2 対屍人戦 中編
夜の街道は、あたりまえだけれど、残酷なほど静かだった。
その静寂を背に、サリーの声がとつとつと、不器用に紡がれていく。
ボクもヒースも口を挟まない。サリーの言葉はうまくはなかったが、真摯で実感がこもっている。皇女には話術よりも、偽りのない感情のほうがきくだろう。
軒下の透かし彫金の灯りたちが、沈黙する黒い像の影を、道々に落している。
それそのものが影法師のような市民たちがそうしている姿は、不気味で、不自然で、けれど侵しがたい、宗教画のような美しさがあった。
もうこの場所は、滅びに向かって抗おうとするボクらの姿のほうが、筆先が誤ってついた絵具のようだ。
サリーはきっと、こんな光景を『美しい』とは形容したくないだろうけど、ボクにはこの滅びの街が、ある種の『行き着くべき場所』のように見える。もし、本当に神々が示して創り上げた光景なら、その創造物であるボクらには、こうした滅びを受け入れることもプログラムされているのかもしれない。
こんな考え方の違いは、ボクが魔人でサリーが人間だから、というわけでは無いと思う。
サリーは、その滅びから抗うために産まれて育ったから、この光景を受け入れられない。
ボクは、八割九分くらいの人間は燃えるゴミだと確信しているから、(まあ仕方ないかな)って受け入れる。
どちらも同じくらい捻くれた意見だ。この皇女やヒースに聞けば、また違う方向に捻くれた主張を持っているだろう。
ボクは人間なんてそんなもんだと思っているし、だからこそ『人間はだいたい燃えるゴミ』という主張を曲げるつもりはない。
人間は『燃えるゴミ』か『口を利く肉』か『その他』の三つに分類されるのだ。ボクの人を見る目は厳しいのである。
たとえ皇女といったって、今のところ燃えるゴミなのは変わりない。この人が助かったのは、たまたまボクらの近くにいたからだ。この女は燃えるゴミらしく何もできないで明日死ぬかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただの偶然に、勝手な意味を見出すのは、感情の脆弱性である。命に意味があって生きているのは、ほんの一握りなのだ。
そしてサリーとヒースは、生まれながらにして、そうした意味を背負っている一握りである。
ボクは『選ばれた』人間のことを幸運だなんて思わない。
意味のある命をもっている人々には、責任がともなう。『価値あることしかやってはいけない』という義務がある。
意味なく生きている大多数の人間たちの自由さを考えれば、サリーたちの運命は不自由すぎる。ボクは自由を愛する魔人だから、ボクに自由をくれたサリーが不自由を強いられていることに、非常に憤りを感じているのである。
サリーは、おそらく産まれて初めて、自分の口から秘密を明かす。その価値があるとして、この女に意味を見出した。
ヒースも、サリーが身分を明かそうとするのを止めなかった。
つまりこの女は、ただの幸運で生き残ったわけではない。ボクじゃない誰かにとっては、価値を見出され、選ばれた人間だったのだ。
――――――この女の価値とは何か?
『影の王』は、そんなことを懇切丁寧に教えてくれるような人ではない。必ず『自分で見つけなさい』と言うだろう。
『影の王』は稀代の預言者のくせして、すべての命に対して放任主義だ。正解がない難題を、なにもいわずに問いかけておいて、解くか解かないかまで選択させる。もちろん、解釈した問題自体が間違っているということもある。
サリーはこの女に真実を告げることを選択し、ヒースもそれに同意した。
皇女は、サリーのことを信じることを決めたようだった。
『影の王』は、こうなることが、きっとわかっていたんだろう。
サリーの持つ真実は、はっきり言って荒唐無稽だ。ボクが詐欺師なら、皇女さま相手にこんな話はできない。ハードルが高すぎる。
皇女が信じてくれたのは、語り部がいるのと、真実だからだ。
サリーは、『貴族の礼』と呼ばれている、王宮騎士がする作法にのっとった仕草で、皇女に跪いた。一歩後ろに下がった位置で、ヒースも同じように石畳に膝をつける。
皇女は慌ててサリーに立つようにいい、叱りつけるように首を横に振った。
裁きが始まった滅び行く世界で、小さな笑い声が重なる。三人は固く握手を交わした。皇女の瞳から、一粒だけ雫が垂れて、皇女の影が落ちる石畳に、すぐ消えるしみを作った。
