月に還る –Side璃青
本日も白い黒猫さまとのコラボでの同時更新となっております!【透明人間の憂鬱〜希望が丘駅前商店街〜】で、壮絶な色気を醸しているユキくん視点を読むことができます。
………あ、晴れてる。
商店街に帰る朝、起きて真っ先に空を見上げた。
昨日から緊張のあまり、実は少し寝不足。もちろん頭は冴えてるけれど。
今日はお昼過ぎに商店街に戻る予定。みんなにきちんと挨拶して、それから駅に向かう。
淡いグレーのふんわりとしたワンピースは、ウェストの細いリボンがお気に入り。もし肌寒かったらストールを巻けばいい。
彼は少しでも可愛いと思ってくれるかな。
いい年齢をして、って笑ったりなんかしない人ではあるけれど。
着替えてリビングに向かうと、半べその真珠が無言で抱きついてきた。
「ごめんね、まな。りおちゃんね、東京のお家に帰るからもう行くね。また来るから、それまでいいこにしてるのよ」
「りおちゃん、またくる?」
「うん、絶対来るよ。約束ね」
「今度はカレシと来るんだろ?」
「お、お兄ちゃん……!」
真珠と涙のお別れをしている最中に何てことを。
「人のパソコンで何を調べてたかと思えば一人でニヤニヤ笑ってるし。……まぁ、悩みが解消できたなら良かった。冗談じゃなく次はそいつ、連れて来いよ」
ちょっと、一体どこまで知ってるの。
「………うん、そのうちね。あ、でもまだそういう段階でもないのよ。わたし達、これからなの」
そう。これからなんだからね。まだまだ当分内緒だよ。
週末で家に揃った家族に玄関先で見送られ、決して長いお別れではないのに、半年前に家を出た時よりも少しだけ感傷的になるけれど。
手を振って歩きだしたらもう振り向かず、駅を目指して歩き出す。今はそこに待っていてくれる人がいるから。
駅のホームからメールを送った。
『三日間、ずっと考えていました。今夜、同じ月を一緒に見てくれますか?それが私の答えです。透くんに、会いたい』
これは単なるメールだから、まだそれだけ。
心を決めたら、気持ちを伝えるのは目の前じゃなきゃ。
来た時と同じ、海の色はキラキラと眩しい。
電車の窓に流れる景色を眺めながら、わたしは今、一番会いたい人の笑顔を思い浮かべていた。
改札を抜けて顔を上げると、時間的にけしてそこにいるはずのない人が、わたしを見つけて目を細めた。
ゆっくりと、でも迷わずその人の元へ。
「璃青さん、お帰りなさい」
「ただいま。駅で待ってるなんて思わなかった………」
すぐ側までたどり着き、やっとの思いで答えた。
泣きそうな顔を見られたくなくて、彼の胸に額を寄せ、目を閉じる。
“どうしてここにいるの”とか“いつからいたの”とか、聞きたいことは色々あるのに言葉にできない。でも、もう何も言わなくてもいいかな。
透くんは、わたしを柔らかく、そっとその腕の中に閉じ込めた。
「おかえり」
わたしの頭上でもう一度、透くんが呟いて、そして。
わたしの頭のてっぺんに、キスを、した。
駅のざわめきが遠ざかる。
ここが、わたしの帰る処。
その直後に強く抱きしめられて我に返った。
初めての愛情表現にうっとりしている場合じゃない。これは猛烈に恥ずかしい。
わたしは顔を上げて、彼を見た。
「透くん、ここ、駅……!!」
「そうでしたね。じゃあ、帰りましょうか。商店街に」
手を伸ばし、お互いの指を絡める。
わたし達は、商店街に向かってゆっくりと歩き出した。
ゆっくりだったはずなのに呆気なく着いてしまっても、繋いだ手が離せない。離したくない。
「璃青さん、うちで月見をしませんか?」
「え……?」
「まだ月は登っていませんが。………離れたくない」
透くんが我儘を言う。
これも二人の初めてかも。
ごめんね、もう気持ちを隠したりしないから、そんなに不安そうな顔をしないで。
「うん、わたしも一緒にいたい」
