8 上司
「……ご、ごきげんよう。白崎さん」
園児なのにあからさまに顔を引き攣らせて挨拶をする上級生。
何故こうなったのかは分かっている。上級生の目に映るのは異様なほどに長い前髪。原因は完全にこれだ。
「ごきげんよう、白崎家の第一子である白崎 遥です。よろしくお願い致しますね」
「ぎゃー!?」
少しでも怪奇な少女から遠ざかるために微笑んで手を差し出すと、女児は握らないどころか、悲鳴をあげて一目散に逃げて行った。
ここまでの拒絶は辛い。分かってはいるが気分は落ち込む。
すると二匹の竜が花壇の精霊と話し終えたようでこちらにやってくる。
(いや…分かってたんです。絶対こうなってぼっちになることは)
(今のは姫様も悪い。普通に考えて初対面で顔も分からない奴がほくそ笑んで握手をねだるんだぜ! 心臓にも悪い!)
グサリ。私は火の一言にダメージを受け、春風の舞う空を見上げた。
はい、本日は雲一つない晴天の下、幼稚園に入園しました。お母様に提案されてすぐに入園手続きが整いました。
私のこれから通う幼稚園は【光輝幼稚園】というところです。
園名からして、輝きまくってることの分かる幼稚園。貴族も平民も共に通う私立で、“自由に個性をのばす”をモットーとしている。
私がここを選んだわけは、この国で一つ、しかも王都にしかない魔法学校にエスカレーター式で上がれるからだ。
高校はゲームの舞台である魔法学校。ヒロインちゃんと見た目麗しい方々のイベントを見るためにもこの魔法学校へ行かなければならない使命があるのだ。
そしてなにより私の可愛い弟の恋模様を見てきゃきゃうふふしたいのだ!
最後が一番の目的である、なんて恥ずかしくて言えないのだけど。とにかく、こんなにも愛情を注いでいる学園なのだ。
勿論、転園に試験もあったが前世の記憶もある私には楽勝……というわけでもなかった。
難易度は低いが思考の豊かさが必要な問題が多く、頭が堅い現代社会人には難しすぎた。また、社会問題などは医学書魔法書しか読み漁ってないので聞いたこともない国だらけだった。
私の場合は、基本問題で点を稼いでなんとか合格したようなものだ。
幼稚園でここまで難しいのだから小学校はまだしも、高校で入学するヒロインちゃんは魔法だけでなく、素晴らしい学力をお持ちなのではないだろうか。可愛くて純真な天然ほど可愛いものはない。
「さて、今の状況ですが……親睦を深めるための上級生による園内案内を途中でボイコットされたという状況です」
目尻を下げて呟いたが、声は風に運ばれていった。
そもそも戦力外の精霊二匹と、役にも立たない方向音痴の園児私。こんなに頼りないパーティーは未だにゲームでも見たことがない。
乙女ゲームの舞台の高校の付属幼稚園なのだから広いし、紹介役のお姉さまはいなくなった。階段も上がったはずだ。地図もないし窓も高くて開けられない。
何が言いたいかというと、ここどこってことだ。
私は密かに溜め息をついた。歩き回るにも、私には限界がある。休日の下見なので先生も少ないし、ましてや生徒なんて一人もいない。
私は“ばらぐみ”と書かれた教室前に座り込んだ。地面は固くて冷たい。
窓の外の木を見て、途方に暮れる。手で前髪をくしゃりとあげた。
「この年で迷子なんて情けないな。つくづく自分が嫌になるや」
そう言って、涙声で鼻歌を歌うと木から覗くものと目が合った。
「ひっ……!」
私は出そうになった叫び声を間一髪で塞いだ。迷惑になるだろうし、何より目の前の彼が可哀想だったからだ。
防げたことに私は歓喜する。
そんな私の行動を見て彼は面白そうに笑った。声は聞こえないが、目に涙を溜めているのでかなり笑い苦しんでいるように見える。
一段落すると彼が木から窓へと飛び移った。止めようとしたが窓を隔てているので、声が聞こえないのか彼は首をかしげる。
彼が大きく息を吸い込むと窓を木で割った。
「え」
(え)
ガラスは彼が加減したので、少ししか飛び散らなかった。規格外すぎる彼の行動に私達の口は開いたまま。
彼は白い歯を見せてニッと笑うと窓の鍵を開けて、廊下へと降り立った。
舞い降りたときになびいた彼の髪と瞳は濡れ鴉のように黒く、日本を思い出させる色だった。
私と同じで忌み嫌われる宿命を持つ者。彼は顔のパーツも整っていてまだ四、五歳なのに美形なのがよく分かる。
彼は澄んだ声で言った。
「俺の名前は黒鋼 晃一朗、四歳。君と同じで黒の特徴を持つ転生者だ。君の名前は?」
「はぁ!?」
