25話目 3年ぶりの会話
なんだか思い描いていたのと違う。
自転車を漕いでいる私は、目の前を走る2人の様子を窺いながら首を捻っていた。
昨日は・・・あの事はあまり思い出したくないけど、私の用事での不在を利用し、2人きりにさせて先輩の箔でもつけさせようかな、なんて考えていたけど。
「先輩、マジで、ペース、ハンパないっす」
普段はあまり喋らない亮が、酉水に話しかけるようになってる。
亮は酉水の小父さんとはまた違った無口のタイプで、話したい人とそうじゃない人を選別している節があり、初対面の場合は水中を思わせる息苦しさを感じるかもしれない。
そんな亮が、酉水に自分から話しかけているので私は正直驚いたし、良い結果に満足もしたけど、問題なのはアイツの方。
「先輩も、すぐに、慣れますって」
文字でだけでは伝わり難いけど、今のは酉水が亮に向けて喋りかけた台詞。
なんでアンタが後輩の亮に「先輩」って呼んでしかも敬語になってるのよ。
ただでさえ一人称視点がちょくちょく変わるのに、余計に描写がややこしいからやめてくれないかしら。
いつもの休憩ポイントの公園で、熱中症対策のために大量に作っておいたスポーツ飲料を自転車の籠から取り出し2人に渡す。
粉を水に溶かして作るだけだけど、その工程ででさえ酉水が行うとゲル状の何かが出来上がる気がして、仕方なく私が作ることにしている。
永遠に飲み続けるんじゃないかしら、という勢いで両者が飲料を身体に補給し、先に飲み終えた亮が口を開いた。
「でも、俺もやっぱピッチャーなんで相当走り込んでんすけど、先輩はなんでそんなスタミナあるんすか?」
「んー、確証はないけど、昔は結構泳いでたからかも。昔は走るとすぐ膝痛めちゃうんで、妃紗に市民プールで馬鹿みたいに泳がされて」
「あぁ、体力トレーニングっすか。マジ参考になります」
「いえいえそんな、先輩のお役に立てられたなら光栄です」
まぁ・・・ややこしいけど、お互いにリスペクトしているようだしこれはこれでいいのかも。
しかし、まさか亮が酉水のファンだったとは思わなかった。あの子、今までそんな事一言も言わなかったじゃない。
なんだか感慨深いわね。昔からの知り合いの亮と、不思議な縁で知り合いになった酉水がこうして肩を並べて話している光景は。
相性も良さそうだし、亮の進路希望は私と同じ高校だし、出会うべくして出会ったというべきかしら。
「そういえば、先輩はもうシニアは引退しているけど、野球の練習はどうしてるの?」
「・・・そっすね、基本自主トレっすけど、たまに以前のチームの練習に参加させてもらう予定っす」
「おお、練習熱心で凄いね。先輩は凄いや」
「先輩に比べれば、んな事ないっすよ」
劇的に仲良くなるのは結構だけど、やっぱりややこしいなぁ・・・。
あと、気のせいだといいけど、酉水が亮に対する態度がたまに乙女っぽい。「今度・・・うちに来る?」みたいな台詞を上目遣いで洩らすから、ちょっと「おや?」って思う。
クラスの友達にそういった趣味・・・腐女子もいるけど、正直に告白すると私も割と「アリ」側なのよね。
なので、いいぞもっとやれ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
日曜の早朝。
夏休み中は妃紗も家に来ないし両親が共に仕事で不在なので、愛しのあーちゃんのためにできるだけ家を空けないように早朝にランニングを行うようにしている。
日は昇り始めたばかりなのに、東京の夏の朝は既に蒸し暑い。
やっぱりアスファルトやビルが熱を吸収しているヒートアイランド現象が原因なんだろうか。
最近は猪方先輩もトレーニングに参加し、マンネリ気味だった毎日に新たな風が吹いている。
やっぱり誰かと一緒に走るだけでも意識というか、モチベーションは大きく変わる。
その影響か、いつもの河川敷のコースではなくて違うコースでも走ってみようかと思い至った。
家を出ていつもと逆方向に舵を切りながら、アキレス腱を伸ばしたりストレッチをしながら歩いている時だった。
学校の制服を着た純礼と、曲がり角でばったり出くわした。
別にあちらは遅刻を危惧していなかったし口にパンも咥えていない。普通に、「あっ」ってな感じで唐突に向かい合う何も面白みのない展開。
純礼は僕を見て狼狽していた。空に魚でも泳いでいるのか、上下左右と視線が定まっていない。
そんな凶悪犯と遭遇したわけでもあるまいし、と思ったけど、純礼の性格も知っているので、あまり気に留めることもない。
しかし、このまま何も話さずにいるのもそれはそれで不自然なので、他愛もない世間話でもすることにした。
「おっす、おはよう」
「・・・えっ!?あ、うん、その・・・おはよぅ」
もう幼馴染の事は吹っ切れているので、自分で思っている以上に平気みたいだ。
むしろ純礼が動揺してどうするんだ、と軽くツッコみを入れたくなる。
「これから学校?」
「・・・うん、ぶ、部活で」
「あぁ、ラジオ部だっけ?」
そう訊ねると、純礼は口を一文字に引き締めて何度も頷いた。
夏でも暑苦しさを感じさせない清涼感のある青黒髪がふぁさふぁさと暴れる。
純礼の情報は一般公開レベルで耳に入ってくるので、ラジオ部に所属しているくらいは知っている。
うちの学校は早朝と昼休みにちょっとした放送が流れる。
先生のちょっとした紹介だとか、学校近くの美味しいスイーツ店やラーメン屋の紹介など日によって内容は異なる。
放送は委員会が行うでのはなく、ラジオ部が担当しているようで、その活動で純礼は朝早く登校し、放課後は部活動に勤しんでいるらしかった。
「あれ、夏休みは学校でラジオなんてしないじゃん」
「いや、えっと・・・」道路を歩いている蟻でも観察しているんだろうか、純礼は暫く俯いてから顔を上げた。「ラジオの公開収録を、皆で見ようって・・・それで」
「あぁ、なるほど、校外活動ってやつね」
また、純礼は口を一文字に引き締めて何度も頷く。
コイツさては赤べこの真似でもしているんだろうか。
「そう、それじゃ頑張ってな」
身体が酷使を望んで疼いているので、あっちも予定があるみたいだし会話はこの辺にして、片手を上げて走り出す。
すると、背後から「ボル君!」と随分懐かしい呼び方が聞こえて、首だけを巡らせて純礼を見る。
「なに?」
呼び止めたものの、純礼は言葉が纏まっていなかったようで、「あ、えっと、そのー」と、間を繋げるための鎖としての言葉を紡いだ。
やがて意を決したように僕に視線をぶつけ、「ランニング、頑張ってね」とエールの言葉を投げかけてきた。
「・・・あ、うん、ありがとう。それじゃあ」
今度こそ僕は駆け出した。
今度は小さな声がした気がするけど、「いい加減走ろうよぉ」と肉体が語りかけてくるので、素直にそれに応じた。
しかし、3年ぶりの純礼の会話は随分と呆気ないものだったな。
もっと気まずい空気になるか、無視されると思ったけど杞憂だった。
それにしても、内気なのはもともとだけどあんなにおどおどしてキョドる感じだったっけ?
アスファルトを跳ねながら、久々に会話をした幼馴染にそんな感想を抱いた。
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