わたしがどんどん素直になっていく。照れ隠しに繋いだ手をぶんぶん振りたくなるくらい嬉しいよ。
二度目の透くんのお部屋に招かれて、夏とは違う緊張感に顔が熱い。ただのお月見だというのに、わたし、意識しすぎだわ。
わたし達はテーブルにススキや、イガ付きの栗を用意してお月見の準備をした。
そうして東の空に月が昇るまでの時間を、透くんの淹れてくれたお茶と、クッキーを頂きながらお喋りをして過ごした。
お互いの家族のこと、仕事のこと。他愛ないことばかりだけど、ひとつも聞き逃したくなかった。
リビングが暗くなり始めて、わたし達はベランダに場所を移した。ベランダのテーブルにススキと栗、それからお月見団子を盛り付けた三宝もお供えして、かなり本格的な儀式のよう。
準備が済むと、ベランダに置かれた籐のソファを勧められた。
わたしが三日の間見上げてきた夜空には、すっかり丸くなった月が昇っている。
この地球を照らす満月の下、遮るもののない光を身体に浴びたら、優しい力が満ちてくる。
下界には街の灯りが広がり、ここには贅沢な時間が流れていた。
「この間のお祭りの時は見られなかったけど、ここ、さすが六階よね。景色がすごく綺麗なのね。月もまん丸で綺麗………」
「綺麗なのは璃青さんですよ」
……この甘い言葉に、どうしても慣れない。耳にした途端、その都度顔が赤くなっていること、もう気付かれているかな。
いつの間にかココアの香りと共に横に立っていた彼は、わたしにマグカップを手渡し、隣に腰掛けた。
肩に自然に回された手に心臓が跳ねる。びっくりしてマグカップの中身も跳ねそうだった。落とさなくて良かった。
猫舌のわたしが、手のひらを温めながら冷まし、ちびちび飲むからココアが減らない。
けれど焦って飲むことはない。ただ黙って二人で月を見ていられればそれでいい。
ふと、透くんが沈黙を破った。
「璃青さん、嬉しいです。その………」
透くんを見つめる。
「その、応えてくれて……俺の告白に……」
小さく首を振った。
わたしもちゃんと言わなきゃ。
「わたしの方こそ。こんなわたしを好きだって言ってくれて、ありがとう」
こんなに年上なのにね。
けれどそう言うと、透くんは哀しげな顔をした。
「璃青さんだから、好きになって。璃青さんだから告白したんです! 他の人にそんな気持ちにならない。ここまで人を好きになったのって初めてで。だから……」
マグカップを取り上げられ、座ったまま強い力で抱きしめられた。
「俺を見て欲しかった」
頭上の呟きに涙が浮かんだ。
切なくて、透くんの背中にそっと腕を回した。
今なら言える、見て欲しかったのはわたしも同じだったんだ。
「見てたよ。気付いたら透くんだけを見てたの。わたしはずっとドキドキしてたよ。………透くんが、好きよ」
言うなら今しかない、そう思って勇気を振り絞った。
少し速い鼓動に耳を寄せて、お互いの温もりを確かめる。
「ありがとうございます。………璃青さん」
呼ばれた名前は前よりも甘い響き。
「なあに?」
「愛してます」
あ、と思う間もなく唇は塞がれていた。
うそ、待って、こんなの聞いてない。
一瞬離れたと思った唇は、今度は角度を変えて柔らかく、わたしの唇を何度も啄む。必死に応えているうちに、身体が軋むほど抱きしめられた。油断した隙にキスは深まり、頭は次第にぼんやりしていた。
逃げるように身体が後ろに反ってしまいそうになって、慌てて少し屈んだ彼の首に腕を回す。
いきなりこんなの、正気を保てないよ……!
「………んんっ」
それなりにこなしてきた経験なんて吹っ飛んでしまいそう。
わたしの漏らした声に一旦離れた彼は余裕で笑う。
「甘いですね」
な………!!
「ココア飲んだ後だからっ」
「ええ、ココアのように甘くて美味しいです」
だから、そういうことを、サラッと………!!
