38.応急処置
よろしくお願いします。
矢が飛来した時、窓の側に居たのはコレットだった。
「ヴィー、大丈夫かな……」
「やっぱり、護衛を何人かつけるべきだったわ」
「……嫌がると思う。それに、ここは元々彼女が住んでいた場所なんだし……」
「だからこそなのよ」
生まれの違いで不平不満を抱えている平民は決して少なくない。
貴族が平民を害することはそれほど重い罪ではないが、逆は死罪確定の銃犯罪とされている。それだけ身分の差というのは明白で、ヴィーのように平民になることを「堕ちる」と表現する貴族もいるほどだ。
「貴族に対して恨みを持っている人だって大勢いる。大多数が彼女を敬っていたとしても、一人でも彼女を害したいと考えている人間が居ないとは限らないわ」
というより、確実に居るだろうとオルタンスは断言した。
「これまでは貴族だからって手を出すのを控えていたような人物がいる可能性だって考えられるのよ」
「それでも、大丈夫だと思う。というより、彼女が戻ってこないイメージが湧かないんだよね」
話している間、コレットはずっと外のかがり火を見ていた。
屋敷を二重に囲む灯りと人だかり。内側は屋敷を守る大人たちで、外側は屋敷を襲うつもりであろう若者たち。
「にらみ合いみたいね」
「攻めてきている人たちも、あんまりやる気はないんじゃないかな。多分、ヴィーがボドワンさんを説得したら、解散しちゃうと思う」
ヴィーに対する信頼をこれでもかと言わんばかりに表現するコレットに、オルタンスは嘆息するしかない。
「コレット……今、自分がどんな顔をしているかわかってる? まるで恋する乙女そのものよ」
「ええっ、恥ずかしいなぁ」
両手で頬をむにむにと押さえているコレットに、オルタンスはつい相好を崩してしまった。
「まったく……あなたがどれくらい彼女のことを信頼しているのか、よくわかったわよ。ここはにらみ合いのままになるでしょうし、このまま待ちましょう」
まるで恋人の話をしているかのように照れた表情を浮かべるコレットの表情。そんな顔を、彼女が実家で見せたことなど無かった。
「……旅は、楽しい?」
唐突な質問に一瞬間をおいて、コレットは答えた。
「うん。まだ始めたばかりだし、ここに来たのもお仕事だからっていうのもあるけれど、新しい土地を知るのはやっぱり楽しいよ。フォーコンプレ伯爵領が嫌ってわけじゃないけれど、良い所も悪い所も、その町それぞれが違っていてね」
旧オーバン伯爵領へ向かう途中で休憩や宿泊のために立ち寄った町や村について語るコレットは活き活きとしていた。
「それでね……」
「待って。何か変よ」
外が妙に静かになったような気がして、オルタンスがコレットの隣へ来た瞬間だった。
「危ない!」
数本の矢が放たれたのが、下からの光に照らし出されて視界へ映り、それが間違いなく屋敷へと到達すると判断するまでに時間は必要なかった。
オルタンスはあれこれと考える余裕など無く、とにかく隣にいる妹を守らねばという思いだけで動いた。
「あうっ!」
コレットを抱き締めた直後、左のわき腹と右肩に衝撃を感じる。
「お姉ちゃん!?」
急に押し倒されて何が起きたか理解できなかったコレットだったが、姉の肩越しに見える姉の背に矢が突き立っているのを見て、悲鳴を上げた。
「どうしよう!」
「落ち着いて……。すぐ木戸を閉じて、誰かを呼んできて……」
オルタンスが痛みに耐えながら話している間に、悲鳴を聞いて飛び込んできた侍女が短い悲鳴を上げた。
「お願い、誰か呼んで! お姉ちゃんが……!」
侍女が廊下を駆けていく足音を聞きながら、オルタンスは痛みよりも熱さを感じながら、ゆっくりと意識を手放していった。
「逃げて、コレット……」
そんなふうには見えなかったが、もし、暗闇の中で若者たちが暴徒化しているとしたら。
彼らが領主館へ殺到し、町の大人たちで止められず、兵士たちでも手が足りなかったら。
「逃げて……」
自分が怪我をした時点で、町の者たちにはもう平穏な未来は待っていない。破れかぶれになった連中が、憎むべき貴族や、それに組する者にどんなことをするのか。
オルタンスは想像したくもなかった。
王国兵が妹を守ってくれることを願った。ヴィーが来て、コレット自身が言う通りに彼女を守ってくれるならそれでも良い。
こうして気を失ったオルタンスは、この数分後に無理やり目覚めさせられることになる。
「痛ったーい!?」
「む。これはいかん。布を噛ませてやれ。舌を噛まないようにな」
「むぐっ!?」
激痛で目を覚ますなり、布を口に突っ込まれて黙らされたオルタンスは、目を白黒させて周りを見た。
そこには自分の傍で膝を突いて何かやっている代官と、その後ろで心配そうに見守っているコレット。
そして、二人の兵士が自分の手足を押さえている。
「むぐぐぐ……」
「説明している暇はないのである。少し痛いが、我慢してくれたまえよ」
言うが早いか、オルタンスが何をされるか自覚する前に、代官は浅く刺さっただけだったわき腹の方の矢を抜きにかかった。
鋭いナイフで少しだけ矢の周りを切開し、矢じりの“返し”に引っかかって肉を引きちぎらないようにしてからそっと抜き取る。
「っぐむぅ……!」
痛みに悲鳴を上げるも、猿ぐつわのように固定された布が彼女の声をくぐもらせる。
「痛いのはわかるが、もう一本だけ我慢してくれ」
矢を抜いた傷口を手早く縫合し、清潔な布を当てて侍女に押さえさせた代官は、肩の矢を見る。
「かなり深く刺さっているようである。引き抜けば傷口が大きく広がって、神経を傷つけて腕が動かせなくなるかも知れぬ」
「そんな……」
「幸いにも骨は逸れているし、矢の先がどこに来ているかもわかる。……オルタンス君。少々怖いかも知れぬ。目を閉じておくのをお勧めするよ」
代官の忠告を受けて、涙をたっぷりと溜めた目をきょろきょろとさせていたオルタンスだったが、瞼を閉ざすことは無かった。
「なるほど。君はやはり気丈なようだ」
話しかけながら、代官は開けさせたオルタンスの肩に指先を当て、矢の先が来ている場所を確認すると、躊躇いなくナイフで切開を始めた。
「毒が塗られていないのが幸いだ」
矢じりで貫けば縫合した痕が醜く残る。そう理由を説明し、ナイフでまっすぐに切開した個所から、背中から前に貫通させる形で矢を引き抜いた。
「もう大丈夫だ。少々傷は残るが、悪化することは無いだろう」
代官が残りの処置を侍女に任せた直後、屋敷の外から大勢が声を上げるのが聞こえてきた。
侍女たちが身をこわばらせ、兵士たちが緊張の面持ちで武器を手に警戒する。
「落ち着いてよく耳を澄ませたまえ。外から聞こえるのは突撃の声でも怒声でもない」
たらいの桶で血塗れの手を丁寧に洗いながら、代官は冷静に告げる。
「歓声だよ、これは」
そう言われてコレットが閉ざされた木戸へと視線を向けると、今度ははっきりとした言葉が聞こえてきた。「ヴィオレーヌ様」という言葉が。
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