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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
六節【黄金の目】

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6 歯車③


 景色が光と影のすじになって飛び去る。ジジは上昇しているはずなのに、サリヴァンは急速に落下していくような感覚があって、くらりとした頭をヒースの額の上に落しかけた。


≪――――! ごめん! 切る! ≫


 一方的に言ったジジが視界の接続を切る。サリヴァンは強張った瞼を開き、感覚を確かめるように腕に力をこめた。

 開け放したままの壁の中で、黒い影が一塊ひとかたまり通り過ぎていく。文字通りの光速だ。サリヴァンには、それがジジなのか盗み聞きの犯人なのか分からなかった。

 エリカはまだ戻ってこない。


 ふと、自分が疲れていることに気が付いた。きっともう数分……いや、数十秒かもしれない。それくらいで、サリヴァンはここから動かなければならないだろう。けれど今はまだ、足に力が入る気がしなかった。

 体ではない。心が疲れている。できるなら、下町にある自分のベッドで横になりたい。よく慣れたあの場所を脳裏に思い描き、深く息をした。

 困難なとき、いつだって思い描くのはあの店で過ごす日々だ。いつしか両親のいる故郷ではなくなった。

(薄情な息子だよな……)


 夢があるとしたら、それはヒースとともにあの店を継いで、おだやかに暮らすことだった。

 サリヴァンはその夢を、誰にも言ったことはない。


「王になるか、巡礼者になるか、か……」


 もう少し休めば、体も動く気になるだろう。ほんのもう少しだけ瞼を閉じて、ただの杖職人になった夢を見れば。


「……運命ってやつは、非情なもんだよな。預言なんてクソくらえって言えりゃアいいのに――――」

 苦いため息を吐いた。弱音はどうせ誰にも聞こえない。


「――――どうすりゃア、みんな楽になるんだろうな。……って、そう思うおれは、やっぱり骨の髄まであの人らの弟子なんだよなァ……」


 自分の夢を反芻はんすうする。叶わぬ夢だとしても、心を癒す薬にはなるものだから。


(……薬? )


 はっとして、サリヴァンはポケットをさぐった。金色の、蹄鉄をねじったようなピアス。ケヴィン皇子から預かり、あまりにも会えないのでエリカに返すことをすっかり忘れていた。

(これが師匠エリカの持ち物なら、中にある遺髪は誰のものだ? )

 確かめる方法はある。サリヴァンは床に投げ出されたままのヒースの手を取った。


「ごめんエリ、ちょっと痛いぞ」

 断って、彼女の指を口に含む。薄皮を食む嫌な感触に眉をしかめながら、血をすすって手のひらに出す。

 脱力した彼女の体は、痛みにピクリともしない。丁寧に横たえ、こぶしにピアスを握る。わずかな血で、こぶしの甲に紋を描いた。


「≪願わくば叶えられん。祖霊の御声を伏して願う。オルクスの御足のした。伏してトリウィアの導きをもとめん――――≫」


「何をしているの? 」

 いつしか、エリカが起き上がってこちらを見ていた。

「それは、祖霊召喚の儀式? 」


 サリヴァンは頷いて呪文を繰り返す。薄い霧が足元を漂いはじめ、あたりを取り巻いていく。呪文を紡ぐサリヴァンの口からも、冬の朝のように白い息がこぼれた。

 幽かな衣擦れの音とともに肉の重みを感じる気配があらわれだす。

 見渡せば、霧の深さだけしかない多くの足だけが、サリヴァンとヒースを取り巻いていた。

 無数の足は、どれもドレスの裾の下から伸びている。


 サリヴァンは差し出すように、ピアスを握った手を開いた。

「彼女を助けてほしい」

 サリヴァンは、彼女たちが言葉を待っていると感じた。自然と顔が上を向き、見えない瞳を見つめ返そうと動いた。


「――――おれの大事な人なんです」


 祖霊たちはいっせいに爪先立ちになった。ドレスの裾がひるがえり、ろうそくの灯が消えるように揺らめいて消えていく。霧と霊のかすみで灰色に沈むなかに、ひとつだけブーツの足があったのが見えた気がしたが、サリヴァンの気のせいだったかもしれない。

 霧は霊の輪郭を消しながら渦を巻いた。それは一瞬だけ巨大な眼の形となって、消える瞬間、瞬いたように見えた。まるで頷くように。


「……エリ? 」

 ヒースは沈黙して横たわったままだ。

「エリカ? 」

 這うようにしてやってきたエリカが、娘の肩をゆすって呼んだ。

 どちらともなく、落胆の溜息がこぼれた。


 ――――ヒースは目覚めなかった。


「ここは寒いから。……上へ行きましょう」

「ええ、そうね……」

 エリカは掻き抱くように自分のワンピースの胸元を寄せて言った。

 そのときだった。


「ひゃあっ! なんかここだけさぶい! 」

 いましがた陰から顕現したのだろう。若い男の語り部――――ヒューゴの相棒であるトゥルーズが、黒いジャケットに包まれた二の腕をさすりながら、扉の残骸をまたいで歩いてくるところだった。


「おふたかた~! たいへんですよう~! 」

「何があったの」


 エリカの目が、鋭くトゥルーズを射抜いたあと、遠くを見る目付きになった。その顔が、みるみる冷淡で無機質なものになっていく。――――何かひどい事態になったときの顔だ。サリヴァンも問う。


「どうしたんだ」

「みんなで上で待ってたら――――」

いなごだわ」

 エリカが目で、ヒースを抱き上げるようにトゥルーズに指示した。


「外に蝗の王が来てる。みんな船をまもるために闘っているわ。――――行かなきゃ」

「……ちょっと待ってくれ」

 サリヴァンはトゥルーズが抱くヒースに近づき、その左の耳に金のピアスを付け替える。もとあった黒曜石のピアスは、胸ポケットに滑り込ませた。


「父親の遺髪なら、エリが持ってたっていいでしょう」

「そうね。……この子が持つべきだわ」


 エリカは、何かに耐えるように一瞬目を閉じ、次の瞬間には冷徹な魔女の仮面を貼り付けて告げた。



「――――さあ。出発準備を整えに行くわよ」

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