狼狽えている場合じゃなかった。
休憩終わり、とばかりにまた塞がれる唇に、舌に翻弄される。彼の手のひらは頰を撫で、やがて身体の線を確かめるように辿っていた。
「璃青さん、すみません気持ちが抑えられない……」
耳元の囁きに何を?なんて聞くほど子供じゃない。わたしも、もっとあなたを近くに感じたい。
わたしは背伸びすると、改めて彼の首に腕を回した。
「ん………、いいよ」
消え入りそうな震える声でわたしも彼の耳元に囁いたら、濡れたキスが降り注ぐ。
頰に、耳に、首筋に。
漏れそうになる声は吐息でごまかして。
そうして抱き上げられて、わたしは彼に、初めて自分の全てを預けた。
急激に深い仲になることに驚きはしたけれど、なのにこうなることがとても自然に思えたから。
真っ直ぐに見つめたら、甘く微笑む綺麗な恋人。
大丈夫、何も怖くない。
ふと気付いたら彼の腕の中だった。いつの間にか閉じられていた窓の外から微かに虫の声が聞こえ、後は彼の規則正しい穏やかな寝息だけ。
触れた素肌は暖かく、それでも深い秋の気配に寒気を感じてそっと目の前の胸に顔を寄せてみる。
彼は無意識なのかわたしの頭を抱き寄せた。
苦しくてもがいていると、どうやら彼を起こしてしまったらしい。
「璃青さん……?」
「あ、起こしちゃってごめんなさい」
「いえ、寝るつもりはなかったんですけど、安心したらつい………」
「安心?」
「璃青さんがそばにいる、って」
「わたしのせい?」
「そうですよ。もう戻ってこなかったらどうしようかと思ってました」
話しながら彼はわたしを緩く抱きしめた。今更だけど急に恥ずかしくなって、ちょっと抵抗してみたりする。けれど身体を捩っても彼はわたしを離してくれない。
「お店を放置するわけないでしょ」
「そうですね。まぁ、その時は迎えに行こうかとも考えていましたけど。……で、今まで何をそんなに悩んでいたんですか?」
「悩んで……っていうか、わたし、29歳になっちゃったし」
「はい」
「6つも年上だし」
「ええ、まぁ」
「あなたにはもっと相応しい人がいるんじゃないかな、って………んっ、苦しいよ……!」
透くんは、またわたしを強く抱きしめて触れるだけの軽いキスをした。
「それ以上言ったら怒りますよ。俺はそんなに頼りないですか?……年下だから」
「そんな事ない………」
そんな事、思ったことないよ。
「ならば、俺の璃青さんへの気持ち疑っているんですか?」
ううん。もうちゃんと分かったよ。
あなたは確かに、まるでブルーマロウのお茶の色がレモン数滴によってブルーから鮮やかなピンクに変わるように、わたしの心を染め上げたの。
「璃青さん以上に人を好きになった事ありません。そしてこれからもそんな人に会うなんて考えられない。もし璃青さんが俺に不安になるようだったら。俺はもっと璃青さんに相応しい男になるように努力します。だから俺を受け入れて」
「そんなの嘘……」
「嘘じゃないですよ。………璃青さん、どうしたら信じてくれますか?もっともっと愛したらいいですか?」
え、いや、あのね、そういう事じゃなく……!
「ええと。朝帰りは何かと不都合が……なんて。今帰ろうと思ってたんだけど、………ダメ?」
だってね、女子のお泊まりには色々あるのよ。
それに、杜さんたちに知られたらと思うと、恥ずかしくて死ねる。
「やはり信じてないんですね。俺の気持ち」
「え、違、ちょっと待っ……」
「璃青さんだけを愛しています。今も、これからも」
違うの。メイクが、とか下着が、とかシャワーが、とか………。
だめ、背中に這う唇を感じたら「んんっ」って、ほら、声が出ちゃうから!
「うう………。はい、わたしも透くんだけが好きです」
観念するしかなかった。
後ろ向きに逃げようとしたけれど、すぐに向きを変えさせられて、身体のあちこちにキスを落とされたら思考は甘く融けていく。
「透……くん……」
その愛しい名前を呼んで、存在を強く強く確かめた。
透くんのように“愛してる”って自然に言えるようになるまでは、もう少し待っていてね。今はまだ恥ずかしいから。
わたしは幸せなため息をついて、彼の背中に腕を回した。
それからいつ眠りについたのか覚えていない。ただ、彼の気持ちはイヤというほど分かった。
遅い朝、ちょっとぐったりしていたわたしは恥ずかしさで彼の顔をあまり見られなかったけど、チラリと見上げた彼の方は満面の笑み。
嬉しそうに淹れてくれたコーヒーは、今までで一番美味しかったかもしれない。
というか、ベッドでコーヒーを頂いたのは、生まれて初めて。
………あ、これも二人の“初めて”なんだ。ちょっと赤面。でも。
「あの、透くん……?」
「昨夜は無理させてしまってすみません」
「あ、こちらこそこんなに寝てしまってごめんなさい。……じゃなくて!」
「?はい、璃青さんどうぞ。サンドイッチで良かったですか?スムージーも作りましょうか」
「え。あの、えっと。ありがとう、ございます………?」
おかしい。何かがおかしい。
透くんて、こんな人だったの?
というか、あのぅ、とりあえず一度帰らせてもらってもいいですか。