ボクは、皇女の影を見た。
『語り部』の目が、その人の真名と血筋を看破する能力を持っているというのは本当らしい。
ボクはサリーとは違う人間だから、違う方向からものを見る。
ボクはサリーの魔人だから、サリーの魔人としての価値を磨く努力をしなければならない。
ボクは自由と享楽と平穏を望む、質量なき魔人。
サリーに自由をもらったボクは、サリーの最後の砦にならなければならない。
だからボクは、ボクにとっての『その他』である彼らに、別の回答を用意する。
義務と責任に縛られた、不自由な少年たちができないことは、ボクが担う。
ボクは対人特化した性能の魔人である。
『この女は燃えるゴミか? 喋る肉か? それ以外か? 』
それがサリーの魔人であると決めたボクの、役目なのだ。
◇
和解を済ませたサリーたちは、まず皇女の同行者である次期皇太子妃モニカ女史との合流を目指すことにした。ボクはサリーの影の中からついていく。
「……とはいっても、この状況で彼女が無事でいるとは思っていません」
街並みに立つ石像を避けながら言った皇女は、よどみなく足を進めていく。
心情的にも、皇女は義姉になるモニカ女史のことを捨て置けないのだとその表情でうかがい知れた。
せめて石像になったその身体だけでも保護したい……といったところだろう。
皇女の説明で、『影の王』の目論見の一端も知れた。……こう言うと『影の王』がまるで諸悪の根源みたいだけど、あの人がいろいろ画策していたのは間違いない。
ようするに、『審判』が起こることを事前に預言した『影の王』は、サリーとヒースに皇女の救出をさせたかったのだ。
でも、皇女の救出だけで終わるとは思えない。
(……でしょ? サリー)
(まあな)
案の定だった。
「ヴェロニカ様! ご無事でいらっしゃったんですね! 」
倉庫街に戻ってきたボクらは、皇女との再会を喜ぶ三人の男女と出会った。
うち紅一点は、話に訊いたモニカ女史だろう。
ウサギやリスを思わせる、小柄で活発そうな女性である。栗色の髪を高い位置で一本に結い、動きやすさを重視したパンツルックも着慣れているかんじだ。くりくりとした茶色い目や、そばかすが散った頬が愛嬌と親しみを振りまいている。
このとおり素朴な雰囲気の人で、とても皇太子妃になる人物には見えなかったが、短い逃亡生活のあいだ、外国人観光客を装うのにはおおいに成功していただろう。
彼女と同年代に見える若い男は、硬い表情としぐさで遠巻きにヴェロニカ皇女を見つめている。青ざめて緊張した面持ちで、軍人っぽいお辞儀をした。これがコナン・ベロー中尉だ。
そして最後の、初老に差し掛かった紳士は、ヴェロニカ皇女を視界にみとめると帽子を取り、感極まったように腕を広げ―――――皇女との間に踏み込んだサリーを、いぶかしげに見た。
「……ヴェロニカ様、彼は? 」
「トーマ・ベロー外交副長官。彼の質問に、正直にお答えなさい」
皇女の青銀の瞳が、副長官の白い眉毛に半分埋もれた瞳を射抜く。男の細く尖った視線は、ヴェロニカ皇女を見返さずに、その前に立つサリーの黒い瞳を冷たく一瞥した。
街道がまばらに立つ殺風景な倉庫街に、白刃が線を描いてひるがえる。
サリーが何も言わず袖口から顕現させた剣の先で外交副長官殿の羽付き帽子を空に跳ね飛ばすのと、背後から近づいたコナン中尉の腕がモニカ女史の首にまわったのは、ほぼ同時のことだった。
「……おれの質問は不要のようだな」
「少年。剣を収めなさい」
「ヒヒ……これがホントの問答無用ってヤツ?
ねえ? 誘拐犯さん? 」
副長官どのはサリーの前を堂々と横切ると、帽子を拾い上げ、土埃をはたいて、撫でつけられたシルバーグレーに収めた。
ゆっくりとしたその仕草のあいだに、わらわらと、倉庫の陰から人影が現れる。服装は変わっているが、いくつか見た顔が混じっている。
顔をしかめたサリーが、鼻から長くため息を吐いた。
「……死んでなかったのか。あの爆発は偽装か? 」
「サリー、死んでなかったんじゃないよ。……もう死んでたんだ」
街灯の灯りの下に、屈強な男たちのシルエットが照らされる。
あの斜陽に照らされた倉庫の中では、顔色が分からなかった。新鮮な死体のかすかな腐臭も、干し草のにおいで誤魔化されている程度。
でももう、この場では言い逃れできない。
「あれは屍人だよ、サリー」




