8 不幸あれA④
◇
高所にある窓の外、暗雲が空のすそにある。月明りは、この王都にだけ差し込んでいた。
エリカ・クロックフォードは、王宮の寝間で夜着を脱ぐ。
身に着けるのは襟の詰まった黒いドレス。膝下まであるブーツのリボンは、ふくらはぎを強く締め付けるほど絞った。指輪がついた二の腕までを覆うグローブに、レースを張った銀糸のマントとヴェール、そして銀の鎖でできた蔓の冠を、結った髪にピンで刺す。
眦に線を引き、唇に紅を差し、暗がりで魔女は待っていた。
常にない慌ただしい足音とともに、寝室の扉が叩かれる。
「殿下、……殿下、ご就寝のところ失礼いたします。陛下が謁見を求めておられます」
「ただいま参ります」
告げると同時に内側から開かれた扉にか、準備を終えたその姿にか、侍従が目を丸くして立ち尽くしていた。
そのかたわらには、当の陽王本人が、同じ顔をして棒立ちになっている。
「お呼びだったのではなくて? 」
大きな体をすくませて、オズワルドはおどおどと言った。
「……あ、ああ。すまない。女性の寝室に押し掛けるような真似を」
「非常時ですから不問です。歩きながら話しましょうね」
オズワルドは下がった眉のまま、上目遣いに頷いた。
白亜の城、夜のとばりの下りた中庭の対岸では、一度落とされた灯りが慌ただしく付けられていくところだった。
「さて陛下。今から申し上げるものをご用意くださいますか」
「もちろんだとも」
貴人のみが通ることを許される渡り廊下から、そのざわめきを窓越しに感じながら、エリカは陽王と歩調をあわせる。
エリカが口にしたものに、陽王は頷きながらも、怪訝そうに、いくらか責めるような視線も交えて言った。
「特急券を買ったもののリスト?それで何をしようと? 」
「多くの優秀な魔術師が必要になるからです。貴賤を問わず、一定の技量がある魔術師が」
「貴族ならば、議会を通してすでに招集をかけているが、それでは足りないか? 」
「足りませんとも。その方々は政治家や政務の補佐をするお仕事の方々でしょう。そちらにはそちらのお仕事がたんまりとございますわ。わたくしが求めるのは技術者です。列車の購入者のみならず、南からの船、車……首都に集まったあらゆる旅行者のリストをくださいませ。そこからわたくしが選抜したものを王宮へ」
「あなたが選抜する? 膨大な数ですよ。それなら他のものに任せて、あなたは別の仕事があるのではないのですか」
「それはあなたの補佐? それとも陣頭指揮を任せるとでもおっしゃるの? お馬鹿さんねぇ」
エリカは陽王の祖母のように、もしくは老練な教師のように笑うと、自身の頭を指した。
「この中に、ラブリュス設立以来の論文執筆者と高位成績卒業者の名前があります。彼らがどのような進路を経て、今どこで何をしているのかも、いちいち調べるまでもありません」
「なるほど失礼しました。それは確かに、あなたにしかできない仕事だ」
「ええ、そうですよ。ねぇ陛下。もうすぐわたくしはいなくなりますのよ。いつまでも超然とした力に頼るものではありません。奇跡とは、積み重ねた努力の先に必然的に拓けるのですわ」
陽王は、何かを言いかけて口を開き、思い直して瞼を伏した。
「ねえ、陽王陛下? もっと自信をもってくださいませ。この国はとうに、わたくしの手から巣立ち、無数の大海を渡り歩き、こんな老いぼれの力なくとも、やすやすと困難を乗り越えられるほど強く育っているのですよ。臣民のたくわえた力を信じ、頼り、さすれば困難はおのずと引き下がる。あなたさまには、その大いなる力の行く先を決める力がとうの昔に備わっているのです」
こどものような眼をした陽王は顎を引き、銀の冠をいただくその背を眩しげに見た。
「……では、最後の助力をいただけますか。……先生」
「馬鹿ね、頼むもんじゃありません。わたくしも臣民なのですよ、陛下」
(ああ……これでついに、私を叱ってくれる人はいなくなるのだーーーー)
陽王は息を吸い、吐き、強いまなざしで師をあおいだ。
「アンナ・フルド卿……全力をもって事に当たるように。陽王の名のもとに、王宮への召喚の無条件での権限を与えるものとする」
エリカは振り返り、弟子であり主君である男へ向かい合うと、優雅に腰を折った。
「謹んで拝命いたします」
そのとき、ふたりの姿が窓から明るく照らされた。
「あれは……! 」
銀の帯、龍の群れが、夜空に無数の線を描いては粒となっては消え、穢れた魔術を洗い上げていく。
「――――まずは一手。よくやりました。サリヴァン。
……さて、反撃の狼煙に続かなくてはね」
◇
どこぞで爆発事故があったらしい。
その一瞬の光と音は、ちょうど帰宅したプリムローズのもとにも届いた。
王都の外に響く遠雷もあいまって、寝台に入っても芯から疲れた体に冷たい興奮が残っていた。頭の中では朝から伯爵夫人の朝のお茶会へ向かうための段取りが繰り返されているというのに、夜明け前近くになっても寝付けないまま、目だけを閉じていた。
だから、屋敷に近づいてくる箒のうなるような音も、玄関を押し入るような勢いで叩く声も、最初からじゅうぶんに聞こえていたのである。
「グリンヴィア嬢は御在宅か! プリムローズ・エマ・グリンヴィア嬢! 陰王陛下より緊急召喚令が発令されている! 御在宅なれば、何をおいても馳せ着けられたし!! 」
今話の参照。フルド卿についての過去話⇒『7 Line of sight 前編』https://book1.adouzi.eu.org/n2519et/186
ステラとMs.グリーンは本家伝いに遠い親類にあたります。とはいえ公爵家縁者は膨大なので、面識もありません。
ヴァイオレットと仲良くなったさいにライト家側からの身辺調査が入っており、ステラ含めた関係者は、おそらくその時に名前と研究内容を認識しています。Ms.グリーン側は、ステラを親類と知ってはいても『学校で流行の人』くらいしか認識していません。
つまりMs.グリーンはずっと目をつけられていたよって話でした。
エリカが偽名に使った『アンナ(アン)』は、アイリーン・クロックフォードの(※)ミドルネームです。
※必要になった時にライブ感で適当につけたので、アイリーン本人は『そうだったけ?』って思っている戸籍上のミドルネーム。いちおう『アイリーンを育てた死んだ祖母(※そんなものはいない)の名前』という設定があるのを、フランク・ライトだけが記憶している。




