35.師弟
よろしくお願いします。
田舎の夜は暗い。
風で消えないように覆いを付けた蝋燭の仄かな明かりだけが、ヴィーとボドワンという二人の存在をぼんやりと浮かび上がらせている。
「ヴィオレーヌ様。よく、おいでくださいました」
「ボドワン。お前が呼ぶない、来っくさ」
ヴィーの言葉に、ボドワンは花が咲いたような笑みを浮かべた。胸が暖かくなるような喜びが広がり、涙すら零れる。
目元の滴が光ったのを、ヴィーは見落とさない。
「おいおい、そがんことでどがんすっとか。お前が何て言うこっちゃいわからんばってんが……斬り合いになっかも知れんとばい」
「う……これは失礼を」
涙を拭い、もう大丈夫だと宣言したボドワンは腰に提げている剣に左手を触れさせている。いつでも抜ける状態だ。
対して、ヴィーの方はだらりと両手を下げた状態だった。
「で、まずは話ば聞こうさい」
「……先日もお話ししたことですが、どうか、再びこの地を治めていただきたいと思っております。僕たちは確かに王国の民ではありますが、それ以前にオーバンの民なのです」
「再び? なんば勘違いしとっとね」
ふん、と鼻息を吹く。
「おいが領主やったことは一遍でん無かったばい。領主は父上やった。おいは継ぐ前に貴族ばやめた」
「ですが、僕たちが求めているのはあの代官ではありません。あなたなのです! 僕たちが意思を示すことで、あなたの本当の価値を認めさせることがきっとできます!」
「本当の価値てなんね?」
「ヴィオレーヌ様は、死にかけていたこの土地を蘇らせてくれました! 川の水を自在に操り、畑を豊かにするあなただからこそ、僕たちはついていきたいのです!」
「断わっぎんた、どがんすっとね?」
わずかな躊躇いもない、即答だった。
「おいがこの領地ば手に入れたけんて、今よいた良か暮らしになっとは限らんばい? そいだけじゃなか。父上が誤魔化しよった分も納めんばいかんとやけん、今よい苦しゅうなっさい」
「でも、まだ土地はあります。あなたの知恵によって、この地は作物が育たない不毛の平原ではなく、作物が育つ可能性を持つ土地になりました!」
「麦が増やさるっけんて、人が食う分以上に作ってどがんすっね」
「穀物だけでなく、果物を作る手も有ります。それを酒にして他の地域に売ることも。あなたが号令をかければ、この土地はもっと豊かになるのです」
「ふむ。色々考えちゃおっばいね」
感心したようにヴィーは頷いたが、やはり了承はありえない。
「そこまで考えとっない、代官殿に話ばして自分たちでせんね。何遍でん言うばってん、おいはもう、貴族じゃなかとよ。ボドワン、お前と同じ平民になったとやけん……」
ヴィーはこの先を言うべきかギリギリまで迷ったが、はっきり伝えねば決着はつかない。
「もう、おいば頼っぎいかん。ボドワンはボドワンの道ば行きんしゃい。おいにはおいの生き方があっとやけん」
「そんな……」
「おいが言うぎおかしかろうばってんが、お前はまだ若っか。かんことで命ば落とすことはなかさい。仲間に言うて、|代官殿と一緒に
《代官殿と一緒に》ここば良か町にしてくれんね」
「もう、遅いのです」
ボドワンは剣を抜いた。
それが意味することを彼は知っているのだろうかとヴィーは考えたが、前世で見てきた若者と、そこに含まれる自分のことに鑑みて、なんとなくわかってはいるものの止められないといったところかと納得する。
ヴィーも刀を抜いた。
「しょんなかね。久しぶいに手合せばしゅうか」
「そのようなお覚悟でよろしいのですか?」
ボドワンは柄を左耳へと寄せるように八相に構えた。同じように、ヴィーも左八相の姿勢を取る。
「本気で行きます。本気であなたを倒して、僕たちの理想にお付き合いいただきます」
ヴィーは黙ってボドワンの動きを待つ。
ゆっくりと、そよ風に押されているかの如き速度で距離を詰めてくるボドワンを待ちに待って、彼我の距離は二メートル程。
踏み込みを伴えばボドワンの射程内であり、ヴィーの手が届かぬ範囲だ。
「暗かとこれ、よう見えとっばい」
と、ヴィーは内心で驚いた。ここまで腕を上げていたかと。
蝋燭の火が揺れた。
一陣の風が、ヴィーの柔らかな銀髪をかすかに揺らした瞬間、ボドワンが動いた。
性格を示すかのような、まっすぐな踏み込みからの袈裟懸けだ。
一歩下がる。
それだけで、正確にヴィーの肩を狙っていた攻撃は逸れるのだが、腰まで切っ先が下がるよりも早く、喉元を擦りあげるような突きへと変化する。
強靭な握力を必要とする動きだが、ボドワンの速度は些かも落ちなかった。
その一点だけでも、ボドワンの身体能力はヴィーのそれをはるかに上回る。
「ふっ!」
小さく息を吐きながらの突きに対し、ヴィーは膝を突いて避けながら横殴りに脛を狙った。
正統派を気取る剣術の世界では下法ともされるやりかただが、戦場を経験した彼女にとって、そういう意味での禁じ手はあり得ない。
「そのやり方、わかっていますよ。対応も簡単です」
踵を引き込むように右ひざを曲げて払い斬りを避け、ボドワンはさらに突きを繰り出したが、素早く下がったヴィーには届かなかった。
「さすがですね。一筋縄ではいかない」
「お前もさ。よう鍛えとっごたっ」
