3 星の導き
最初の合同レッスンが終わり、扉が閉まった瞬間、ヒューゴの拳がポテッとサリヴァンの頭を殴った。
「あ~りゃ駄目だ」
「何も言わないよりかはましじゃないか?」
両脇でヒューゴとグウィンが言い合う。
「今ごろ婦人方も言ってるぞ。せめて『綺麗だな』とか『見違えた』とか、そういうことを言わないとな」
ヒューゴの言葉に、経験をなぞっているのか、苦笑したグウィンがしきりに首をさすっていた。
サリヴァンの頭では、おしとやかなヴェロニカ皇女やモニカ妃が、ぺちゃくちゃと男の批評をしている想像ができなかった。かわりにジジが、「キミねぇ、ありえないよあんなの紳士として」と、グチグチ言うところが見てきたかのように浮かぶ。
「……それができたら苦労しないんですよ」
ケヴィンは、眼鏡の奥を細くしてサリーの味方をした。
「まあなぁ」
「そうかなぁ」
「こういったことは非常に難しい問題だ」
「思ったことの中から喜ぶ言葉を選びゃアいいんだ。簡単だろ」
「ヒューゴ。きみに分かる時は来ないだろうね」
「なんでだよ! 」
この兄弟とは、この数日ですっかり仲良くなっていた。ちょっと面白がられているところもある。
恥ずかしくて、サリヴァンは深呼吸のようなため息を細く吐いた。
さっきは死ぬほどびっくりした。サリヴァンは、着飾った彼女はそのままエリカの姿になると思っていたから。
その想定を違えた彼女は、『ただの見知らぬ美女』であったので、「すごいなぁ」という感嘆の声しか出てこなかったのだ。これは様々な思いがこもっていて、サリヴァン自身にも読み解けないものが混ざり込んだ「すごいなぁ」である。
(……そうなんだよなぁ。あいつって美形なんだよなぁ)
サリヴァンは、少し落ち込んでいる自分を自覚していた。この年になって、こんな状況で、こんなものに頭の中を割くわけにはいかないのに、恋愛感情なる未履修の課題を突き付けられた気がしていた。
彼女は知らないうちに準備を進めている。しかし自分は――――。
ヒース・エリカ・クロックフォードは、コネリウス・サリヴァン・ライトの婚約者である。
ずいぶん前に決まっていたことなのに、当たり前すぎて忘れていた。いざその時が迫っていることが分かって慌てている。そんな情けない自分に問う。
(……おれはあいつとそういうのになれるのか? )
どんなに知識をたくわえても、実践経験というものがとにかく足りていないと痛感している。
自分は、初恋もまだなのだ。恋の駆け引きなんて。しかも相手はあのヒースだなんて。ちっともわからない。
◇
ジジは相棒の感情の機微を離れたところから敏感にかぎ取り、ため息をついた。しかし、あちらにかかずらっている余裕はない。
あたりは夕暮れに差し掛かっている。アルヴィン皇子が、すっかりここでの『訓練』に夢中との話は本当のことのようだった。
火影が落ちる地面を見つけ、ジジは上を見る。天を踏んで夕日を見る黒い影があった。
「おーい」
「なんじゃア。お前」
応えたのは、炭の林のほうからだった。
黄昏と同色の濃いピンク色の髪が、夕日を吸って燃え上がるように紅くなっている。その頭から突き出た黒い二対の角。色の濃い肌に吊り上がった目は、獰猛な爬虫類の緑色だ。
こいつが、とジジは観察を一目で終えた。人間嫌いの魔人は、人間ではないものなら、むしろ親しみを持った。
「クロシュカ・エラバント博士」
「魔人か。古ものじゃの」
カッ、とクロシュカは喉の奥で嗤う。
「我が弟子に何用か? 」
「依頼をしたくってね、そろそろ修行とやらを切り上げて欲しい。あなたも一緒なら心強いんだけど」
「あの魔女からの使いッ走りか。話は聞いてやる。話せ」
「コネリウス・アトラスの曾孫が行方不明だ」
唸りを上げて森に風が吹いた。木立の端が崩れ、黒い吹雪のように舞い上がる。
「その曾孫は、次のサマンサ領主。名前はヴァイオレット。サリヴァンの妹で、ラブリュス魔術学院の中等二年。陽王派に追われて学院を飛び出したっきり、行方が知れない」
「…………」
静かに、クロシュカの口が三日月形に裂けた。
「……それでェ? 」
「行方知れずとは言ったけど、だいたいの目星はついている。彼女を迎えに行くのを、アルヴィン皇子に頼みたい」
「なぜあの未熟者に? 」
「魔女の預言だ」
「魔女の預言! 便利な言葉だことだ! しかしまぁ、なるほど。得心がいった。ア奴が持つ、次の星の巡りの理由はソレか。空にマルスの赤が輝いておったわ」
カカッとクロシュカは太く笑う。
「わしに否やはない。星の巡りは定まっておるゆえに。ならばわしも、ここを去ることにしよう。今いちど古い友の顔を見とうなったわ! 」
「コネリウス・アトラスの援軍に? 」
「わしの星もまた、導かれておるゆえ」
老獪な古龍の角は、右だけが根元を残して折れている。意味深にその断面をさすりながら、上機嫌に背を向けて歩き出した。
「出発は明日だ」
華奢な背が言う。「案ずるな。アルヴィンは必ず、そのヴァイオレットとやらと相まみえる」
「――――それは預言? 」
「アア、そうさァ―――――」
強い風が吹く。
カチリ。
また針が進んだ。
◇
《 ……97%、98%、99%、100%。解凍を確認 》
《 ピッ 条件の達成を認識しました 》
《 【デウス・エクス・マキナ】システム起動、72% シナリオ進行度27%達成を確認 》
《 【大きい鍵の帰還】解凍成功。 100%オールグリーン。システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備が整いました 》
《 システム起動準備………… 》
緑色のライトだけが頭上にある。
『審判』は膝に埋めていた顔をゆっくりと上げ、鳴り響くアナウンスに耳を傾けた。
そこは白鯨の胎の中だった。金属で囲まれたごく細い逕路。血管のように張り巡らされたコード束、無数の電気信号、ネットワーク、記憶媒体……。
光の差さない中枢で、それらに繋がれた『審判』の身体がある。
「……候補者を捕捉。選定を開始」
黄金の瞳は光の輪を波打たせて、ここではないどこかを視ていた。
次回から新章。




