来世のプロポーズ
俺は今、生死の境を彷徨っている。
まだ50にもなっていないというのに、最愛の妻を一昨年亡くしてから、自暴自棄の生活を続けた挙句に糖尿病を患い、病院にも行かずに放置していた結果、こんなに早く死期を迎える羽目になってしまったのだ。
だが、まあ、それならそれで良かった。
体のどこかが悪い事は、さすがの俺でも感じてはいたが、敢えて検査もしなかったのは、この世に未練らしいものがなかったからだ。
妻のあさ美が先に逝ってから、俺にはこの世に思い残す事など事が痛いほど分かった。
それほどに俺は彼女を愛していたのだ。
惜しむらくは、あさ美が生きている間に気が付かなかったということなのだが。
さっきから視界がモヤが掛かったように白くぼやけている。
息ができなくて苦しかったのが、もう何も感じない。
まるで宙を浮いているかのようだ。
そろそろお迎えがきたようだ。
これで、俺もあさ美のところに行ける。
あいつの作ったカレーライス、最高だったな。
俺はもう一度、彼女と天国で楽しく暮らすんだ。
きっとあいつも俺が来るのを待っててくれてる。
来世も一緒だよって、結婚する時に俺達は誓ったのだから……。
「お父さん!しっかりして!」
高校生になった娘達が俺の手を握る。
いいお父さんじゃなかったけど、お前たちが困らないように、大学まで行くのには十分な保険も掛けてある。
先に逝ってお母さんともう一度一緒になってるからな。
お前たちはこっちで頑張るんだぞ。
俺は最期に出来る限りの微笑みをみせ、そしてゆっくり目を閉じた。
◇◇◇
「・・・さあん、おとうさ・・・ん」
俺を呼ぶ声で目を覚ました。
周りは霧に包まれたように真っ白な世界で、前後左右の方向も分からない。
完全なる異次元の世界に、俺は一人ポツンと立っていた。
「ここは所謂、死後の世界なのか……? だったら、あさ美は迎えに来てくれるんだろうか」
俺は勝手な事を考えながら、少し歩いてみた。
重力を感じないほど、歩くのは楽だった。
その時、どこまでも続く白い世界の先に人影が見えた。
誰かが俺を迎えに来てくれたに違いない。
俺は足取りを早めて、その影に向かって行った。
ようやく影が明瞭な姿になってきた時、俺はハッと息を呑んで立ち竦んだ。
そこには2年前に事故で亡くなったあさ美が、あの頃と変わらぬ姿で立っていたのだ。
「あ、あさ美、やっぱり迎えに来てくれたんだな。俺もどうやらこれで寿命らしい。また一緒にこっちで暮らそうな」
感極まった俺は思わず、彼女に駆け寄り抱きつこうとした。
が、彼女は微笑みを浮かべたまま、スルリと体をかわし、一歩後ずさる。
「あ、あさ美?」
再会を喜ぶどころか、まさかの拒否反応に俺は唖然として彼女を見た。
あさ美は同情の混じった微妙な微笑みを浮かべて、俺を見下ろしていた。
「あらあら、あなたもこっちに来てしまったのね……、ご愁傷様。だけど、こっちの世界はこっちの世界よ。あなたもこれから自分の人生を生きなくちゃね」
「な、何言ってんだ? これからの人生って、俺、今死んだとこなんだけど?」
「だから、これから浮遊霊になるとか、地縛霊になるとか、輪廻転生の修行に出るとか、守護霊になって働くとか、死後の世界には色々オプションがあるから、あなたに合った人生を選択するといいわ」
「オプショナルツアーかよ!? 大体、今死んだばっかりなのにこれから生きろって、安らかに眠る暇もないのか?」
「なーに甘い事言ってるの。人生はこれからがスタートなのよ。今まであなたが生きていた世界もオプションの一つに過ぎないわ。あなたが生きてきた経験を、今こそこの世界で生かさなきゃ! あなた営業職だったでしょ?」
「あ、ああ・・・」
「今、営業職の求人多いからラッキーよ。死神と死期の交渉する業務に増員掛かるんだって。特に希望がないなら履歴書出してエントリーだけでもしといたら?グズグズしてると若い子に先越されるわよ」
「なんでここまで来て就職活動しなきゃなんないんだよ!大体、管理職の俺が今更リクルーターになれるか!」
「も~、これだから男はダメなのよね。畑が違う業種に行くなら皆ルーキーよ。面接ではそんなプライドは何の役にも立たないわよ?」
なんなんだ、この世間の垢にまみれたような世知辛い会話は!?
