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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
二節【その女】

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幕間 愛をからだに吹き込んで

今回は短くて明るい話。


 冥界というものは、暗くて乾いている。

 水も光も生命を育むものだから。アイリーンはそう納得していた。

 アイリーン・クロックフォードは、時空蛇が、人間になりたくて創った現身うつしみである。

 かつて、混沌を混ぜ合わせて世界を構成する一つ一つを拾上げた時空蛇は、『時』を呑み込んだことで予言の力に目覚め、そして命たちの終わりを見た。

 そんな未来にふて寝した時空蛇を再び目覚めさせたのが、始祖の魔女と後に呼ばれることになる()()()だった。


『ねえ、わくわくする話をしてあげる。あなたはいずれ、人間と恋に落ちるのよ』


 時空蛇は、一笑に付し、興味をそそられ、やがて本気になった。


 それは知らない未来だ。そして知らない未来ということは、時空蛇にとって希望であった。

 万事を知る時空蛇にわかったのは、未知への期待を抱いている自分自身の心の行く先だけ。

 まるで信じられない。

 だからこそ、興味を、衝動を持った。


 ――――これは説得()()()のではない。説得されて()()()のだ。


 信憑性なんてまるでないのに、時空蛇は、その時期にあわせて人間の体をこさえて送り出した。


 人間としてのアイリーンは、絶世の美女ではない。

 手足は長いが胸はささやかだし、尻は小さい。鼻は細くて高く、唇は薄い。当世に流行している『美女』の要素からはやや外れている。


 その造形に込めた気持ちは、恋をしに行くというより、戦準備をするようなもの。

 色気を削ぎ落としてもなお、魅力的に振舞えるだろう。なぜなら自分は時空蛇だから、という自尊心も込めた形。

 男か女か。二分の一の確率だった。

 出会った少年にまんまとアイリーンは恋に落ち、(なんで自分の造形はこんなに色気が無いのか)と、ふつうの人間のように過去を悔んだりもした。甘い懊悩を共有すれば、彼は「アイリさんもそういうことを考えるんだね」と、嬉しそうに笑った。彼はアイリーンの『人間らしさ』を引き出し、それを拾い上げては照れくさそうに喜んだ。

 その『人間らしさ』は、おそらく人が愛と呼ぶものでできている。その愛を使って子供たちを育てることができた。

 愛するが故の悲しみも、たしかにあった。

 けれど後悔はしていない自分を、誇ることができている。


 そして、そんな「あるはずが無かった未来」を見て、時空蛇は思ったものだ。


 ……ああ、なんてこの世界は面白いのだろう、と。



 冥界というものは、暗くて乾いている。そして孤独だった。

 ここには魂を平等に振り分けるための秩序しかない。亡霊たちは欲と財産を剥ぎ取られ、循環していく。

 恋も欲望も、生命を育むものだから。


 アイリーンは蓋をされたような闇を見上げて、岩場に座り、膝を胸に引き寄せた。

 吐く吐息ばかりが白い。羽織っている猪の毛皮は、ずっしりと重いが暖かかった。

 猪の遺骸に宿る地上の名残りを熱にして、甘受しながら、アイリーンは祈る。

 まるでただの人間の親のように、子供たちの未来を祈る。



 すっかり馴染みとなった伝令神が言った。


「……地上へ帰らぬのですか? 生者にこの冥界は堪えましょうに」

「終わるまで帰ることはできない。そういう約束をしたんだ」

「しかし……体のほうがもちませんよ」

「それなら、それまでだ」


 アイリーンは毅然として振り返った。


「あの子たちが戦っている。それが終わるまで帰らない。そういう約束だ。――――その前に死ぬのなら、それが運命というものだろう」


 伝令神は首を縮めて目を丸くした。

「あなたが運命を語るのですか? 時空蛇の、あなた様が? 」

「おかしくなんてないさ」アイリーンは笑う。


「この未来は、もう違うところへ転がり始めているんだから」


 アイリーンは考える。

 なぜ、時空蛇は、自分の予言に絶望したのだろう。どうして未来を変えようとは思わなかったのだろう、と。

 アイリーンは考える。

 きっとそれは、時空蛇には未来を変えようと思うだけの理由がなかったからだ。

 だから思いもつかなかった。


 ()()()()()()()()()()()ということに。


 アイリーンは考える。

 この世でいちばん大切なものと、その未来について。


「……なあ、わくわくする話をしてやろう」


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