<小説裏話>洗面所で書く小説と、落ちた視力
こんにちは。雨日です。
今日は、小説を書き続けて失ったものについて書く。
小説を書きはじめて、十四ヶ月。
その間に、雨日は三つのものを失った。
それは、
1.時間
2.安定した自律神経
3.視力
この三つに尽きる。
◇ 失った時間
小説を書きはじめてから、空いた時間はすべて、それに使っている。
正月も、盆も、平日も休日も、ずっと書いている。
大きな時間も、隙間時間も。
仕事の合間に文章を打ち、移動中に構成を考え、布団に入っても次の展開を考える。
のんびりと過ごすことが、なくなった。
「今日は何もしない日」が、存在しない。
とにかく、頭の中にある物語を終わらせたい。
追い立てられるように、取り憑かれたように、書いている。
時間を失った、というより、
時間を差し出している、という感覚に近い。
◇ 失った安定した自律神経
小説の展開がイケイケドンドンで爽快なら、
書いている本人も、きっと楽しいのだと思う。
けれど、雨日は違う。
粘着質で、重くて、逃げ場のない展開を書く。
特にクライマックスに近づくほど、
書き手のほうが苦しくなる。
「そんなに苦しいなら、明るい展開にすればいいじゃない」
家族はそう言う。
けれど、それができないのだ。
早朝から――雨日は朝派なので――
泣きながら小説を書いている。
誰かが死んでしまうシーンは、
書いている側も本当に辛い。
書いたその日から、
数日は喪に服したくなる。
あぁ、辛い。
あぁ、切ない。
編集をしている時でさえ、
再び泣けてくる。
――こんな状態で、
安定した自律神経など得られるはずがない。
感情を動かし続けることは、
思っている以上に、身体を消耗させる。
物語を書くというのは、
頭だけの作業ではなく、
自律神経ごと持っていかれる行為なのだと知った。
そして、その解消法として、
雨日は、このエッセイを書き始めた。
これが、とても助かっている。
結局、雨日にとって
乱れた自律神経を整えるのは、
呼吸でもなく、
アロマでもなく、
――やはり、書くことだった。
◇ 視力
小説を書いて、一番影響を受けたのは――視力の低下だ。
もともと視力は低かった。
けれど最近、特に細かい字が読みにくい。
――ああ、これがあの「老眼」というやつか。
そう思って、己の老化に苦笑いをした。
ところが、実際に視力を診てもらうと、
老眼ではなかった。
近眼が、進んでいたのだ。
この年齢で?
思わず何度も聞いた。
「老眼じゃないの?」
違った。
近年の視力低下が、著しいという。
原因は、わかっている。
雨日は、早朝に、
薄暗い部屋で家族を起こさないように、小説を書いている。
家の間取り上、寝室とリビングは同じ空間だ。
書斎?
何それ?
ないよ!
この週末も遠出をした。
二週連続でホテル泊になった。
それでも、旅行先で、
早朝四時から必死に小説を書いていた。
(もちろん、その他の仕事もある)
あまりにもホテルの室内が薄暗く、
雨日は洗面所の床で体育座りをしながら書いていた。
明るい。
けれど、寒い。
そんな場所で、小説を書いている。
こんなことをしているのだから、視力が落ちるのも、当然だろう。
それは、十分すぎるほど自覚している。
◇ それでも思う――小説は、楽しい
時間の喪失。
自律神経の乱れ。
視力の低下。
こうして失ったものを、つらつらと書いてきたけれど、
それでも、小説を書き続ける理由ははっきりしている。
失うものより、
得るもののほうが、ずっと多いのだ。
書いている時間は、幸せだ。
この実世界では経験できないことを、
筆を通して体験できている。
小説の中では、
美しい姫にもなれるし、
膨大な権力を持つ領主にもなれる。
勇敢に戦う騎士にもなれる。
それは、まるで夢のような世界だ。
これまでは、
本を読むことでしか没入できなかった「別の世界」を、
今は、自分の手で組み立てることができる。
それは、とても幸せなことだと思う。
そして何より、
その小説を読んでくれる読者様がいる。
それは、もっと幸せなことだ。
時間がないのは、仕方がない。
それだけ、幸せな世界に身を置いているのだから。
自律神経は、
このエッセイを頻繁に更新することで、整えていく。
視力低下は――
早朝、洗濯室に灯りをつけて書こうと思う。
もう若くはない。
だからこそ、できる対策をしながら、
この幸せな世界を、末長く続けていきたいと思う。




