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33話目 犬爪純礼は嫌になる 下

 翌日の来客を迎える一般公開となる当日祭。


 私は軽食を提供するウェイトレスという面倒な仕事をこなしていた。



「ねね、昨日みたいな感じにしないの?」


 彩が私に訊ねた。言ってることは多分、ミスコンの時みたいなオシャレはしないのかって事ね。


 今の私は通常営業状態で、いつもの前髪をかき上げたスタイルで、アイロンをしていないセミロングは軽くパーマをあたてみたいに畝っている。化粧もいつも通り薄め。



「本番前になったらするけど、それまでは嫌よ」


「えー勿体ないよぉ、せっかく可愛いのにぃ」


「普段は可愛くないって事ね」


 そう言うと、彩は慌てた様子で弁解をして、その様子を眺めながら私は楽しむ。


 今の私は、こうやって軽口を叩けるくらいには気持ちが楽になっていた。



 午後の時間に仕事が終わり、友達とスケジュールが噛み合わないため、生徒の詰め所となっている科学室で一旦時間を潰すことにした。


 ドアを開けようとすると、先に内側からドアを開けた生徒と鉢合わせてしまった。その人物は酉水すがいだった。久しぶりにこうして向かい合うのがなんだか懐かしく思えたし、気まずくもある。



 緊張の面持ちで酉水すがいが左右に視線を流し、そして口を開いた。

 


「あのさ、妃紗ひさ───」


「とりあえず文化祭が終わってからにして」



 そう言って、酉水すがいの脇をすり抜けた。


 とりあえずミスコンが終わるまでは放っておいて欲しい。


 それから全てを受け入れたい。



 酉水すがいはまた何かを言おうとする雰囲気を滲ませていたけど、結局は詰め所から出ていった。周囲を見渡すと、そこに犬爪さんの姿が目に入った。



 あぁ、なるほどね。


 今まで2人でそこで話をしていたわけ。


 流石に一緒の空間だと息が詰まっちゃうから、私は踵を返して詰め所から出た。


 どこかで時間を潰そうかしらと考えていると、背後から私を呼ぶ大きな声が飛んできた。



妃紗ひさちゃん!」


 空間に傷が入りそうなほどの逼迫した声は犬爪さんだった。


 すぐに違和感の正体に気づいた。私に対しての呼び方が変わっている。「庚申こうしんさん」じゃなく、確かに「妃紗ちゃん」って呼んだ。



 そのまま犬爪さんは私のところまで駆け寄ってきたと思ったら、手前でつまずいてあわや転びかけた。


 反射的に倒れそうな犬爪さんを受け止めると、半分抱き合うような姿勢になった。



「違うの、違うの妃紗ひさちゃん」


 私の胸元で、犬爪さんの薄紫色をした瞳が、啓蟄の雪解けのように緩々と溶けて潤い始める。


 一体なにがどうなっているわけ?


 三日前に私と会話をした犬爪さんと、私の前で今にも泣き出しそうな彼女は全くの別人だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 文化祭でも私が所属しているラジオ部には校内放送という仕事がある。


 ステージでの演劇や演奏などがあれば開始前に放送で案内をしたり、校内の敷地で迷惑駐車があれば車の移動を促したりと、割と重要で忙しい役目。




 私は交代で回ってきた昼休憩を詰め所でとっていた。


 放送室内では飲食が禁止されているため、1人でコンビニで買ったサンドイッチを食べている時にボル君がドアから顔を覗かせた。




 私と目が合うと、ボル君が近づいてきて「妃紗ひさ見なかった?」と訊いてきたけど、放送室に籠もっていたので「見てないよ」と首を横に振る。




「まだちゃんと話してないの?」



 私がそう訊ねると、焦った様子で「・・・ヤバいな」とだけ呟いて、すぐに詰め所から出て行こうとドアに手にかけて開いたけど、そこで動きが固まった。



 

 立ち往生しているボル君が気になり、どうしたんだろうと窺ってみると、廊下側に妃紗ひさちゃんが立っていた。


 ボル君の言葉を遮って、妃紗ひさちゃんが詰め所の中に入り、ボル君は何かを言いたげにしながらもその場を後にした。





 お腹の中に大量の水を直接入れられたかのような息苦しさを覚え、私に気づいて妃紗ひさちゃんまで詰め所から出て行こうとした時、私はもう我慢の限界に達していた。



 食べかけのサンドイッチをテーブルに置いて、妃紗ひさちゃんの後を追う。これ以上、2人のすれ違いを見ているのは私が嫌なの。




 脇目も振らず名前を叫んでいた。


 廊下を歩いていた人達が何事かと見ていたけど、構わずに妃紗ひさちゃんの元に駆け寄る。


 行動と勇気が不一致していて、緊張で浅瀬を走っているように足元が覚束おぼつかない。案の定妃紗(ひさ)ちゃんの前で足がもつれて転びそうになるけど、そんな私を妃紗ひさちゃんが身体を受け止めてくれた。




「違うの、違うの妃紗ちゃん」



 力の入らない身体を預けたまま言葉を紡いだ途端に、鼻の奥がじんわりと痛んで視界が徐々に滲んでいった。




「い、犬爪さん!?え、え、ちょっと、は?」



 困惑する妃紗ひさちゃんを置いてきぼりして、堰き止めることができなかった後悔の涙が瞳から溢れ出してきた。




 妃紗ひさちゃんの駆動は早かった。「こっち来て!」と手を引っ張られてて、無人の家庭科準備室へと連れられた。


 一方の私はまだ回復できずに、嗚咽が止まらないでいた。妃紗ひさちゃんは私が泣き止むまで、困った表情を作りながらもちゃんと待ってくれた。



 その優しさで、また嗚咽が止まらない。




 長い時間泣いていたと思う。「使って」と差し出されたハンカチを宝物みたいに私は受け取った。


 目元を拭い、大きな深呼吸をした。不規則な呼吸で肺へ空気を満たしながら、私は妃紗ひさちゃんの両手を握り正面を見据えた。



「・・・違うの。あのね、私の話を聞いて」


 懇願するように、私は呟いた。

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