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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
八節【ファム・ファタール】

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8 いのちにふさわしい

 ◇



 アルヴィンの感覚器官は、この体に変わってからというもの大きく変容をとげていた。

 魔人たちは明言しないが、彼らはおよそ周囲を把握するに必要な視覚や聴覚に目や耳というものは使っておらず、今のアルヴィンにいたっては、これらに該当する部位がそもそも存在していない。

 『意志ある魔法』という異名が魔人にはあるが、これは『意識がある魔法』ということでもある。

 魔人の知覚は、その意識に備わり、行っているものであり、魔人の意識は、本人の周囲を覆う膜のように存在している。

 頭の後ろにも視覚があり、全方位の情報が同時に取得できたし、膜の存在を意識して広げていけば、この洞窟内くらいなら、どんな小さな声でも聞き取ることができた。


 この世で唯一、人間だった感覚と魔人となった感覚を知っているアルヴィンは、その変容の全貌を誰にも明かさず、ひっそりと適応していた。

 今回も、必要だからという理屈で感覚の膜を薄く広げ、兄や姉の危険に気を配っていた。

 その会話は、最初からアルヴィンに届いていた。聞こえていたのである。




 ◇





「知っているか? 」

 と、男が言った。耳慣れぬ声の主は、グウィンの足元に一塊で転がっている二人のうちの一人だった。

 羽帽子のつばの深い闇の向こうで、にぶく光るような小さな眼球がこちらを見ていた。

 腕を組んだまま無感情に見下ろすグウィンに、瞳が意地の悪い三日月を描く。


「アリエル・キャスという中年の女だ。旧家の生まれで、夫は騎士だった。ある皇妃の侍女として召され、のちに皇子の乳母となった。知っているだろう」


 グウィンは返事をしなかった。その女性は、フェルヴィンが『石の試練』から解放されたとしても、この世に戻ることはないひとだ。

 彼女は『魔術師』が見せた、多くの亡霊たちの中にいた。

 身分は低かったが、親の親の代から城に仕える家系であり、ジーン皇帝の時代の粛清からも真っ先に逃れるどころか、貴族に召し上げられたという忠義が家訓の一族である。


 アレク、ノーマ、マリウス、コリー、ナナ……。

 おそらく彼女の家族は、全員が城にいて、全員があの亡霊の中にいたことだろう。

 アルヴィンにとっては、母とはいえずともそれに準じるような存在だった。三児の母であった彼女の助けで、皇帝とその子供たちは、末の弟を育て上げることができたのだ。


 グウィンは、この口をふさぐべきかと考えた。もちろん殺すわけではない。それは後でもできることだ。そして、自分が我慢すればいいことだ。必要がないと断じた。


「――――レイバーン皇帝は病んでいた。女はそれを知っていた」


 レイバーンは体が弱かった。とりわけ肺と心臓を、もう何十年と患っていた。

「肉体も、精神こころも……」

 ああそうだろう、とグウィンは思った。

 最初の母が生きていて、ヒューゴがまだ小さなころは、子供たちを毎日一度は抱きしめてキスをするような、声を上げて笑う男だったのだ。


「……弱りはて、苦しんで……」


 しかし、グウィンたちも苦しんだ。

 ヴェロニカは王家のすいを凝らした美貌だと持て囃されたが、宮廷人は同じ口で、二世代前の悪夢である妖婦ユリアと似ているとも言った。

 華奢な少女のころなどは酷いもので、母を亡くして消沈したまま人が変わったレイバーンが子供たちを遠ざける理由が『それ』だと、ヴェロニカは思い込んだ。ひどいのは、それが実際に真実であったことだ。


 幸いだったのは、兄弟仲が良かったことだろう。そして家臣団が親身であったことだ

 父の職が、皇帝であったことも大きい。偉大な職務という光を隠れ蓑に、子供たちは父の不在を慰めることができる。


「そうして迎えた花嫁は……。―――――なあ、知っているか? 」


 何を言いたいのかが分かった。

 グウィンは、捕虜を見下ろした。口髭に埋もれた口は動いていない。それなのに声がする。


「――――アルヴィン・アトラスはレイバーン皇帝おうの子ではない」


「なんだ。そんなことか? 」

 グウィンは吐き捨てた。

「痛い秘密を暴いたつもりか? 弟を傷つけるために吐いた妄言を、真面目に受け取るとでも? そんな風聞は宮廷にはいくつもあることだ」


「ようやくおれを見たな。皇帝……いや、『教皇』よ。まあよく聞け。……では、こうだとしたら……? 」


 視界の端に差した色に、グウィンははっと顔を上げた。




「―――――アルヴィン・アトラスは、自分の父が誰なのかを()()()()()()()





