書くべき原稿から逃げて、このエッセイを書いた
雨日は堪え性がないらしい
こんにちは。雨日です。
気づけば師走である。
雨日の営むお店は、いよいよ繁忙期に突入した。
先週は、たった3日で1000キロほど車で移動し、今週も600キロ超の移動が控えている。
さらに、ブログも、小説も、書かねばならぬ原稿もある。
・・・そう、忙しい原因の火種を撒いたのは、他でもない雨日自身なのだ。
それなのに、やっぱり言ってしまう。
「忙しい」と。
言ったところで時間が増えるわけではないのに、どうにも口をついて出る。
年末恒例・雨日の “予定を詰め込みすぎる病” が、今年も静かに発症している。
このままだと、毎週あげていた短編が書けなくなる。
短編を書き始めて4ヶ月。
気づけば、26本。
合計 189,355文字 を書いていた。
今の雨日の仕事量と体力では、継続が厳しい。
書きたいことが多いのに、身体がついていかない。
◇「書きたい」でも、「時間がない」
これは、多くのライトノベル作家が抱える共通の悩みだと思う。
そんな雨日に、家族が問いかけた。
「雨日よ。短編は置いといて、連載は毎日更新しているのだろう?」
「している。週に9回更新している」
「小説のストック(下書き)は?」
「・・・35話しかない」
そこで家族は、なぜか厳かに言い放った。
「堪え性がない」
◇ 堪え性がないとは・・・?
え?
書けない現状が堪え性がないの?
それとも、体育会系の精神論で「気合で書け」という意味なの?
雨日は、露骨に不思議そうな顔をした。
家族はパソコンを開き、淡々とキーを叩きながら、
どこかの評論家のように演説を始めた。
「自分を見ろ。
自分は更新しなくても平気だ。 ずっと平常心だ」
・・・いや、それは。
あなたが5年間、小説を書き続けながら、一度も更新してないからでは?
ずっと第一話を改稿し続け、今年も年末。
それでも平常心。
それはそれで、ある意味すごい。
確かに家族の指摘通り、雨日は堪え性がないのかもしれない。
雨日なら、そんな状況に置かれたら発狂して気が狂う。
◇苦渋の決断
堪え性がない雨日は、悩んだ末に決断した。
短編は、しばしお休みにする。
その代わり、連載は毎日続けるつもりだ。
とはいえ、ストックは35話しかない。
猛烈に焦る。
背中がスースーするほど焦る。
・・・のだが、その前に。
小説よりも、エッセイよりも、
まず原稿を仕上げなくてはならない。
今、このエッセイを書いている時点で、
すでに逃げている。
現実から。
原稿から。
締め切りから。
書くことからは逃げられないのに、
書くべきものからは華麗に逃げているという矛盾。
だが、これが雨日である。
堪え性がないが、筆だけは止めない。
さて。
そろそろ本当に原稿に向き合う時間だ。
逃げて書いたエッセイはここまで。
次は、逃げずに書こう。
――たぶん。




