8 毒蛇のロックンロール
◇
「追ってくると思っていた」
講堂の周囲はゆるやかな丘になっており、常葉樹のささやかな森があたりを囲んでいた。
月のない夜、緑も黒い影をまとう暗闇の中。
はたしてサレンダーは、サリヴァンをそこでまっていた。待ち構えていた、といってもいい。
「こうでもしないと、きみと話せないだろう? 」
サリヴァンは幹の影からゆっくりと姿をあらわすと、眼鏡越しに杖灯りに照らされる男を睨んだ。
「どういうつもりだ? 」
「会わせたい人がいてね」
灯りの前へと、もう一人の影が忍び歩いてやってくる。
夜の森の中の数歩を、おそるおそる歩を進めて姿をあらわしたのは、ローブをまとった老いて枯れ枝のような男だった。
乏しい灯りに照らされ、その明るい青の瞳が経年で垂れた皺の奥にちらちらと見える。痩せた体を折るその老人が、アーロン家の血筋であることは明白だった。
「……エミル・フィン・アーロンと申します」
怯えたような、何かに期待するような、固唾を飲んで事態の進展を祈っているような、そんな切実さを含んだ眼差しが、いまだその灯りの届く場所に足を踏み入れないサリヴァンの影に向かって投げかけられている。
「この人は私の父。グネヴィア島の領主の兄で、島の神官たちを長年束ねている。私と違って善良な人だ。……じつをいうと、私はこっちの陣営にくみしていてね」
「……そちらも一枚岩ではないということか」
「ああ」
サレンダーは、にやにや笑いを引っ込めて、実父を支えるように脇に立った。
「『こちらの陣営』は、魔術の衰退を憂うあまり強く鎖国を望む領主の陣営と、昔ながらのまま政治への介入に消極的で、布教と伝統の継承に重きを置いている筆頭神官の陣営で二分されている。叔父はこれを期に、アーロン家が新陽王の側近に食い込むことを期待していてね。信仰に篤いが、野心も強い人なんだ。私はただ、実家に戻ってのんびり暮らそうかと思っていたのに、巻き込まれてしまった。困ってしまうね」
サリヴァンは一歩、前に踏み出た。
「……おまえが身内の情で働くような人間だとは思わない。何が目的だ? 」
「わかった。わかった。腹を割るよ。きみがそう睨むと、うちの父がまた倒れてしまう。箱入りの高僧なんだよ、この人。」
サレンダーは肩をすくめて、笑っていない目で「座っても? 」と、転がっている岩を指した。父を座らせ、自身ももたれかかるように腰を浅くおろすと、「どこから話したものかな」と顎を撫でる。
「きみ、上層に行ったことは? 」
「…………」
サリヴァンは、少し考えて素直に首を振った。
「……そうか。なら分からないかもしれない。いいかい。魔法がない世界というのは、魔術師にとってひどく危機感をあおられる世界なんだ。これはその土を踏まねば分からないと思うが、『それ』に気付く瞬間は、上層に足を踏み入れた魔法使いには平等におとずれるんだ。
われわれ魔法使いが、この国で当たり前に触れている神の奇跡が『ない』というのは……言い知れぬ不安を覚える。私もそうだった。神官の旧家に生まれたというのに、けして信仰心に篤くなかった二十代の私でさえ」
サレンダーは白い拳をぎゅっと握り、自分のそれに視線を落とした。
「……信仰が形骸化し、神の名前を忘れ、物語を都合よく改竄して利用する。いまこの国に起こっていることの果てにある姿が、無数に上層では見られるんだ。
しかし、上層世界の人類もバカじゃない。彼らの世界で、神話も魔術も、すでに淘汰された要素だというだけなんだ。あそこに今の発展した魔術が持ち込まれれば、彼らはそれを有用だと思うほどに、魔術を自分のものと動くだろう。『上層』はそういう世界だ。昔と違い、魔術は衰え、科学は鋭く研ぎ澄まされ、やがて彼らの矛が我々の盾を打ち砕く時が来る。
開国派も鎖国派も、起因する感情の源泉は『そこ』にあるのだろうと思う。目の当たりにした若者が震えあがり、このままではいけないと衝動に胸に抱くに十分な理由だった。……かくいう私もその経験があってこそ、魔人という兵器に活路とロマンを見たんだ」
「魔人を兵器に転用したかったのか」
「もともとはおとぎ話として好きだったのさ。しかしね、伝説上の『意志ある魔法』は、本体か呪文を損ねないかぎり自立して動くだろう? 復元して兵士にすれば、国家の防衛にぴったりの代物だと思い至って憧れは実現可能な計画となったのさ。その極地が、ああ、ジジ! 彼だった!
彼の機能は素晴らしい。まさしく万能の魔人! 神の時代の人類がつくった兵器だ。それが今も稼働しているという、求めた理想的な姿に惚れこんだんだ。だから僕は、ああ、きみをもっと早く知っていたらと悔しい思いで後悔しているんだ。今となっては、きみのような魔力に満ちた人間が彼を所有するに相応しいだろう! 心からの言葉だ! 信じてくれ! 」
サリヴァンはうんざりした。
「あいにくおれは、おまえの気持ちや思想には興味がないんだ。目的と要求を言えよ」
「いいや、これが大事なのさ! 何故って僕がこの国に戻ってきたのは、まさしく原点回帰、自身のアイデンティティに立ち返ったからこそなんだ! 僕はある悪魔の誘惑に従ってこの国に帰ってきたんだから!
