身の回りに潜む悪意 3
オルベルトはフェルナンの口を開かせて中をのぞくと、短く呪文を唱えて傷を癒した。
「どう?」
「すまない、助かった」
ようやくしゃべれるようになったフェルナンは真っ先に感謝の言葉を述べた。
「二枚目だから油断した。飲み込んでいたらシャレにならないところだ」
魔法はケガを癒すことはできても、異物を取り除くことはできない。
最悪、腹を切って胃の中から取り出すこともあったのだ。
その可能性に気が付いてアリスはその悪意の深さにぞっとした。
死ぬことはないが、異物を取り除くまでどれだけ体を切り裂けばいいのだろうか。
レントゲンなどないこの世界では、異物を発見するためには視認しかない。
回復魔法があるので死ぬことはないだろうが、まず食道から胃にかけて切り裂き、見つからなければ小腸を切り裂いて探さねばならない。
死ぬことはないけれど、恐怖は心の中に刻み込まれるのは間違いない。
「心配をかけたかな?」
フェルナンの言葉にアリスは素直に頷いた。
「とても」
アリスは眉を寄せた。
「剣やナイフの切り傷や殴られたあとは目に見えるから判断できて安心できますけれど、内臓は見えませんから……」
「あ、ああ……そうなんだ……」
何か違う、と思ったがフェルナンは口にしなかった。
普通の女性は剣やナイフの切り傷を見ても安心はしない。
「君は医学の知識があるのかい?」
「外傷なら応急手当までならできます」
喧嘩三昧で培った経験値は伊達ではない。
だが毒物などは専門外なので、不安になる。
「君がうろたえる姿を初めて見たよ」
場を和ませるようにオルベルトが言うと、アリスの顔が赤くなった。
「お見苦しいところをお見せしました」
貴族令嬢ならばこれくらいの事でうろたえてはダメだ、と教わっていたアリスはまず謝罪する。
「(喧嘩で慣れているので)血は平気ですし、(素材をさばいて料理もするから)内臓系も直接目にする分には大丈夫なのですが、原因がわからないで血を流すというのは……やはり怖いです」
しおらしく言っているが、内容は全くしおらしくない。
要は、原因がわからないのが怖いだけなのだから。
言い換えれば、原因さえわかっていれば怖くないという、ちょっと乙女としてどうなのかという事に誰も言及することはなかった。
「彼女の処遇はどうなるのですか?」
「しばらくの間は謹慎かな。でもって減給。犯人でなければ、だけどね」
フェルナンはやれやれと言わんばかりに侍女に目をやる。
「何も知らずに手伝わされたといったところだろう。あの菓子の出し方だと狙いは無差別、命に別状はないから嫌がらせだ」
「嫌がらせ、ですか?」
「アリス嬢、ここには私がいる。毒に耐性がある私が毒見をする。しかも異常があればオルベルトかジャックが毒を除去するから死ぬことはない。あくまでも、死にそうな目に遭うだけ、の範疇で収まるんだ」
たとえ遅効性の毒であっても、それが毒ならば魔法を使えるオルベルトかジャックがいれば無効化できる。
だから本当に毒で殺したければ、オルベルト、ジャック、フェルナンのいないところでやらなければ成功しないのだ。
「ですが今回は金属片です。飲み込んでいたら、死んでいたかもしれません」
「同じことだよ。金属片で傷つけられた臓器は癒しの魔法で治せる。まぁ、体内から金属片を取り出す手間はかかるけれどね」
フェルナンはくすりと笑った。
「死ぬことはない。だから嫌がらせなんだ」
この中の誰かが食べて飲み込んでしまったとしても、死に至ることはないのだ。
「ここにいる侍女はそれを知っているから、毒や金属片を仕込むなんて無駄な事はしない。失敗することがわかっていて今の地位を捨てることはしない。だから犯人ではなく利用されたと結論できる。問題は、誰が王子の名を使って菓子を差し入れたかだ」
ほんの一瞬、冷ややかなまなざしをするフェルナンをアリスは黙ってみていた。
「私の方で調べましょうか?」
グレイ小隊長が名乗りを上げるが、フェルナンは首を横に振った。
「私の方でやろう。君が忙しいのは知っているよ」
へらりと笑うフェルナンにグレイは頭を下げた。
「……可能性の一つとして、聖女の力量を図る、というのは考えられませんか?」
聖女ならばケガをしようと毒でやられようとも自分で治癒できる。
フェルナンは首を横に振った。
「それならばオルベルトをターゲットにする。ジャックがいない今、毒の無効化をできるのはオルベルトだけだからね。私に毒が効かないというのは貴族社会では有名なんだ。無差別という時点でそれはない」
「そうですか……。ホノカちゃんは大丈夫でしょうか?」
「グレイ小隊長の部隊は優秀だからね、大丈夫」
アリスを安心させるようにフェルナンは微笑んだ。
「私の部隊がそばにいる限り、彼女は大丈夫です。それにコンラッド伯爵もいます」
グレイ小隊長が口角を少し上げながらアリスを安心させるように説明する。
「貴女が思うよりずっと、貴女は聖女らしいですよ」
だから王太子の愛妾候補など歯牙にもかけられない。
狙われることはない、と言外に告げる。
アリスの目が驚いたように丸くなった。
オルベルトは興味深そうに、フェルナンはやれやれといわんばかりにため息をついて二人の様子を生ぬるく見守っていた。
「グレイ小隊長は随分とアリス嬢と親しいのですね」
オルベルトの言葉にグレイは驚いた顔をした。
「まさか人目もはばからずに抱き合う仲だとは知りませんでした」
(ちょっとオル様、涼しい顔してなにぶっこんでんのよーっ!)
顔色を変えなかった自分を誉めてあげたい。
心の中でオルベルトに文句を言うアリス。
「ああ、それは私も思ったよ」
フェルナンが悪乗りを始める。
「心臓の音を聞かせると、たいていの子は泣き止むと部下から教わったので」
「「「……」」」
しれっと答えたグレイは悪くない。
ただオルベルトとフェルナンの残念な物を見るような眼差しが心に突き刺さった。
(私のときめきを返せっ!)
心の中でそっと涙をぬぐうアリスだった。