俺は死の世界を完全に誤解していた。
死んだら、もっと穏やかで、静かで、安らげる場所で永遠に眠るんだとばかり思っていた。
だが、今のあさ美の話を聞く限り、ここでも常世を超える勢いの競争社会が存在しているんじゃないか。
死んだばっかりだってのに、これからまた働く羽目になるのか。
いや、下手をするとこっちの世界の方がリアルで、生きてる時の方が夢だったのかもしれない。
死神と交渉って、まさか接待ゴルフとかあるんじゃないだろうな。
それより、営業と言っても管理職だった俺は、今更飛び込み新規開拓とか、ノルマ達成度による査定があったとしたら年齢的にも自信がないんだが……。
妄想で頭が一杯になった俺が黙っていると、あさ美は苛ついた口調で責め立ててきた。
「もう!この期に及んで、何グズグズしてるのよ。何事も経験よ。とにかく動かなきゃ始まらないわ。やってみて無理だったら、また他の業種にエントリーすればいいじゃないの」
「俺は……、俺の望みは、ここでお前ともう一度一緒に暮らす事だったんだ!」
俺の言葉にあさ美は「は!?」と目を見開いた。
「俺達、結婚する時に約束したじゃないか。来世でも一緒になろうって……。俺は死んだら、お前ともう一度夫婦になろうと決めてたんだ」
さすがは死後の世界。
生前は恥ずかしくて一度も口に出したこともないような台詞が、スラスラと口から出て来て、我ながらビックリした。
やっぱり、死んでるという非現実感が人間を大胆にさせるのか。
彼女は驚いた顔で俺を凝視している。
無理もない。
亭主関白だった俺がそんな言葉を言ったのは、これが最初で最後だろう。
「あさ美、もう一度プロポーズするよ。俺とここでも夫婦になってくれ」
「あー、無理無理!悪いけど、一回で十分だから!」
あさ美はテンパってバタバタと両手を振った。
俺は彼女のリアクションが把握できずに、ポカンとして彼女の顔を見詰めるしかなかった。
「む、無理?」
「現世でもう一回結婚してるじゃん!こんなとこまで来てまた結婚とか有り得ないし!悪いけど、も~いいでしょって感じ」
「はあああ!?」
「しかも、死んでからもまた同じ男と結婚って、意味分かんない。私、同じ過ち繰り返すつもりはないから」
「あ、過ちって何だよ!?」
「結婚したのがそもそも人生の大失敗じゃない。悪いけど、もう無理だわ」
「俺と一緒になったのを後悔してるのか?」
「俺、というより、結婚自体をね。現世ではまあ仕方ないとして、死んでまで何で結婚しなくちゃなんないのよ? 私、こっちじゃ役職についてるんだから。今、上司が変わって昇進するかどうかの瀬戸際なのよ。今更、結婚して主婦なんかやってられないわよ」
俺は唖然とした。
いや、おおいに落胆してしまった。
俺の望みは最愛の妻とささやかに添い遂げる事だったのに、この女は死んでるくせして信じがたいバイタリティーを持って今や企業戦士と化している。
天国に於ける昇進が何を意味するのかは敢えて突っ込まなかったが、生前以上に生き生き、というよりギラギラしたあさ美を見て、この世界で戦う事に生き甲斐を持っている事はよく分かった。
そして、そこに俺が入る隙間など、どこにも無いことも……。
「あさ美、俺、お前を愛してたよ」
「うん、私もよ。でも、ごめんなさい。あなたと2回も結婚するのは無理です!」
「無理無理言うな!ああ、もう分かったよ!お前こそ後で後悔すんなよ!こっちで結婚したくなって婚活したって、俺はもう相手にしてやらないからな!」
「その時にはもう少し若い男の子を探します。あなたも就職活動頑張ってね。中間管理職程度のくせに変なプライド持つのはやめた方がいいわよ」
「うるさい!その中間管理職に食わせてもらってたのは誰だ!?」
「あ、とうとう出たわね、本音が。俺が食わせてやってるんだって、女を家畜くらいにしか思ってないんでしょ?そんな男と2回も結婚するなんて絶対無理です!」
「な、なんだと!?」
「だから無理です!ぜえー・・・たいっ無理!!!!」
◇◇
「うるせええ!!!!無理無理言うな!!!!」
怒りに我を忘れた俺は、シーツを握りしめ、ベッドから飛び起きた。
口に嵌められていた酸素マスクやチューブがバラバラと外れて床に落下する。
と、同時に。
「きゃあああああああああ!!!!!」
複数の女の金切り声が狭い病室に響き渡った。
ハっとしてベッドの上から見下ろすと、顔面蒼白になった看護婦や高校生の娘達が抱き合って俺を見上げている。
死んだ筈の俺は、どうやら帰ってきてしまったらしい。
いや、寧ろ、追い出されたと言うべきか。
あさ美は死んだ俺のケツを蹴り飛ばして追い払う程に、俺と一緒にいたくなかったのか。
あんなに愛していたのに!
俺は悔しさで涙が出て来た。
「くっそおお!こうなったら生きてやる!誰がお前なんかと一緒に死ぬか!こっちから願い下げだってんだよ、ばかやろう!中間管理職で悪かったな!お前が死んだことを後悔するくらいに今から出世してやるから見てろ!」
ベッドで立ち上がって叫んでいる俺の脚に娘や医者が必死で縋り付いた。
「お父さん!どうしたの!?しっかりして!」
「蘇って何よりですが、錯乱状態です。麻酔を!」
「娘さんたち、お父さんを抑えこんで下さい!」
「ハイ!!!」
その時、俺はあらためて生きる決意を固めたのだ。
今度、俺が死んだ時には、あさ美の方からもう一回結婚したいって言わせてやる。
それはこれからの俺の生き方次第だ。
あさ美はその時、今日俺を叩き出した事を死ぬほど後悔するだろう。
その時にはもう遅い。
色目を使ってきたって足蹴にしてやる。
だが、お前が頭を下げて「やっぱり何度死んでもあなたがいいわ」なんて言ってきた暁には、前向きに検討してやらんこともない。
同じ過ちだと言われようが、俺はやっぱり来世でもあさ美と結婚したいのだから。
END.