あれは春のある日のことだ。叔父の使いとして訪ねてきた彼女は、僕の思想を最初からよく理解して話しかけてきた。僕らはすっかり意気投合して、おわりには僕は、まんまとすっかり心を決めていたんだ。『ふるさとを守らなければ』とね!
恐ろしいことだ。これは恐ろしいことだよ……。この僕が!? まんまとしてやられたってわけだ! 彼女はそこにいた! 【審判】が起きるよりも、ずっと前に!!
要求を言おうサリヴァン! 父と僕をきみたちの陣営で働かせてくれ! 叔父は彼女とずっと前から手を組んでいる。その庇護下で『陰王派』という言葉をかさにきて、叔父は力を蓄えてきたのだ。
この国は時空蛇の化身たる陰王のものだ。陽王もしょせん陰王に任命されたただの人間でしかない。そんな貴いお方を頂きに置きながら、叔父は悪魔の甘言に乗り、いずれはこの国を売り渡すだろう。彼は領主の座から降りるべきだ。僕がそうする。
その前に僕らは、家門の旗印を明白にしたいんだ。次期陽王は、ありがたくも真の陰王派たるライト家の妻だ。これから陽王派と陰王派、双方の融和が進められる時代となるだろう。そのときアーロン家にも『真の陰王派』のお墨付きがほしい。
――――つまり、『このアンドリューがダブルスパイになりたいんだが! 』という申し入れだ! 」
サリヴァンはため息を吐いた。
冬の風が服の下に忍び込んで、肌に浮かぶ冷や汗を凍みさせる。
「……俺が、この世でもっとも軽蔑する人間が、お前だ。サレンダー」
がちがちと鳴りそうな歯のあいだから絞り出した声は、漏れ出した憎悪で震えていた。
「魔人をおびき出すために子供を攫って餌にしたことは覚えているか? その子を用無しになったら売り払ったことも聞いたぞ。魔人にいうことを聞かせるために、抑止力として貧困街の子供たちを利用したりもしただろう。悪党に道具のようにアイツを貸し出して、おぞましい犯罪の片棒を担がせたことも忘れたか? おまえが実験と言って昏倒させた数百人の村人も、忘れたとは言わせない。あんたのしたことで、十四歳のおれは犯人扱いで四日も冷たい牢屋に入っていた。おれは知ってるぞ。おまえは当然のように、こうしたことを今まで繰り返してきたんだろう。平気な顔をして。……そのすべてを、おまえはどう償うというんだ」
男の父親が、今度こそはっきりと怯えた目でサリヴァンと息子の背を交互に見た。この男が領主の椅子に座ったとして、たいした仕事はできないだろうな、とサリヴァンはぼんやりと頭の隅で思った。
「……私こそ、きみを知っているぞサリヴァン・ライト」
サレンダーは唇を舐めて口を開いた。
「陰王の家老ライト家嫡男の亡霊。アトラス王家と陽王の血を引くもの。この世でもっとも魔力の優れた魔術師で、陰王と正義に忠誠を誓った純朴な眼鏡のチビ。きみはそれだ」
サリヴァンに指をつきつけるサレンダーの顔に、蛇のような笑みが広がった。
「きみには僕が必要だ。僕の力と情報が。―――――違うか? サリヴァン・ライト。こう考えているはずだ。僕を使ってから処分をするのでも遅くはない。そうだろう? それでいい! それがいいんだよ、サリー」
サリヴァンはもう一度、こんどは大げさなほど大きなため息を吐いた。
「……おまえ、勘違いをしているようだが、どれほどおれがお前を憎んでいようが、おれはそれを決める立場にはいないよ」
諭すように言う。この男は明白に『下』だというように、冷たく睨んだ。
「陰王陛下のスタンスは建国以来同じだ。政治への介入を、あの方は望まれない。……おれはライト家の嫡男でもないし、次期陽王の息子でもない。陰王陛下の侍従にして二の弟子なんだ。主人の意向に従って、おれはそれらの提案を受け入れる窓口にはなれないんだよ」
「だから、交渉するならこっちだ」サリヴァンは、道を譲るように二歩下がった。
「……彼女は若いが名うての商人だからな。『陰王の娘』と直接交渉してみろよ」
ヒースの瞳が、紺と金に明滅している。
夜闇にも白い貌に、母親譲りの美しい笑みと抜け目のない目つきを光らせながら、ローブを脱いだヒース・エリカ・クロックフォードはサリヴァンを従えるように立った。
「うきうきするなぁ。それで? どんなお値打ちの商談です? 」
「適材適所というでしょ? 夫婦となるからには、お互いに弱点を補っていかなくては。ねっ、サリー」
「……うるせー」