 凶鳥が喝采を上げた。


「兄さんッ!!! 」


 鋭いものに、頭蓋を強く掴まれた。

 岩棚の上にいたヴェロニカが、地を蹴って滑り降りてくるのが見える。すぐそばにいた灼銅の体が、滑り込むようにグウィンと『それ』を引きはがしにかかる。



『あの子には素質が無い……英雄となる素養が、最初から無いのだ……』



 黒く、ぼってりとした鳥だ。

 驚くほど翼が大きく、四股に分かれた大きな鍵爪が、グウィンの肩と頭を肉へ食い込むほど握り締めていた。

 鋭いくちばしが頭を穿つように噛みついている。握り締められて息が詰まり、痛みにあえいだ。



『なぜならば、私は知っている。アリエル・キャスの脳を食んだときに教えてもらったさ……。アルヴィン・アトラスは、いたって普通の……いいや、普通よりも、ずいぶん()()()()()()()こどもだと』



 もがくうち、鳥の全容が見えてくる。


 足元で、脳髄のない屍体が、中身のない胡桃のような頭をさらしている。

 男の羽帽子は、この鳥そのものが擬態した姿だった。


 鳥は首がぬらぬらと長く、その翼と首のあいだには、むき出しの心の臓と消化器官が、どくどくと波打っている。肉色をした臓器の下には、灰色の脳がぶら下がっていた。


 ちかちかと明滅する視界。かろうじてアルヴィンが放つ青い光をたよりに、グウィンは意識を保った。


 ヴェロニカはまだだ。ずいぶんと時間が遅く感じる。グウィンは自分の限界を悟る。



 ―――――ヒース・クロックフォードはもう間に合わない。



『――――お前には英雄となる素質はない! 心が弱く、臆病で、力を振りかざす覚悟も無い! お前は語り部に仕立て上げられただけだ! この舞台に上げられただけの木偶なのだ! 』



「……も、やせ、アル……ッ! 」


 アルヴィンは、グウィンに取りついた鳥に火を放てないでいる。





「もろとも……! ()()……! 」



『―――――()()()! 今だァッ! 』





 奇妙な甲高い声で鳥が叫ぶ。鼓膜がびりびりと揺れた。

 炎の明滅。

 ヴェロニカは間に合わない。

 グウィンは、自分が助からなければ、無力に嘆くだろう弟のことを思った。妹のことを思った。

 最後に国のことを思った。




 ―――――捕虜を結んでいた『銀の魚(スート兵)』が弾けた。



 赤い光があふれる。その瞬間、驚くほどあっさりと、鳥はグウィンを解放した。

 轟音。水が波打ち、熱を帯びる。グウィンには、咳き込む自分の声すら聞こえなかった。


 それは、グウィンが顔を拭う一瞬のあいだに起こっていた。

 目を開けた瞬間のグウィンの目に映ったのは、巨大な白熱するひとつの眼球である。縦に裂けた黄緑の瞳孔とともに、赤い粘膜の瞳がぎょろりと動き、地面に埋もれた鼻先が、ぐんと上を向いて頭を持ち上げるところだった。

 ヴェロニカが、一回り大きいグウィンの体を掴んで担ぐと、水を蹴って走り出した。

 巨木のような首筋と、その肩に枝葉のように連なる無数の腕が、天に手を伸ばす。

 それの頭はあっという間に天井へと到達し、穴を開けた。


「ああっ―――――! 」


 陽が射し、それを浴びた巨人の体が幻のように消えていく。眼球があらわれたその場所、背中だけが見えた。


「戻れッ! ロニー戻れッ! 」


 兄の声に、ヴェロニカは兄の体を飛来した配下に投げつけると、弾かれたように踵を返して飛び出した。

 グウィンは見ていた。

 見ているだけだった。





 鳥が飛んでいく。





 ◇




「……そうして、アルヴィンは」


 グウィンは言葉を詰まらせた。その先に何を言うべきか、言葉を見失っていた。

 兄に連れられてやってきた少女は、そんなグウィンの後ろ、布をかけられたテーブルだけを見ていた。


 扉が開く音がしたが、誰もそちらを見ない。


 ケヴィン・アトラスが、怒りに震えて立っていた。




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