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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
一節【陰王の娘】

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99/226

1 魔の海(1/6新規追加)

後半部分が描き下ろしです。

 ◇



「これならいけます。これが一番整備がいい」

 飛行場まで引っ張り出した船の試運転まで済ませ、ヒースが太鼓判を押したのは、補給用の、やや胴長なかたちをした中型飛鯨船だった。


 飛鯨船は大きく『小型』『中型』『大型』の三つに分類されている。

 小型船は、そもそも一機での『雲海』飛行に足るように作られておらず、定員四名までのものを指すため、ヒースは最初から候補に入れなかった。

 定員十名以上の規定がある大型船も、軍用となると母艦の意味が強くなる。

 大型船の中でも小さいもの、定員四名以上十人以下という規定のある中型飛鯨船をメインに、ヒースは船を吟味したのだった。

 船を選ぶのに一日かけて夜。ヒースは出発予定日を告知した。


(いつも通りだな)

 サリヴァンはそっと胸を撫でおろす。


「念のため整備と()()()に一日ください。出発は二日後とします」

「さて、ようやく役に立てるな」

 おおらかに笑うグウィンは、従軍経験があるために中型飛鯨船の船長までの免許を持っている。

 整備に駆り出されて一番働いているのが、この国の皇帝と隣国の王の娘なのだから、おかしな状況であった。


「船長資格があるということは、かなりの数操縦席に座ったのでは? 」

「といってもね、じっさいに船長として働いたのは、ほんの数回なのさ」


 レンチを握るようすも手慣れているグウィンは、大きな肩をまわしながら苦笑した。

「私は皇子だからねえ。飛鯨船の免許を取得すれば、テロやクーデター、内戦……国内外で何かあっても、国際法で保護されることになる。立場の弱い下層の、さらに最果ての国の皇子だから、なるべく身を護る鎧を身につけなければならなかった。だから私は運転よりも整備のほうに自信があるのだよ」

「それはむしろ、とても心強いです。『準備を怠ったものから死ぬ』というのが師の口癖でした。わたしは何事も、気合いでエイッとやりがちで……よく叱られたものです。準備が得意なひとがいると助かります」


 空はいつしか、厚い雲の帽子をすっかり元通りにかぶっていた。

『黄昏の国』の異名どおりの姿をまとったフェルヴィンは、昼夜問わず明かりが必要となる。滑走路にも篝火を焚き、等間隔に並んだその間を、弾丸のような形をした胴長の鯨が、滑らかに回る車輪と、両側に突き出した翼にあるプロペラで空に運んでいく。

 最下層と19海層の『雲海』を抜けるまでは、グウィンが操縦席に座ることになった。

 19海層は、『魔の海』といわれる難所である。そこからはぶっ続けで、ヒースの航海士としての腕が必要となる。


 ケヴィンが隣に座るヒューゴに言った。

「そういえばこの二日、『審判』は姿を見せなかったな」

「どうせ19海層のどっかで、ピョーンと顔出すんだろ。『魔の海』でどう出てくンのかわかんねーけど」



 雲の中は、詰め込まれた雨粒で窓がしっとり濡れた。エンジンよりもガスによる浮上に切り替えた船体は、やがてゆっくりと白い海の上に顔を出す。

 中天に太陽があった。

 空は三層に別れている。白い雲海の水平線の上に濃い蒼天の帯があり、水色の光の線を挟んで、淡い薄紫から、星空が浮かぶ群青の天体へと続く。

 明るい星々が、大きく浮かんでいた。

 星とは、『時空蛇』が『混沌』より引き出した『時間』たちなのだという。あの星々が空に張り付いたことで、この空は回り出し、朝と夜、冬や夏が生まれるようになったのだと―――――。


 空と海とのあわい。

 祈るように沈黙し、誰もがその光景に見入った。エンジンの駆動音ばかりが鼓膜を叩く。

 浮上していく船体が群青の空へ近づくと、やがて『穴』があらわれる。

 空に浮かんだぽっかりと黒い『穴』だ。

 群青の空が暗黒に吸い込まれていく。漏斗ろうと状に穿たれたように見えるその『穴』を、人は『海層突破点』と呼ぶ。

 闇を凝縮したそこを目指して飛鯨船は浮上していく。速度が上がり、人間たちの腹の底が浮遊感を感じた。


「カウントを始めます。第19海層到達まで――――10、9、8……」

 ヒースがアナウンスする。


「―――――3、2……1! 」


 ――――ゴゴゴゴゴ……。

 最初の兆候は、地響きに似た振動だった。

 ぐらりと船が左に傾く。

 すかさず舵を切ったヒースによって船はすぐに水平に戻るも、座席越しに釘を打つような小刻みな揺れが内臓を揺らしている。

 窓の外には、塗りこめた漆黒が粘的に蠢いていた。


 かつて多くの飛鯨船乗りを呑み込んだ、暗黒の大海原があった。

 最下層へと続く最後にして最大の難関。

 ―――そこは第19海層『魔の海』。


 『海』とは名ばかり。どちらかというと『奈落』のほうが近い。

 そこは上下の境がなく、雨が空へ向かって降り、風がいかづちを投げ合って退路を塞ぎ、城ほどの雹が道行きを襲い、光のことごとくは届かない。


 神話を紐解けば『嵐の主人の指先がその地を呪った』とあり、そこではまだ、神々の戦乱の残り火がくすぶっているのだという。


 多くの船乗りが果敢にも挑戦し、そして敗れた。


 かの空の民、ケツルの一族ですらそれは例外ではなく、彼らをしてこの魔の海に踏み入ることを拒ませた。

 ケツルの巡礼の旅路において『魔の海』は、死に逝くものだけが訪れることを推奨される。

 彼らが信仰する天空の神々の力で満たされたこの海層は、ケツルにとっての()()に等しく、しかし『その場所に最も近い場所』として、()()にも等しい。

 神性なる死。穢れなく生まれた命にこびりついた罪をそそぐため、殉教者だけが、この海に身を投げた。


 飛鯨船の誕生により、空と海を駆けることを許された人類の、最難関もまた、この『魔の海』であったのは言うまでもない。

 技術の進歩により、船が沈むことは減った。

 ――――それでも。


(ここは神話の海……魔の海は、船乗りを試す――――! )

