8 七転八倒のブルース
今年最後の更新です……!!!よろしくお願いします!
離宮の蝶番は軋むことなく、ぱたんと閉じた。
冴え冴えとした青い朝陽は、温かに部屋に満ちている。
内側に残った人物を見つめながら、ヴェロニカの脇に立つ語り部ダイアナが微笑んだ。
「またお会いできる奇跡を、ずっとお待ちしておりました。陛下」
「もう『陛下』ではない」
「では昔のように。……ジーン様」
青い炎を纏った半透明の体が、滑るように歩を進め、ヴェロニカにうながされて席に着く。
「……ああ。それでいい。お前の陛下は、もう俺じゃないからな」
「いいえ! わたくしの陛下といえばジーン様ですわ。今代の陛下は脇に置いて、です」
淀みなく、てきぱきと茶の用意をするダイアナの白い手をジーンが見下ろす。「それでいいのか? 」とたずねたのは、正面にいるヴェロニカだった。
「もちろんですわ。お目にかかり光栄です。ジーン陛下! アトラスの娘として、おおいにこの奇跡を歓迎いたします。語り部と主人の絆に割って入ることなどできません。それが先代のダイアナの主人であっても! 」
「……おいダイアナよ。このキラキラした姪と俺に、おまえから見てどう共通点があるというんだ? 」
「うふふ、秘密です。でもたくさんあってございますよ」
三つのカップをそろえ、ダイアナは体と声を弾ませながら自身も席に着いた。ジーンは大きなため息を吐いて、ダイアナを睥睨する。
「……俺は飲めんのだぞ」
「でも、この香り、お好きでしょう? 冷めるまでお楽しみください」
もはや甥の頭蓋骨を被っていないジーンは、晩年の顔で、つるつるとした娘たちが並んでこちらに微笑む姿を見上げた。
ダイアナは、もはや中年女とはいえまい。
艶やかな黒髪を左右に分けて肩に流し、尖った鼻に鼻眼鏡をかけ、すらりとした肉付きのいい体を語り部の黒衣に包む娘は、雰囲気が今生の主人によく似ていた。
語り部は、主人との相性によって姿を変える。
ジーンが彼女と旅をしていたころ、たしか彼女は、これよりもう少し落ち着いた年齢だった。
フェルヴィンでことがあるより前、つまりジーンが冥界から蘇るより前は、ヴェロニカといた彼女は老女の姿だった。
語り部の主人は一世代にひとり。
魂で結びついた主従は、主人の死後の伝記の書き上げを境に、契約を終える。
契約を終えた語り部は、銅板に戻って、次の主人の誕生を待つ。
同じ時代に、ひとりの語り部に二人の主人が並び立つことはない。
――――だからこの邂逅は奇跡だ。
「……ダイアナが無事でよかった」
「責任を感じないでください」
そう言ったのは、ダイアナではなく、その主人であるヴェロニカだった。
「弟のことも、その語り部のことも。……父上のことも。あなたに責任はありません」
ジーンは静かに、カップに落ちる影を見つめながら、静かに微笑んだ。
「……ダイアナ」
「はい。ジーン様」
「よく仕えろよ。最後まで、この素敵な主人と共に往け。……俺にそうしてくれたようにな」
「拝命いたしました。陛下」
「遠いあのころ。共に見ただろう、ダイアナ。我が祖国の星は、厚い雲の上だが、とても美しいものだったな。そこに並び立つ月もそうだ。……そうだったよな」
ダイアナはうっとりと、祈るように目を閉じた。
「ええ、もちろん。昨日のことのように――――――」
次に目を開いたときには、静かに湯気を立てる茶器と空の椅子が、あった。
「……ねえ、ヴェロニカ様」
「ええ、何かしら。ダイアナ」
「……割れた語り部は、冥府に行けますでしょうか」
「魂があるのなら、行けるのではないかしら」
「あのね、ヴェロニカ様。これはわたくし、伝記に書けなかったお話ですが」
ダイアナは、ヴェロニカの手をぎゅっと握った。
「……実はジーン様には、秘密の恋人がいたのです。その娘は、けして后にはできぬ娘でございました。わたくしではありません。名をルナといい、わたくしの姉妹です。あの子はコネリウス様のために割れてしまったけれど、そうさせたのは、きっと―――――」
「もう言わないで、ダイアナ。きっとそこには真実の愛があったのよ」
「……ミケも、ルナのように、アルヴィン様を愛したのでしょうか」
「……愛したのよ、きっと。だからああなったのかもしれないわね」
「ああミケ。罪深い子! すべて忘れてしまうなんて――――! 」
◇
「ありゃ昔のミケですよォ。稼働してすぐの、もとの性格ってやつですね」
口を尖らせたトゥルーズが、へろりとしてそう口にした。
徹夜明けとアルコールで濁った眼を語り部に向けながら、ヒューゴは苦い顔をする。