「だからこそ、わからない。どうしてそこまでしてあなたはこの地を捨てようとするのですか!」
二合、三合と剣を合わせながら、ボドワンはわからないと叫ぶ。
「捨つってん言うとらん! おいは旅に出て、この土地以外の場所ば見たかだけたい。そいに、コレットと約束したとさ」
「コレット……。昼にここへ来た時、同行していた女性ですね」
ボドワンはため息を吐いた。
「なんこっちゃい、言いたかことのあっとね」
「あの女性は、ヴィオレーヌ様に何を吹き込んだのですか?」
「……なんて?」
「何を目的にしてヴィオレーヌ様に同行しているのかは存じませんが、何か見どころがあるようには思えません。あなたの役に立つとも思えません」
「そい以上言うぎいかん」
ボドワンの感情が嫉妬だと、さすがのヴィーにもわかる。
元男ながら、客観的に見ると男の嫉妬とはなんともみっともないものだ。自分が相手にされないことの責任を少女に押し付けるか。
「言ってはならぬと言われても、僕には……僕たちには邪魔な人物です。もし彼女の存在があなたの足枷であるというなら、排除することも考えねば」
「もう、言うな!」
激高したヴィーの攻撃が、声に呼応するような大振りとなって上段からボドワンの頭へと振り下ろされる。
しかし、攻撃は冷静だった。
「せいっ!」
振り下ろしの最中、ヴィーの肘が吸い込まれるように引きつけられ、頭を狙っていたはずの斬撃はいつの間にか手首を狙うものへと変化している。
視線を動かさずに攻撃点を変化させる秘技だ。
「それも、知っています!」
掬い上げる剣で、乱暴なまでに激しくカチ上げるボドワンの剣が、ヴィーが振り下ろした刀を跳ね上げた。
強靭な握力を誇るボドワンの攻撃に、ヴィーの細い指は耐えられない。彼女の意思とは無関係に、刀が手の内から離れて、墓地の片隅へと落ちていく。
「どうですか! これでも……」
ボドワンの勝ち誇った言葉は、最後まで続かなかった。
刀を失った瞬間からさらに前へと踏み込んでいたヴィーの足が、思い切り彼の股間を蹴り上げていたからだ。
「うぐっ……!?」
たまらず膝を突いたボドワンの目に、ヴィーの細い手が鞭のように叩きつけられ、一時的に視力を奪う。
さらには第二関節を楔のようして固めた拳が、やわらかな喉へと突き刺さる。
「げえっ!」
カエルのような声を上げたボドワンがそれでも剣を振り回す。
だが、ヴィーに刃が届くことは無い。
横薙ぎの斬撃に対して、ヴィーの肘が迎え撃つ。
ボドワンは自ら彼女の肘へと自分の手首を叩きつける格好となり、握力を奪われ、剣をあらぬ方向へと飛ばしてしまった。
「あうぅ……」
情けない声を出して崩れ落ちたボドワンへと視線を向けたまま、ヴィーはゆっくりと後退し、先ほど弾き飛ばされた刀を拾いあげた。
その動きに、一切の油断は無い。
「……お前の負けばい、ボドワン。ばってん、お前は充分強か。このまま町ば守る人間になってでん良かし、王国の兵になっても良かかも知れん」
自分の人生を選ぶ時間は、まだ充分にある。
ヴィーがそう言うと、ぼんやりと視力が回復し始めたボドワンは、不敵に口角を上げた。
「う、ふ、ふふふ……やはりあなたはお優しい。僕が何を狙っているかご存知だというのに、それでも僕を生かそうとする」
ヴィーはさすがに不快に感じた。若者が無益な戦闘で命を散らすことを良しとしないというだけだが、この期に及んでまだ諦めていないのかと。
「町を守ることはお約束しますよ。でも、それは僕たちのやり方で、です」
「もう失敗しとっとこれ、何ば言いよっとか」
「失敗? いやいや、成功しています。……充分に時間は稼げました」
「ボドワン、貴様……!」
震える膝でゆっくりと立ち上がったボドワンは、領主館がある方向へと指を向けた。
「今頃、僕たちの仲間が屋敷を占拠しているはずです。どうやら年寄り連中が邪魔をしようとしていたようですが、力も人数も勢いも僕たちの仲間がはるかに上です」
「ボドワン! かんことばして、結果がどがんなっとこっちゃいわかっとっとか!」
「わかっていますよ。あなたは無事で、代官以下、この地を我が物顔で踏みにじる連中が痛い目を見る」
最早話している時間は無いと考えたヴィーが蝋燭を掴み取ってすぐさま屋敷へと向かって走り出した。
振り返ることも、声をかけることもされなかったボドワンは、尻もちを搗いて座り込むと、がっくりと肩を落として俯いた。
「勝てると、思ったんだけれどな……」
ふと、腰に提げていたナイフを抜く。
ギラリと光る刀身は綺麗に磨き上げられており、研いだ人物の丁寧さを表しているようだった。これを持つ者への愛情が込められていると表現しても良い。
「パメラ……ごめんな……」
腹にナイフの切っ先を当ててみたが、複の上から皮膚を押す以上に力を入れることはできず、代わりに膝を抱えて顔を埋める。
「う、うう……」
リーダーとして慕ってくれる仲間や、傍で支えてくれる女性を思うと、ヴィーに教わった責任を取る行動すらできない。
そんな自分が情けなくて、ボドワンは自分の器の小ささを身体で表すかのように小さく小さく縮こまって、声を上げて泣き続けた。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