まさか、こんなところで転生者に会うとは思ってもいなかった。
しかも、隠しキャラだが名前に色が入っていて、隠れていないと名高い攻略対象が転生者なのだから驚きも二倍だ。
私も転生したのだから他の誰かが転生してもおかしくはない。なんて言ってもあの神様なんですから。
一人でうんうん、と納得していると彼は睨んできた。
「お前の、名前は?」
「白崎 遥です」
口調から苛立っていることが分かったので素直に答えた。とりあえず精霊には花壇で遊んでいてもらうことにした。
転生については彼らには言っていない。余計な心配をかけたくない。
「おう、白崎。よろしくな」
黒鋼さんの人懐っこく歯を見せて笑う姿が、前世の上司の姿とダブって見えた。
ふいに今まで忘れていた過去を思い出して、頬に温かいものが伝った。
「おい、泣くな。俺あんまり女慣れしてないんだからよ、こうすればいいのか?」
美形は泣く少女に困惑して慌てる。考えた末に、ぎこちない手つきで子供をあやすように頭をポンポンと撫でる。そんなこと好きな人に以外にやられても嬉しくないのですがね。
そういえば上司もこうやって、自分が告白を断った相手の女性が泣いてしまったときに、撫でていたなぁと思い出す。確か、その後は女性の方が、自分をふった相手にそんなことされてもと、上司が頬を思いっきり叩いていた気がする。
黒鋼さんの不器用で女慣れしていない姿は、本当に何から何まで上司そっくりだ。ここまでくると笑いが込み上げてくる。
「なーんて、嘘ですよ。初対面でいきなり泣くわけないでしょう?」
「知るか、馬鹿。女心なんて分からない俺に分かりにくい泣き方するな」
「そういえば、黒鋼さんはどうして転生されたんですか?」
黒鋼さんが拗ねる前にさりげなく話を変えた。面倒臭そうだもん。
あぁ……と考え込むようにして彼は話し出した。
「俺か? 俺は前世は二十六で若くしてブラック会社の課長だったんだ。その会社に女の年上後輩がいてさ」
この時点で思うことはあった。が、先に進もう。
「うん」
「仲が良かったんだが年増の乙女ゲーム大好きおばさんでよ。ある日その年上後輩が轢かれたと聞いて、そこに駆けつけて気付いたらこの世界に赤ん坊として転生してた」
「うん」
「俺のチート展開かと思いきや神様とやらにお前を守れって言われたってわけ。瞳が黒くて分かんなかったがその後輩が歌ってた前世の歌をお前が歌ってたから気付いたってこと」
話を全て聞くと、途中に疑問に思ったことが確信に変わった。あれ、黒鋼さんは上司と同一人物じゃないでしょうか。
年上後輩は私ですよね? 目の前の彼は、乙女ゲーム大好きおばさんとか言ってたんですか。真意を問いただすために、まず上司かどうか確認しなければ。
私は、記憶の隅からあの忌々しい会社名を掘り起した。
「あの、貴方って〇△会社で働いてましたか?」
「おお! よく知ってるな。そう、そこで働いていた」
確定した。黒鋼さんは上司だ。
そういえば、上司は美形だったが、女の人とまったく交際しなかったので一時期は私と社内恋愛しているんではないかと噂されたこともあったものだ。
しかし、所詮私だ。周囲からはそれはない、と評されて同性愛説が有力だと言われていた上司だ。
「……その年上後輩、私です」
私は黒鋼さんが私のことを年増乙女ゲーム大好きおばさんとして紹介したことを謝罪すると思って、顔を俯けながらに言った。
でも、顔を上げると、黒鋼さんは私の予想とは違って破顔した後、私を思いっきり抱きしめた。
「苦しいです、課長」
「お前がこの世界で生きてて本当に良かった。心配したしこっちは心臓止まるかと思ったんだぞ。それと今は、黒鋼 晃一朗だ」
苦しいけどギブ、ギブ! と言わなかった私を褒めてほしい。女の子らしく頑張った。
そんなことを思っている私とは裏腹に黒鋼さんは、私を抱きしめる腕に力を込めた。本当に良かったと呟いた声が、少し鼻声だったのは気のせいだろう。
苦しいけど仕方ない。上司にも鼻声から分かるように懐かしさはあるのであろう。私は大人しく黒鋼さんの胸の中に留まることにした。
「長いんで、コウって呼んでもいいですか?」
「あぁ。今は役職も関係ないんだから敬語もやめろよ」
「うん、分かった」
コウの腕の中で彼の甘い匂いに安心して、私はコウが解放してくれる時を待った。
案外その時は早くきて、窓ガラスを割ったことを思い出して離れた。名残惜しかったが私達は木から降りて幼稚園をとんずらした。