「……あんなだったのかぁ? 」
「あんなもんですよォ。最初の主人もできていない語り部なんてね。目覚めたばかりで驕ってるんです。ま、どんなに態度がでかくても、主人ができたら自然と敬うようになっていくもんなんでェ」
「そんなもんなのか」
「そんなもんです」
「お前もか? 」
「えへへ。昔のことなんで忘れました! 」
「忘れんなよォ~! 大事なことだろ思い出はぁ~よォ~! 」
主人の手がグラスをテーブルに叩きつけたことで、酒のしぶきを浴びながら、トゥルーズは「ああまた始まった」と肩をすくめた。
「いやあ失敗失敗。ミケってやつは、もとに戻りすぎましたね」
◇
『いやあ失敗失敗。ミケってやつは、もとに戻りすぎましたね』
語り部の感覚器官は、鋭く広範囲だった。
「ケッ! 性格の悪いやつ! 」
ミケは、風に吹かれるまま屋根の上で膝を曲げ、青い空と大地の際を見つめていた。
分からない。覚えていない。メモリーにはあるが、記憶に感情は記録されていない。
この腕に抱いたという赤子の肉の感覚も、そこあった感動も、想像はつくが、実感はともなわない。
魔人ミケはよみがえった。
しかし、語り部ミケは死んだのだ。
アルヴィン・アトラスは帰ってこなかったし、生存をかけた勝負に負けたのだから、この結果は仕方ないと思う。
誰よりもミケ自身がそう思っているのに、どうにも座りが悪いのは、誰もかれもがミケを通してアルヴィンを見ているからだろうか。
「そりゃあね、人間と魔人じゃあ、どっちが大事かなんて分かり切ってますもんねぇ~! どうせ出戻りの悪い魔人ですよぅ~」
「――――なに、こんなところでクダ巻いてんの? 」
「ゲェッ! 出たぁ! 」
ジジは顔をくしゃくしゃにしたミケを鼻で笑う。
ジジはミケよりいくらかミニサイズではあるものの、同じ顔と背格好をしている。声も、骨格の比率も、おそらくほぼ同じのはすだ。
同じ人間の骨を素材に使われた二体には、圧倒的な稼働年数の差がそびえていた。
ジジは語り部よりも少し緑がかった金の目をすがめ、余裕をもってミケを見下ろしている。
手も足も出なかったミケには、ジジに悪態をつくしかできることが無い。
「ヴァイオレットが探してたけど? 」
「イーッ! またアイツッ! しっつこいんですよ! 」
ミケは地団太を踏んだ。
「主人になってくれないんなら用済みです! 名前も聞きたくないっ! 」
「え~? いい提案だと思うけど? おまえ、ひとりも友達いないんだからさ」
「そんなものいりませーん! なんの役に立つってんですかぁ! 」
「ふっ」
「なんですか!その余裕ぶった馬鹿にした目はぁ~! 」
顔を真っ赤にするミケから目をそらし、ジジは屋根から足を離した。風を受けながら飛び上がったジジを見上げながら、ミケは青空のまぶしさに目を細める。
人間の感覚が残っている。
――――本来なら、視覚の調整など意識せずに切り替わるはずなのに!
「来たよ」
ジジが言った。
「はぁ? あっ、あの小娘ですか! 逃げます! 」
「違う違う。別の迎えだよ」
空に踏み出したミケの襟首を、ジジではない手がつかんだ。目の前でぷかぷか浮かぶジジは、いやらしい笑みでミケの醜態を眺めている。
「早かったじゃん」
「たわけっ! 寄り道にも程があるわい! ……ん? なんだお前、ずいぶん細切れになりおって」
「うわ、きもちわる! なんで分かるんだよ」
「わしとおぬし、だいたい同世代じゃぞ。この年でわからんほうが長生きの無駄じゃろうて。……で、こいつか? 」
ぎらぎらとした緑の虹彩が、ミケの顔を覗き込む。低い声とともに、炎のように熱い吐息を顔にかけられて、ミケはわずかに肩を縮めた。
「……これ、役にたつんか? 」
「死にやしないよ。てきとうに使えるでしょ。ていうか、年の瀬って忙しくて。こっちにいると邪魔だから連れてってほしいんだよね」
「ふーん。まあ乗れ」
枝のような腕が、ミケをポンと後ろ手に放る。
野太い声をした少女が腰を下ろしていたのは、『質量のある雲』としか形容できない代物で、ミケは小さな悲鳴をあげて、ほとんどむき出しの少女の背中にすがりついた。
高度がどんどん上がっていく。みるみる白い雲が目の前に迫り、ミケは叩きつけられる水に瞼をぎゅっと閉じた。
「な、な、な――――! 」
「大捕り物じゃ。ゆくぞ小僧。……いや小娘なのか? 」
「うぅうわわわわわああぁぁああ―――――! 」
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