 ヒース・クロックフォードは奥歯を噛み締める。



 ジジが顔を上げた。サリヴァンが窓にかじりつく。

 漆黒の上を、青い光の帯が撫でた。―――――瞬間。


 ヒースは舵を切る。警告の言葉もままならないまま、頭を下にして旋回する。座席にしがみついて耐える一行をもみくちゃにするような衝撃が、機体の横腹を襲っている。

 雨粒は下から上へ流れている。

 闇の中に、青いひっかき傷のような光が現れては消えていく。


「――――亡者に襲われてる! 」

 状況を説明できたのはジジだけだった。ヒースもまた、操縦桿を手放さないでいることで精いっぱいだった。

 煙のように動いた魔人ジジは、操縦席ににじり寄り、体から伸ばした黒い靄でヒースを座席に固定する。

「――――助かる! 」

「人間は無茶するんじゃないよ。生き残るほうに集中して! 」

「アイアイ! 」

「左に傾くよ! からだ固定! 」

 ヒースのかわりに、ジジが後部座席に向かって叫んだ。


「ジーン・アトラス……! 」

 グウィンが窓の外を見て悔しげにうめく。

 青い帯を引き、暗闇を蹴って飛ぶ馬体。それに騎乗しているのは、かのジーン帝に他ならない。

 蹄が船体を小突き回すたび、船はいまにも穴が開きそうな悲鳴を上げる。

 装甲の厚い軍船でなければ、とっくに海のもくずであっただろう。


(ああ、くそ……! もってくれよ! )

 舵を切る。「右旋回! 」

 乗員たちの押し殺した悲鳴。


 一週間前の踏破は幸運であった。

 二回目、ここに戻ってくるときのそれもまた幸運に頼ったのだと思う。

 借りた船は、師匠の船だった。敬虔なケツルの民である師の祈りが、ヒースを目的地へと導いたのだ。


 三度目も祈るのか?

(断じて否だ)

 一度目の航海は愛する相棒で。二度目をともにした師の船は置いてきた。


 縁もゆかりもない初対面の軍船で飛ぶ三度目。

 人類救済の『選ばれしもの』を乗せて飛ぶ三度目……。


 瞬きの間ですらも惜しい。ひしひしと迫る不安と恐怖、そして――――高揚。

 ぞくぞくと背筋が震えている。甘い味のする、危険な感覚。


 ――――やってやる。


「笑ってるの? 」

 ジジが大きな目をぱちぱちさせる姿が見えるようだった。無意識に口に出ていたらしい。

 細く息を吐く。心が穏やかに凪いでいく。

 機器の位置は、ボタンひとつとして見ないでわかるよう位置を把握している。


「ヒース、きみ、目の色―――――」


 ()()()()()()()()()


 10mを越える機体が、ヒースの肉体と一体化したかのようだった。

 計器では見えない亡者の姿がどこにあるのか、手に取るように分かる。その感覚を説明するのは難しい。


 ぬるい水の中を掻くような。

 指先が触手のように伸びて、操縦桿を握っているような。

 視覚というよりも、触覚でそれを成しているかのような。


 脳が熱くなっているのがわかる。

 馬体を引き剥がした、と確信できた。

 世界は一面の蠢く闇。青い亡者は遥か後方へと流れ、もう追い付くことは叶わない。

 ヒースの()()は、次の海層へと続く穴、『海層突破点』を探していた。


 もうすぐ。

 ……もうすぐのはず。


「……どうして? 」

「ヒース? 」

 音が戻ってきた。

 吹きすさぶ風の音。振動。こちらを見て言うサリヴァンの声。ばくばくと動く心臓の音。

 操縦席にだけある時計では、短針が真逆を向いていた。

 不安定な機内で、座席伝いに操縦席までやってきたのであろうサリヴァンが、「大丈夫か」と繰り返す。


「どうしようサリー」呑み込んだ唾は、塩辛い味がした。


「―――――海層突破点が見えないんだ」


明けましておめでとうございます。

1月17日より、『ノベルアップ+』さまより、装い(挿絵)も新たに(新規で描き下ろして)掲載を始めますので、よろしければ絵だけでも見に来てくださいませ。


あとイラスト有償依頼始めました。(つまりイラストレーターになりました)

『SUKIMA』ってサイトで活動しています。TwitterのDMでも受付中。(ここまでCM)


さて、今年はいろいろと飛躍の年にしたいなぁと思います。

とりあえず一番高い目標は、この物語を本にすることです。

高望みはしませんが、これは絶対に叶えたい読者さんとの夢でもあります。

どうやら今年の私は大吉のようですので、良い出会いがあることを願っております。


長くなりましたが、本年も、『星よきいてくれ』を、よろしくお願いいたします。

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