6 ワイルド・サイドを行け②
「痛いわ……痛みがあるのね」
アリスは信じられないように自分の顎をさすって、顔をしかめた。視線はヒースを飛び越して、その背後を見つめている。
「なるほど、アンタたちがそっちに味方についたから、こうなったってわけ? 」
しゃらん、と揺れる装身具が鳴ってはじめて、ヒースは自分たちが大勢に囲まれていることに気が付いた。
視界の外から歩いてきた先祖の女は、ヒースを守るように前に立つ。
「本来なら、おまえもこちら側につくべきなのだ。生きる血族に手を貸すのが、死して終わった我々の使命」
もう一人、老婆が腰に巻いた長い裳を引きずって前に出る。
「そのとおり。慾は生きる者の特権よ。領分を犯してはならぬ」
老婆も女も、手には剣や槍を握っている。その切っ先を向けられて、アリスの表情は目に見えて曇った。
肌がざわつく殺気がただよう。
「ちょっとちょっと! 人の頭の中で好き勝手しないでよ! 」
「我々が子に引き継ぐのは記憶だけ。痛みと慾は引き継がれてはならぬのだ」
「それってまだ僕には未遂でしょ! 」
腕を広げてアリスの前に立つ。
ざわりと動揺が広がった。
(うわっ、思ってたよりいっぱいいる……)
それは『群衆』といっていい人数だ。
後列など、顔もよく見えない。
全員が武器を手にしている。つまり、全員が処刑人ということだ。
この人数にひとりが袋叩きにあうようすを想像して、ヒースの背筋は寒くなった。
「……いいかい、ここは僕の頭の中だ。部外者なのはきみたちも同じなんだよ。この喧嘩は僕の喧嘩だろ。ちょっと引っ込んでてくれるかな」
顔を見合わせるもの、こちらを睨むもの、ため息をつくもの――――反応はさまざまだった。
(納得いってなさそう。仕方ない。屁理屈をこねるか)
ヒースは、ふう、と、尊大なため息をつく。
「……あのねえ、キミたち。分かってないようだけど、これは僕の母とアリスがすべての発端で当事者なんだよ。知ってのとおり、母は血族じゃない。彼女と僕の父がたまたまあなたたちと血が繋がっていただけのことだ。僕に言わせれば、この件について、あなたたちは部外者なんだよ。裁判でいうなら傍聴人だ」
顎を上げ、胸を広げてまっすぐに立つ。
すると瞬きのあいだに、先祖たちとヒースのあいだに階段ができた。
円形の広い部屋の中央、数段高い舞台にヒースは立っている。アリスは四方を柵で囲まれた被告人席だ。三日月型に広がる傍聴人席の前にも柵が引かれ、呆然とする傍聴人たちを、シャンデリアと女神の天秤が見下ろしていた。
「――――なるほど、いいじゃない。こりゃメルヘンだ」
ヒースは検察官の場所に立ち、にやりとした。
「ここなら証人は僕、弁護士と検察官も、もちろん判事も僕だ。いやとはいわせないよ」
傍聴席がざわつくのを掌で黙らせて、ヒースは舞台の上をゆっくりと横断した。
「被告人アリス。あなたには疑惑がある」
アリスは感情の見えない、しいていうなら興味深そうな青い目でこちらを見ていた。
「はたしてあなたは本当に、僕と母を陥れようとしたかったのか? 僕は今、そのことを疑問視しているんだ」
切れ目のような笑顔がゆっくりと広がる。
手の甲に頬を置いて、アリスは瞳をきらきらさせていた。
「どうして、そう思うの? 」
「被告人は許可なく発言しないように!」
判事がハンマーを叩く。アリスはそのまま、ぴっちりと口だけを閉じた。
「あなたは僕に記憶を見せた。どうして問答無用で体を奪わなかった? その必要があったのか。共感や同情をもらうため?
いいや、そんなのきみらしくない。きみらしくないことが、あなたの記憶を見せられた僕にはわかった。そうして、これはアリスからのメッセージだって仮説を立てた。
――――だから僕は、もう少し深く考えてみたんだ。
まず人を知るには、好きなものについてからだと僕は考える。僕は商人だ。需要調査のための人間観察さ」
「どのような動機があったとしても、行いは悪だ! 」
傍聴人席からヤジが飛んだ。「静粛に! 」
ヒースは、右から左へと傍聴人席を眺める。
「……そうだね。あなたたちは僕にしたように彼女のこともずぅっと見守ってきた。だから知ってるんだろ。でもそれを僕が知らないのは不公平を感じるんだよね」
そして次に、アリスを見た。
「ねえアリス。あなたには致命的な弱点がある。きみは誰かを愛すると、その人を守らずにはいられないという弱点が。
自分がどんなに苦しんだとしても。たとえ何度も死を経験したとしても。
奇遇にも、僕はそういう人を知っている。あなたたちは『できる』から『やる』んだろ。
守るにもいろいろ方法はあるけど、あなたは、あなたのした行為で愛する人が傷ついたとしても、その人を守ろうとする。
根拠はあなたが、仲間たちのためにしたこと。そして僕の母のためにしたことだ」
多くの子供たちの手を汚させないまま育てた。
ともに大人になった仲間は、命を投げ出して守っていた。
荒野で絶望するエリカの手を引いて、新しい目標として、流民の人たちの先導者として截たせた。
自分の本来の肉体を失っても、その傍にいた。
身に宿していた子供さえ、自分の身の延長線として使うことをためらわなかった。
「あなたと母さんはよく似ている。あの人も自分の痛みは切り捨てて何かを守ろうとする人だから。だから母さんは、あなたを切り捨てて国の人たちを守ったんだ。あなたもそれを分かっていたはず。
あなたは攻撃してくるジジを責めなかった。むしろ誇らしげですらあった」
「……ちゃんと外のことも見てたのね」
「でも僕は、あなたのことを知った今、後悔してないよ。
あなたたちの度を越えた献身は、愛情の証明だって、確信が取れた。
あなたがわが子を自分の延長として考えるなら、母の娘である僕も、母の肉体と精神の延長だ。
あなたは最初から、僕の体をどうこうしようという気は無い。
なぜならあなたは、僕の母を愛しているから」
その仮説に、どこからも反論はなかった。
「手を組もうよ、アリス。
僕らの利害はきっと一致する。
あなたと一緒なら、僕は不可能も可能になるんだ。
――――もういちど、この世界に手を貸してくれ。そういう選択肢は、あなたの想定する中にもあったはずだよ。だから僕を試したんだろ」
「でもそれって、いちばんありえない未来じゃないかしら」
「本気でそう思っているなら、僕を見くびってる」
ヒースは鼻をならしてふんぞり返った。
もちろんヒースだって、これが彼女のすべてだと考えているわけではない。
人は、感情より理性の生き物だ。それに状況が噛み合って行動する。エリカやアリスのような人物は、とくに理性的であれとしてきたはずだ。
しかしだからこそ、その一側面は、ヒースにとって賭けるに価するには十分な要素に思えてならないのだ。
「僕は商売人だ。善悪よりも損得に賭けるよ。それが時に強固な関係になれるって知っているもの」
議論をさえぎるように、ハンマーが三度鳴らされた。
いつしか判事席に座っていた人物が言う。
「判決は決まりです。閉廷でかまいませんね」
「……女王様の判決なら仕方ないわね。従うわ」
アリスは笑った。
「だってここは、あなたの夢の中なんだもの。だからそろそろ目を覚ますべきだわ」
アリスがヒースの手を取って被告席を立つ。
その瞬間、世界は暗転した。
――――星空が広がっている。




